世の中を変えるつもりでやる/面白きこともなき世を面白く/権威の崩壊した無明の時代の中での希望
Posted at 07/03/29 PermaLink» Tweet
身辺雑記というのは一番原始的な続き物、連載小説のようなものだが、筒井康隆によると小説というのは何をどう書いてもいいというジャンルなのでこれも小説と主張すれば小説ということになる。実際、過去の人間の日記を順番に読んでいくときに覚える面白さというのは、よくできた小説を読んでいるときの面白さと本質的にはあまり変わらない気がする。リアルな現実を生きる人リアルだし、ファンタジーを生きる人はやはりファンタスティックな日記になる。結局は技巧の有無だが、技巧に本質を見て評価すればそこにフィクションとしての価値が生まれ、技巧に本質を見なかったら「そこに文章がある」という存在自体が本質ということになるのだろう。最終的には後者が自分のスタンスになるのではないかという気がする。
昨日は一昨日の夜に見た宮崎駿の話を書いたが、宮崎駿の言った言葉で強く残った言葉を一つかいていなかった。それは、「映画というのは、世の中を変えるつもりで作らなければだめなんだ」という言葉だ。息子の映画『ゲド戦記』を見た感想としてそういっているのだが、相棒の女性が「変わらないけどね」と答えると、「そう、変わらない」と返していた。しかし、私から見れば、宮崎の映画は十分世の中を変えていると思う。少なくともアートができる範囲としては。それが必ずしも私自身がいいと思う方向とは違うので抵抗もあるのだが、彼自身が認識しているよりはずっと、世の中を変えているように思う。
ただ、これは本質的な言葉だと思う。何かをやるときに、何のためにやるのか。やはり、叶わないまでも、世の中を変えるつもりでやる。そうでなければ、作品に、その行動に、力が生まれるはずがない。より大きなものを動かすつもりで作品を作るというのは、今大事なことなのだと思う。そういう力を現代という時代は必要としているし、インターネットの発達という事実は、その力をかなり平等に多くの人間に与えてくれるようになったと思う。そういう意味では、つばさは、与えられている。後は飛ぶかどうかの選択だ。ライト兄弟みたいに、最初から飛べるわけではないが、あきらめなかったら飛ぶことが可能になる人間は、必ずいる。
昨日は朝から職場に出て作業。午前中に切り上げて家に戻り、家の用事を片付けたり入浴したりして11時過ぎの電車で松本へ。整体で体を見てもらう。腰が疲れやすいのは目が疲れているせいか、と聞いてみたのだが、腰が疲れてくると目が疲れていると感じてくるのだ、といわれた。なるほど、原因はむしろ腰にあると言われると、腰を強くすることに意識を集中できる。腰というのは意志と直結した部所だから、意識して強い意志を持つことが体調の改善にもつながるに違いないと思う。粘り腰が利くように、意識しないとと思う。
松本で本屋で立ち読みしたり、街をぶらついて開運堂でお菓子を買ったりして2時半過ぎの電車で戻る。それから夜まで仕事。昨日は暇だった。整体で見てもらった日はいつもそうだが、どうもぼおっとしてなかなか集中できない。ああいう技術は、診ているその時だけでなく、そのあとに身体を変えているのだといつも感じる。カイロプラクティックを受けていたときも、カイロに行くといつも気分が暗くなるなあと思っていた。まあそういうふうにして体が変化しているのだからよくなるだろうと前向きに考えている。
夜は食事をしながら「その時歴史が動いた」を見る。昨日は総集編みたいな感じで「もう一度聞きたい あの人の言葉」という特集だった。番組に登場してリクエストの多かった言葉のベスト10を振り返る、というものだ。いくつか印象に残ったのがあったが、私がいいと思ったのは10位の白洲次郎の言葉、「我々は戦争に負けたのであって奴隷になったわけではない」という言葉だ。戦争に負けたことによって卑屈になっていた日本人に喝を入れるに十分な言葉だろう。今もやはり経済戦争の時代ではあるが、たとえ「負けた」と感じても、いや「負けた」と感じたときこそ、「だが奴隷になったわけではない」、と昂然と胸を張る態度が何よりも重要であると思う。
6位の織田信長の「是非に及ばず」も改めて考えてみればかっこいい。
4位の坂本龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申候」と1位の高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」を比べてみれば、私は個人的には高杉の方が好きだが、ただ日本全体としてこっちがいい、というのはちょっと問題があるような気がしないでもない。ゲストの黒鉄ヒロシもいっていたが、10年前、20年前なら龍馬のことばのほうが上に来ただろう。龍馬の言葉にはやはりこだわりがなく、突き抜けたさわやかさがある。日本を洗濯する、というとぼけた表現にも味わいがある。しかし高杉の言葉の方には、もっと鬱屈したものがある。幕長戦争でともに幕府軍と戦った二人ではあるが、性格は陰と陽、全く異なったものが感じられる。今の人びとが高杉のほうにより共感するとすれば、今の世の中がそれだけ鬱屈した、暗いものを抱えている時代だということになろう。「おもしろきこともなき世をおもしろく」というのはある種の絶望と、それを諧謔で乗り越えていこうとするある種の韜晦が滲み出ている。中断されて下の句がつかなかったこの言葉は、多分中断されたということにも意味がある。ミロのビーナスの失われた腕のようなものである。
ま、しかし、高杉の言葉としては「三千世界の鵜を殺し、主と朝寝がしてみたい」という都々逸の方がもっといい気もする。しかしこんな罰当たりなことを言ってたから早死にしたのかもしれないが。
その後なんとなくテレビを見ていたら『オーラの泉』をやっていた。ゲストは佐渡裕。おもしろかった。江原啓之も美輪明宏も最近バッシングが強いらしく、そのあたりのことに触れた話がかなり多かった。音楽の力についてのトークが国分太一も含めて4人から出て、そうだよなあと思う。私がアンジェラ・アキを好きなのも、そういう力のある音楽を作っているからだよなあ、と思う。ちょっと脱線だが。佐渡とバーンスタインのエピソードはなかなか面白い。この辛いことばかりある世の中、テレビを見ても暗いニュースばかりの世の中をどう考えたらいいのか、ということについて美輪と江原が答えたことが印象深い。美輪は、雑音は関係ない、自分はお寺で悩み相談をしたり、歌を歌ったり、いろいろな活動をして多くの人から感謝に満ちた手紙をもらう、そういう人の声があれば全然動じないでやっていける、死んだあと神様の前に立っても神様の目を真っ直ぐ見ていられる、というようなことを言っていた。江原は、現代は権威が崩壊した時代だ、という。誰かに頼っていれば大丈夫、という時代は終わったと。何がよいもので何がそうでないのか、自分で判断しなければならない時代なのだという。そういう中で自分は自分が正しいと信じることをやっていけばいい、というようなことを言っていた。
このあたり、自分の中でも難しい問題だなあと思う。権威、という問題では、明らかに権威は崩壊しつつある、というのは感じる。問題は、権威を維持した方がベターなんじゃないか、という感覚が自分にあるということで、それをどう考えるかということだ。頑張って、権威というものを維持する方向に活動するのか、それともむしろ自分を信じ、そういう自立した個人の連帯という方向に考えを進めていくのか、ということだ。権威というものは具体的な人間としての形を持った権威だけでなく、無形の権威、つまり学問や教育や医学や法律やあるいは科学そのものや、そういったもろもろを含めて失墜しつつある。ブログを書いている人なら誰もが感じることがあるだろうけど、学問的に正しくないとか、科学的に正しくないといった表現が、あまり通用しなくなっている。「そうですか。それが何か?」と言われてしまえばすべては相対化される。何とか学問的に正しいことを言おうとしても結局は、「俺は学問の力を信じるからおまえも信じるべきだ」ということになるわけで、それをいっている人間に力がなければすべてが相対化されるインターネットの世界で影響力を持つことは出来ないのだ。
なんというか、諸星大二郎が『マッドメン』で、主人公に「俺は科学よりも呪術の力を信じる」と言わせているが、ネットという現代の世界では、それもまたありだということになっていっているのだと思う。
私は根本的に「科学という思想」というものをあまり信じないし、(このへん微妙なのだが、科学的に証明できないものはすべて嘘だと思っているわけではない、というくらいに考えていただければよい)「学問という思想」も必ずしも「信じ」ない。音楽の力とか美術の力というものは信じるほうだ。朝日新聞の広告に「それでも私たちは信じつづける、言葉のチカラを」というある種悲痛なコピーがあるが、やはり彼らが思っているような意味での言葉のチカラというものは、死んだと思う。ただ、言霊というような意味での言葉のチカラというものは厳然と生きていると思う。なんというか、私は世界を呪術的にとらえすぎているのかも知れないな。それが間違っているとは思わないけど。
まあそういうような意味で、いろいろな意味で権威は死につつある。教育の崩壊なんて言うのはその際たるものだ。教育と言うのはある意味そういう伝統と権威というリングのチェーンの中の「一番弱い輪」だという感じがする、特に日本では。しかしそれはやがて、もうはじまっているかもしれないが、その他の輪にも及んでいくだろう。その流れを押し留める方向に頑張るべきなのか、あるいはその崩壊の向うに新しい建設があって、そのために動き出すべきなのか、ということが迷うところなのだ。しかしこういうふうに考えていくと、権威の重要性とかその価値というものは十分認めなければならないし強調しなければならないけれども、これから生きていく私たち自身にとっては、それに、つまり「権威に頼ることはこれからは出来ないんだ」、ということを重々自覚しなければならないということが重要なことなのだと思う。そしてその中で自分の信じる花を育み、花を咲かせる。それによってしか新しい建設ははじまらない、ということなのだという気がする。
団塊の世代以前の人々は、もうどうしても権威というものから根本的に脚を抜けないところがある。ずいぶん強い人だと思うけれども、美輪明宏などですらそういうところがあるような気がする。逆に石原慎太郎とかのほうが根本的には権威というものをあまり信じていない感じがしたりもするが。昨日の放送を見ていたら美輪が江原の最後の言葉に何かすごく動かされた感じがあったが、それはそういうことを初めて自覚したということなのかもしれないと思う。
まあ伝統的な権威に代わって、現代では市場経済というものが新たな偶像(アイドル)になっているのだけど、このアイドルには顔がない。「千と千尋の神隠し」は見ていないが、あのカオナシのようなものだ、という気がする。顔のない神を崇拝する人たちが無明の中で蠢いているというのが現代であるとは言えるのだが、企業家の個人個人を見れば無明の中で蠢いているように見えて本当は自分自身の花を育んでいる人もたくさんいるのだと思う。そういう意味で、ここ暫くはそういう無明の霧の中で無明の霧を呼吸しつつ生きていかなければならないのだと思うが、多分霧はやがて晴れてくるのだと思う。市場経済万能の時代が、あと数十年続くという気も、私はあまりしない。わからないけど。
だから多分、日本的なものの良さとか、伝統の大切さとか、そういうものについて私はこれからも折に触れて書いていくだろうと思うけれども、重心はもっと別のところに移っていくと思う。「古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう」、とは吉田拓郎の「イメージの詩」だが、古くて新しい社会の中で自分がやらなければならないことは古いことを守ることだけではない、ということなのだと思う。教育も、崩壊しきっているように見えて、まだ救い出せるものはいくらでもある。タイタニックが沈んでいくからといって、ただ呆然と見ているだけではなく、救い出せるものは救い出せるし「杉原の生き残り」ではないが、そこから救い出された人たちが新しい時代を作り出す大きな力になるということは、ありえることであるはずだ。
その救い出すべきものは何かというと、「希望」なのだと思う。「夢」とか「希望」とか、色褪せて見えてはいてもまだまだ力があるし、「世界はふしぎに満ちている」とか「憧れは子どもの特権」といったことをもっともっと拾い出していかなければならない。きのう、また新しいページを作っていて、今度は教育というかそういう分野のことをアフィリエイトに結び付けつつ作れないかと思って「anonymous」というのを試作しているのだけど、作りながら学研のサイトを見ていて子どものころ、「科学」の付録を作ったときのときめきとか、「学習」で物語を読んだ時の感動、「ことわざ辞典」とかの付録を熟読して言葉を覚えていったことなどをありありと思い出して泣きそうになった。今は学校で学研が販売するということは出来なくなったから子どもも「科学と学習」というものの存在を知らない子が多いけれども、いまだに高いレベルで奮闘しているように私には思われた。こういう企業が存在することを改めて確認すると、世界はまだまだ何とかなるんじゃないかと思う。
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