プロフェッショナル:宮崎駿

Posted at 07/03/28

昨日帰郷。普段より早い特急に乗って帰る。普段は11時20分ころにお弁当を買うのだけど、昨日は1時間早くなったら、どの売り場も大混雑していて驚いた。なるほど、駅弁というものは「今から食べる」時間ではなく、「出かける前に買って後で食べる」ものなのだ、と気がつく。いつもの売り場が混んでいて買えなかったので、新宿駅に行ってから買った。

車中では『ウェブデザインノート』『銀座の粋を巡る』を読む。なんだか体調が悪くて困ったが、天気はよくて旅行に出かけるという感じなら申し分はなかったのだけど。

仕事はメインになる人が休んで代理をしなければならなかったのでかなり大変ではあったが、何とかこなす。夜は近くのレトロスタイルのラーメン屋に食べに行き、ラーメンと半ライスとギョーザを頼んだがギョーザが聞こえていなかったらしく、食べられなかった。まあいいか。

帰宅後、火曜に移った『プロフェッショナル』を見る。昨日は宮崎駿。私は宮崎アニメは一本も見たことがないので作品についてはよくわからないが、なるほど「描き込んだ」画面だということはわかった。アニメーター100人使うというのはすごいなと思うが普通がわからないので比較も出来ない。政策本番が近づくにつれて不機嫌になったり、それを結構カメラにとらせたり、また息子のデビュー作をはじめてみたときのリアクションなどを見ているといわゆる団塊オヤジという感じなのだが(実際は昭和16年生まれ)、アーチストなんだなとは思う。

しかし、宮崎という人の「感じ」はある意味村上春樹に近いのだが、村上が世界で評価されているのに日本の評論家に評価されていないのと対照的にどちらででも評価が高いのはアニメーションというものと文学というものの違いなんだろう。宮崎は宮崎自身がアニメーションの世界にまだ始まったばかりのころから関わり、アニメーションの世界をどんどん広げていったという意味で、宮崎なしではアニメが語れないというようなポジションなんだろうと思うが、村上の場合は、私は文学の世界を広げたとは思うけれども、それが同時代の誰もが認めるような性格の「広げ方」ではなかったということなのではないかと思う。

「ぼくはどっぷりと孤独な不機嫌な世界に浸っていたい人間なんだよ」というのはよくわかる。よくわかるといっても共感するという話ではなく、理解できるということなのだけど。私もアート系の人間とは付き合いが多かったが、基本的に制作が近くなると、あるいは制作中は、だいたい不機嫌だ。まあ製作中の98パーセントは「上手くいかない」「出来ない」「だめだ」という心理的状況が支配しているわけだから仕方ないのだが。結局自分を追い込むことによってしか自分の中のほんとうにつかみたいものをつかむことは出来ない、というのがアート系の行き方なんだろうと思う。

先ごろ友人の絵描きと電話で話をしていて、「何もしていないように見えても、自分の中で少しずつタッチがたまって行ってる」という話を聞いて天籟に打たれたように感じたが、そういう面というのも自分に必要なんじゃないかなと思った。

アーチストの話というのは面白い。

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by Luke Peterson

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