朝三暮四:ケーキの苺をいつ食べるか/自分の本質を考える
Posted at 07/03/20 PermaLink» Tweet
インターネットラジオ第8回配信しています。
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昨日。またほぼずっとネットの作業にかかっていた。夕方、地下鉄で出かける。パスモが使えるようになっているので、スイカを使ってみる。地下鉄でこれができるのも何だか楽しいといえば楽しい。
結局今でもスイカを持っているので、あらたにパスモを使う気にならないのだけど、しかしスイカのチャージはJRの駅でなければ出来ないから、パスモに乗り換えてしまう可能性もあるなあ。南砂町のような小さい駅でもパスモの販売機やチャージの機械が導入されていて、営団、もとい東京メトロの本気度を感じる。そうしないとわたしのようにスイカをそのまま流用すればいいやと思うやからが多いに違いないからだ。
自分の性質というものについてまた思い返していて、最近ある指摘に思い当たるところが強くあるものがあり、それは自分が今まであまり認めないようにしていたところが多く、それでもその指摘からは逃れられないというところもどこかで認めていて、いろいろ考えたりしていた。
「朝三暮四」という言葉あるが、あの言葉の意味というか言葉の面白さというか、そういうものがいまいちよくわかっていなかった。猿たちが朝四つ、夕方三つ木の実をもらっていたのをこれからは朝三つ、夜四つにするといわれて怒った、というような話だ。同じことなのに猿にはそれが分からない、というのが話の肝だとは思うのだが、なんだか何を言いたいのかよくわからなかった。
で、昨日地下鉄に乗っていてふと思ったのだが、たとえばこう考えればいいのではないかと思った。バイトをして、バイト代として今日4万円もらい明日3万円もらうのと、今日3万円もらい、明日4万円もらうのとどちらがいいか。同じことだ、と思うかもしれないが、私は絶対に今日4万円もらった方がいい。先にどーんともらって後はおまけ、というほうが自分としては絶対嬉しいと思う。今日三万円もらって明日四万円、といわれてもいまいち嬉しくない。でも人によっては、「明日四万円もらえるんだ」と思って楽しみにしている方が嬉しい、という人もいるかもしれない。そういう人は、ケーキの苺は最後に食べる人なんだろう。
ケーキの苺をいつ食べるかというのはある種の大問題だが、まあどちらでもいい問題だ。しかし、そこには好みとか好き嫌いとか想像力とか体のペースいう問題が反映されるわけで、ある意味では興味深い問題でもある。そういうふうに考えると、「朝三暮四」という言葉にはある種の深みがあるように思った。
丸善ではいろいろ本を物色したが、結局パソコン関係の本を買った。日本橋まで歩き、夕食の買い物をプレッセでし、上島珈琲店に入ろうと思ったが混んでいたのでそのまま帰宅。夕食を済まし、何だかパソコン関係の作業も疲れてしまったので早めに寝ようと思ったが昨日も12時を過ぎた。「武道館に桜が咲いた日」のビデオを途中までもう一度見る。椎名林檎のライブが少し挿入されているのだが、なるほどこういうものかと思った。90年代的だなと思う。そんなに好きというほどではないが、アンジェラがこれを好きだというのはよくわかる気がする。
朝起きて、自分の性質についてまだ考え続けていた。昨日一度らじろぐの配信を録音したのだが、どうも自己反省のようなことばかり喋っていたのでもう一度聞きなおしてやっぱりこれはだめだなと思い、もう一度録音しなす。八木重吉をもう一度読んだのだが、どうも今ひとつ不満が残った。その後よく考えてみて、考えてみれば自作の詩を読めばいいんじゃないかということに思い当たる。何だかそんなことに思い当たらないのは何でなんだろうと思うのだが。
ネットで作業していても何だか行き詰まりを感じるところがあって、それはなぜなんだろうと思ったらが、つまりは感動がたりない、感動するものが自分の作っているサイトにはない(まだ未公開のものなのだけど)、ということに思い当たった。じゃあどんな感動するものを作ればいいのか、と思ったのだけど、アンジェラ・アキに負けないような感動をサイトで見せたいと思ったら、(見せられる、とは悔しいけどまだ言えないわけだけど)結局は自分のオリジナルを見せるしかない。自分が見せられるオリジナルとは何かといったら、今のところは自分の詩しかない。
そんなことを考えたら、結局自分は創作系の人間なんだなと思う。それが自分で認められなかったのが自分の苦しさの原因だったのかもしれないと思う。芽の出ない創作系の人間なんて、一番苦しくて役立たずの存在に過ぎないわけで、その路線から何とか変えたいというところが自分にあったのだなと思う。しかしまあそのあたりに本質があるのは間違いがないようなので、それを何とか実社会に適合する形で生かしていくしかない、ということなんだなと思った。
自分では何でも出来るような気がしてしまうけれども、実際にはそうではない。しかし、どんなことをやったとしても、自分の本質というものが変わるということはないのだ。自分の本質を殺すことは出来ないし、そうなったら本当に死んでしまう。自分の本質を全開にして生きられればある種楽だろうが、(全開すればするほど苦しい場合も絶対にあるが)そうでなければ何とかその本質を生かしながらいろいろなことをやっていくしかないのだと思う。
今まで自分で自分を認められなかったのだけど、どうもそういうことらしいという気がしてきた。
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