細かい仕事をフレキシブルに/ロングテールの王者/悪代官と日本経済/やりたいことを見つけるとは

Posted at 07/02/05 Trackback(1)»

昨日は立春だった。暦の上ではもう春。いや、東京の家の近くの中学校はもう1月の終わりには梅が咲いていた。今年の春は早い。というか、冬が浅かったという感じ。旧暦では今日は12月18日。年の暮れという頃。むかしの正月は、本当に温かくなりかけの頃に迎えたということがよくわかる。旧暦では11~12月が一番寒い時期なんだよな。大寒は必ず12月にあった。正月は必ず雨水があるので、新暦なら2月19日頃。「春よ来い」と歩き始めた美代ちゃんがおんもに出たいと待っていそうな頃だ。今夜の月は17日の居待月。月齢と旧暦が一日ずれてるが、まあこのくらいは仕方ないんだろう。

あれこれネットの作業をやったり本を読んだり片づけをしたり。どうしようというビジョンがはっきりしないことが多いのでなかなか進まない。昨年の自分の収支を決算しようと思っていろいろやり始めたが手書きでは大変すぎる、というかあとでデータが使えないので辛いし、かといって本格的な会計ソフトをダウンロードして使ってみたが返って使いにくい。エクセルのマクロを使ってみたりしたがどうも自分の使い勝手にあわない。結局自分でエクセルでカスタマイズしながら入力するのが一番落ち着く感じで、あれこれアイディアも湧いてくる。こういう細かい仕事、自分は得意なんだか得意でないのか分からないところがあるのだが、自分でいろいろ工夫できるなら結構楽しんでやれる。工夫できないただやればいい、というような場面では苦痛以外の何物でもなくなっていく。フレキシブルにカスタマイズできるなら、って能力の問題もあるのだけど、そういうものなら何とか楽しみながら片付けられるということらしい。ということは、あんまり完成されたものを利用しようとしないほうが返って作業がはかどるということなんだろう。ある意味天邪鬼で困る。

これはサイトの手直しなどでもそうだ。決まりきった仕事のパターン、ルーチンを作っておけば楽だ、という面は確かにあるのだけど、でもただそれをやるだけではどうもやる気が出ない。インスタントストアを作っていて思うのは、いろいろとコメントを考えるのも楽しみだということ。なかなかフェイバリットを数をそろえるのは難しいなと思うのだけど、つくってみるとそれなりに充実感がある。今朝はアンジェラ・アキ ストアをつくってみたのでよろしければどうぞ。昨夜は面白そうだな、読みたいなの本棚というのをつくってみた。読んでみたい本をリストアップしていく予定。読むかどうかは分からないけど。

つまり、ルーチン的なものなら徹底的に簡単にしてパッとできるようにしたいし、そうでなければ一つ一つクリエイティブなものをつくりたい。しかし、ほとんどの作業というのはその中間にあるので、面倒でそれでいてクリエイティブでないということが多いのだ。特にウェブなど事務的な作業では。まあ仕方ないっちゃあ仕方ないんだが。

収支のやりかたに関して目処をつけたので夕方出かける。郵便局と銀行をいくつか回る。日曜日の夕方に銀行に出かけてもできることは限られているんだが。三井住友銀行は通帳に対応していないし、三菱東京UFJ銀行は預け入れに手数料105円を取る。預け入れ額に迷って結局2回に分けて預け入れてしまったので210円も手数料を支払わされた。こういうことはちゃんと確認しておかないと業が湧くな。月曜に再度出かける必要あり。

それから丸の内に出る。本を物色していたら買いはしなかったが楽しくなって、いろいろメモ。その結果が面白そうだな、読みたいなの本棚。ブログに書くほどでもないがちょっと気になった本をメモしておくのに役に立ちそうだ。携帯からも操作できると便利なのだが。……この手軽さ気軽さがamazonをロングテールの王者にしたんだなあ。こういう手軽なストアが膨大な商品アクセス機会をつくっていくんだろうなあという気がする。手軽だけど結構凝る気になれば凝れるというあたり、日本人好みだと思う。

日本橋まで歩いてプレッセで夕食の買い物。久しぶりにリッタースポーツのチョコレートを買う。やはりラムレーズンが一番好きだ。

電車の中ではリチャード・クー『「陰」と「陽」の経済学』を読み進める。議論の大枠が分かったらあとは主に読み物という感じだ。どういうことが議論の論点になっているのかとか、財務省や企業経営者のこの説に対する反応のようなものも書かれていて参考になる。

「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか

東洋経済新報社

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バランスシート不況下での財政出動の必要性・重要性というものはこの本を読んでいるとよくわかるのだが、公共事業による景気振興というのがなぜ現在のように悪玉視されているかというと、結局は悪代官(自民党の政治家)と悪徳商人(ゼネコン)などが土建屋(土木建設業者)やヤクザ(民事介入暴力)を使って阿漕な真似をしているという「絵」が繰り返し繰り返しマスコミによって描かれてきたということがあるのだと思う。財政出動推進派はそういう意味で悪代官や悪徳商人に金によって誑かされているというイメージが生じがちで、福田派系の財政再建論が水戸黄門的な世直しイメージを持って語られることになるわけだ。この絵にはもちろん一面の真実はあるのだろうけど(そんな闇の中の世界についてあまり知る立場にない)、ある意味阿漕にやればやるほど景気は立ち直る、という部分もあるところが悩ましいということなんだろう。確かに日本独自の問題として経済からそういう部分を払拭していく必要はあるし、それはある程度はどんな国にでもあるのだろう。裏経済が表経済に悪影響を与えるほどになる状態は改善する必要がある。

帰ってきて夕食を取りいろいろ作業を進める。いろいろやったりしながら思ったが、何というか私自身はもともとプロ的というかつまり専門職的な人間ではないが、まあ生活のために専門職志向、プロ志向を持とうと思いすぎて来ていて、それが思考や発想の自由度を相当損なってきたなと思う。このブログを読めば書いている人間が極めて雑食性の生物体であることは明らかなんだが、つい自分に出来ないことをしようとしてしまう。雑食性なら雑食性なりに生きる道を探さないと、誰もが専門職になればいいというものでもない。

人生というものをひとつのビジネスに例えてみれば、「専門職で生きる」というのは極めて分かりやすいビジネスモデルだ。「手に職をつける」というのが日本人の最も伝統的なビジネスモデルだったのだ。あとはいい教育を受けていい学校を出ていい会社に就職する、というモデルも近代以後はかなりの成功をおさめている。逆に一か八かでパチンコや競馬で稼ぐ、というビジネスモデルはあまり成功した例を聞かない。だからこそスパムでそんなメールが大流行になるのだろう。

しかし、そういう意味でいうと、結局そういった伝統的な人生のビジネスモデルに飽きたりない人が増えているということで、一度しかない人生をやりたいように過ごすためにはそれ以外の方法を模索しなければだめだということに目覚めた人がたくさん出てきたということともいえる。もちろんその「目覚め」が不幸を呼ぶことも多いわけで、平穏に生きていればそこそこの地位に行ったものをそうしなかったために『山月記』の李徴のように悶々とした日々を送る、ということになる場合もあろう。現代は唐の時代に比べればチャンスに満ち溢れているから必ずしもみんな虎になってしまいはしないだろうけど、それでももちろんリスクに満ち溢れていることは確かである。

でつまり結局、「やりたいことを見つける」、という言葉があるけれども、こういうふうに考えてくるとそれはつまり「自分のビジネスモデルを見つける」ということなのだということが分かる。自分の人生というビジネスをいかに成り立たせていくか。破滅型のビジネスというのも会社でやると迷惑が大掛かりになるが個人なら損害は限定的だろうし、まあそれもいろいろな意味で教訓になったり魅力的な存在になったりすることもあるだろう。まあ好きに生きればいい。問題はそのビジネスモデル、つまり生き方がそのビジネスモデルの目的のようなものに対し「しっかり」しているかどうか、ということに限定される。「しっかり」した破滅型の人生というのは相当破滅しそうだ。

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