「亡国論」:ライブドア堀江貴文とラスプーチン佐藤優のララ対談

Posted at 07/04/09

さっきまで丸の内の丸善で本を立ち読みしていたのだが、面白いと思うものがあったのでちょっと書いておく。木村剛編集の『ファイナンシャルジャパン』の5月号に佐藤優と堀江貴文の対談が「亡国論」と題して掲載されていた。


FINANCIAL JAPAN (フィナンシャル ジャパン) 2007年 05月号 [雑誌]

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この対談は今まで堀江と誰かの対談を読んだうちでは出色の面白さだった。というか、堀江という人間の本質を理解して対談できたのは、佐藤が初めてだったのではないかと思う。今まではっきり言って堀江が何を言っているのか全然理解できなかったが、佐藤という異能者が媒介に立ったことによって、ようやく堀江が何を言おうとしているのか、それ以前に堀江がどういう人間なのか理解が可能になったという感じだ。私はお金がないので買わなかったが、お金のある人にはぜひ買って読んでいただきたい。買う価値はある。

佐藤は堀江のことを「天才だ」という。結局これがキーワードなのだ。堀江の考えていること、やっていることはもともと常人の理解を超越していることなのだ。堀江のロジックは完全に一貫していて、揺るがないし、外部からの攻撃でそのロジックを破壊することは出来ない。堀江には日本的な「世間」がないために、その攻撃そのものを彼自身が本質的に理解できないのだ。だからその検察の攻撃を彼は「恐怖」だと受け止めているし、恐怖だからといって引き下がるわけにはいかないと考えているようだ。普通の人間が理不尽な暴力に相対したときに感じるような感覚を、彼は検察権力に対して感じているのだと思う。普通の人間なら検察の押し付けてくる世間的な感覚を多少は理解できるからそこに迎合することも可能なのだが、多分堀江はその感覚の理解において無能力者なのだと思う。

今回の逮捕に関しても甲子園を目指して戦って来た野球部のキャプテンが準決勝とかで敗退して茫然自失になってる感じ、と表現していて、何だかそれは実感としてそうなんだろうなと思った。

彼は権力という権力、権威という権威を何もかも相対化していくことに何かアグレッシブな快感を感じているように思う。それは単なる国家とかの概念に対してだけではなく、通貨についてもそうで、ライブドアが株式を分割しまくったのは、多国籍企業の内部において各国の通貨でなく株式そのものが通貨の役割を持てるようになってライブドアの株で大根を買えるようになったら面白い、というような発想からきているらしい。掘りえは金というものは通貨としての役割はもう完全に失っていてお金というのは完全にバーチャルな概念になっているのだから、ライブドアの株式がそれに取って代わったってかまわないはずだし、だからワンコインで売買できる株式(当時ライブドアの株は500円以下で1株単位で取引できた)を目指した、というようなことを言っていた。そういう意味で彼は本質的にアナーキストなのだと思った。

佐藤は堀江のことを「宗教的だ」と表現していてちょっと面白かったが、その宗教性というのは私がアナーキーだと感じるところと同じ点を言っているのだろう。これからやりたいこととして堀江は「宇宙旅行と不老不死の研究」だと本気で言っている。これは一種の狂気だろう。彼はつまり、天才と狂気は紙一重、という種類の人なのだ。そしてそういう人間をロシアという世界で見せ付けられ続けてきた佐藤だからこそ、堀江の本質を指摘することが出来たのだと思う。

実際、ソ連時代には不老不死とか死者の復活とかを本気で研究している人たちがいて、使者がすべて復活したら地球では生活できなくなるから、ということで宇宙開発が研究されたという面もあるのだという。そういう滅茶苦茶な発想を大真面目に考えられるところがロシア世界のすごいところだと思うが、日本ではちょっと考えられない。堀江という人間は、日本的な基準ではちょっと測りきれない人間なのだ。

で、結局この箱庭的な日本世界の中で堀江という人間が何をどうやって生きていくのかということを考えるとなかなかどんなものかと思う。こういう人間はうまく祭り上げてしまうか、でなければ徹底的に無視したり排除したりするかが日本の伝統のようなものだし、祭り上げられ得るようなタイプではないから、結局排除されることになるんだろうなと思う。天才とか狂人というものは基本的に融通が利かないものだから、このバイタリティ溢れる狂気の天才が自分の活躍の場所を自分で作っていくことができるのだろうかと思うとちょっと首をかしげる。

ある意味2ちゃんねるのひろゆきなどもこのタイプの天才かもしれないと思う。まあスケールの点で堀江ほどでないので今のところ目こぼしされているし損害賠償も完全に無視しているが、このまま逃げ切れるのかどこかでエスタブリッシュからの鉄槌が下されるのか。何だかこの人たちはある意味ヒトラーと同様、神学上のアポリアを提供するタイプの人間だと思う。

佐藤優も異能の天才だと思うが、彼はナショナリズムとか金の通貨における価値を認めるとか言うところで現実と連携しているところがあって、そのあたりにある種老獪な安定感がある。堀江やひろゆきには概念やロジックだけで突っ走れるその意味での強靭さと現実に根を持たない不安定さが同居していて、それがネットというバーチャルな物の本質とどこかで関わっているように思う。

このあたりをヒントにしていろいろ考え始めると、いわゆるリバタリアンのアナーキズム性にもある種の宗教性があるとか、連想が広がっていくことが多くて面白い。私は佐藤のような戦略的・選択的な信仰心とか帰属意識というものの方が理解可能だけれど、私の本質というものがどちらのほうに近いかというとちょっと謎だなと思うところもあって、まあ今のところあまり考えないことにしている。それはともかく、堀江という人間の面白さ(ある意味きわめて迷惑で不調和な面白さだが)を始めて理解できたのは収穫だった、と思う。

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