マンガや小説の長大化

Posted at 07/04/27 Comment(2)»

昨日。新しい仕事がいくつか入り、少々試行錯誤。まあだいたいこんな感じかと思う。空いている時間にウェブの仕事。これもいろいろ試行錯誤という感じだ。少しずついいものにしていければいいなと思う。ただ、量的に多すぎて一つずつ直していくのが大変なので、MTをうまく使って何とかできればいいとは思っている。

スーパージャンプとビックコミックをじっくり読む。SJはつなぎ的な局面のマンガが多い。『銀のアンカー』の女子アナ採用のアナウンスセミナーの描写が印象的。BCでは『ファイブ』と『ゴルゴ13』か。ファイブは単行本を買ってもいいなと思った。3巻まで出ているのようなので探してみようかと思う。

ファイブ 1 (1)

小学館

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駅前の書店がなくなり不便をしていたのだが、同じ場所に別の書店が新しく昨日入ったのでようすを見に行く。だいたい今までと変わらない雰囲気。『SAPIO』を立ち読みする。『ゴー宣暫』で小林よしのりが「今のマンガは手塚治虫が1回で書いていたのを1巻くらいかけて書いているので量が増えて自宅に置ききれない」と言っていて、なるほどプロから見てもそうなんだ、と思った。確かにどのマンガも単行本の数が多すぎる。売るほうは売れるからいいということなのだろうけど、それはつまり中身が薄いということだ。上にも書いたが、「つなぎ的な局面」が長い、と言い換えてもいい。それはそれでいい面もなくはないが、手塚の時代のようなマンガの中にはエッセンスしかない、というものではなくなっている。

手塚のマンガは映画のようなもので、今のマンガはテレビドラマのようなもの、と言い換えてもいいかもしれない。私など、映画なら2時間で結論が出るから見る気がするが、テレビドラマはどうでもいいような場面や伏線が多すぎてしかも話があまり展開しないうちに終わってしまうからどうも見る気がしない。最近では映画すら面倒になってるけど。

小説もそういう長大化傾向がある。何十巻のシリーズものや、ものすごく分厚い単行本などがよくあるが、あれはワープロの発明によりいくらでも書けるようになったから長大化したのだという説があったけど、そうではなくて映画のテレビドラマ化と同じ、細かい描写や説明が増えてエッセンスがなかなか展開しなくなったことと同じ根を持っているのではないかと思った。

商業的にはそれで成り立つというか、成り立たせやすいことだとは思うが、もっと上を目指すことを考えてもいいのではないか。手塚治虫なら一つの作品を長大化させるよりは、別の作品を書くことを重視していたと思う。『鉄腕アトム』などもかなり長くなったが、その中では相当な試行錯誤があるし、それまでのストーリーをご破算にして新しい展開を試みたりもしている。それで最終的には未完で終わっているわけで、そういう執念みたいなものが凄いと思う。それは石森章太郎の『サイボーグ007』なども同様だ。よりよいものを作り出そうという漫画家の業のようなものが以前の作家には感じられた。しかしそれだけ漫画家と言うものが特権的な存在でもあったわけだ。そのあたりは少女漫画でも萩尾望都などにはあったと思う。「表現者の業」に向き合うこと。

今はもっと商業的にスマートに作品を発表し、「工房作」みたいなものが量産されているといっていい。まあもりもと崇や諸星大二郎のように命を削って書くタイプの作家は今でもいるが、そういう人たちは寡作でしかもマイナーになってしまっている。手塚のようなスケールを持って新しい可能性に挑戦せずにはいられないというタイプの作家に頑張って欲しいものだと思うのだけど。

日進月歩の世の中だから、一つのジャンルに天才が次々に現れるということではなく、マンガに手塚治虫が現れたようにアニメには宮崎駿が現れ、ゲームには…というような展開にならざるをえないのかもしれない。受け取る側も一つのジャンルにこだわらず、さまざまなものを見ていくべきなのかもしれない。

ネットでそういう作家性のあるビッグヒットのようなものは現れるのか。ネットは単にそういう表現の場としてのみあるわけではないし、ネットでしか出来ない表現というものもまだまだ発展途上だと思うし、どういう方向に結実していくのか見当もつかないが、そういう現場に近いところに居られると楽しいだろうと思う。もちろんそういうものがじぶんで作れればもっと楽しい。

"マンガや小説の長大化"へのコメント

CommentData » Posted by shakti at 07/04/29

久しぶりにコメント書きます。
手塚の漫画が映画で、最近の漫画がテレビドラマだという件ですが、すごく納得です。

手塚の作品は本当に映画ですよね。あれらは、手塚自身ではなくて(もう無理だが)、ハリウッドの監督さんに映画化してもらいたいと思います、本当に。そして、最近のがテレビドラマですか。 なるほど、です。 ま、テレビ連続ドラマは最近は見ませんが、そういう比喩が良いのでしょうね。

話はちょっと飛びますが、21世紀少年とか、もっとはやくまとめてくれたらよいのにと思うのに、長々とやっている。だから、私は途中から読まない。どうせ、ある種のテクニックで話を延ばしているだけなんだから。(コンラッド「闇の奥」=村上春樹「羊を巡る冒険」のように、巨大な謎を設定しておいて、それを追いかける構図にしたら、いつまでも話を続けられるような気がする)

CommentData » Posted by kous37 at 07/04/30

コメントどうもありがとうございます。

考えてみると、われわれの少年時代、『少年ジャンプ』に連載されていた「アストロ球団」や「リングにかけろ!」はすでに長大化していましたね。アレはまあ、一種の水戸黄門だと考えるべきなんですが。

「謎の設定」でいえば『ねじ巻鳥クロニクル』などもそうですね。クミコが現れるまで、どんどん現実が錯綜していく。2巻で終わったかと思ったら3巻まであった、とか、あれ4巻を書こうと思ったらかけるんじゃないかな。

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