アメリカは人間が変わることが可能だと考える国だ
Posted at 07/02/02 PermaLink» Tweet
昨日。体調がいまいちで仕事が進まなかった。午後から夜にかけての仕事はそれなりに。松本の仕事の片付けはだいぶ進んだ。
『金持ち父さん 貧乏父さん』をぱらぱらと読みながら、ヨーロッパ型教養とアメリカ型教養の違いについて考える。起業家というのはやはり、アメリカ型の人物像だなと思う。もちろんもともとはイギリスやフランスで出てきた人物類型ではあるが、階級社会の中で貴族・地主の下の層に組み込まれていってしまったためにあらまほしき人物像とは考えられにくくなってしまったのだろう。ヨーロッパの教養はやはり貴族の、伝統や古典的なものが教養の中心に位置付けられていることはいまだに確かだと思う。
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起業家という人物類型はアメリカに渡って爆発的に成功したように思う。特に南北戦争後のことであるが。一番最初はカーネギーだろうか。このあたりもう一つ不勉強なので誰が初発なのかはもう少し研究してみる必要があるが。
アメリカという国で企業家、簡単に言えば産業資本家が(もちろん鉄道資本家や農業資本家もいるが)大成功したのは、貴族という伝統を担う層がなく、農業時代、つまり前近代には社会が存在しなかったので、国の社会構造そのものが工業社会の中で形成されていったということが大きいだろう。産業資本家は社会のトップに立つことが可能だったのだ。逆にそういう社会だったからこそヨーロッパからは長年二流扱いされたわけだけれど。
『金持ち父さん』やその類書を読んでいて思うのは、要するに「人間を変える」ということを目指していることだ。ビジネス的なマインドから自分や人生や世界のすべてを見るようにある意味で人間改造をするということになる。もちろんヨーロッパ的な社会でも伝統教養に順応するような形での教育というものは行われるわけだが、アメリカの特徴は成長し大人になってからアメリカに渡ってきた人たちにも「アメリカ人になる」ための教育が行われてきたということだ。アメリカ人として生まれていない人たちがアメリカ人になる、それは出来るのだということがアメリカの教育というか人間改造というか極言すれば洗脳の思想の根幹にある。ヨーロッパでは生まれながらにして人間はかなりの部分属性を決定されてしまうし、それは社会主義国などでも出身階層によって成分が決定される点では同様だ。ソ連時代の有力政治家の出身家庭は必ず「革命的労働者」の家庭だった。出身による差別はイデオロギー的に正当化されていた。
人間を変えるということに対する楽天性というか信念というか、そういうものがアメリカのカルチャーの根本にあるわけで、そのことがアメリカと他の国々との軋轢の最大の原因なのではないかと思ったのだ。イラクは民主化できる。日本は民主化された。そのようにシンプルに考えられるのは、信念が背景にあるからこそだろう。
私がアメリカのカルチャーでちょっと待ってくれよと思うのはやはりそういうところだ。アメリカ人になるということは出身国の人間ではなくなるということを意味し、その関門を潜り抜けられたものだけがアメリカ人になれる。そうやってアメリカ人になれた人々にとってはアメリカはやはり選民の国だということになる。そして、世界にはアメリカ人になれた人びととアメリカ人になれなかった人々がいる、という考えもどこかにあるような気がしないでもないのだが。
日本は当然もともとは日本に生まれた日本人の国で、その意味でヨーロッパの伝統重視に親和性があるのだが、明治維新などの移行期にはアメリカ的な「新しい人間になる」ということが強く肯定的に捉えられた時代もあっただろう。現在、アメリカの成功譚を中心としたある種の立志伝が読まれるようになってきているのは、現在がまたそういう時代になってきたということはあるのだろうと思う。
***
昨夜の『プロフェッショナル 仕事の流儀』は面白かった。一人の人間が二つの仕事をしながら三つのアイディアを出す、とか。それにしてもみんな忙しいんだな。まあ私自身もあれに近いような仕事の仕方をしているときもけっこうあるが。ただ疲れてダウンする時間がけっこうあるのが困ったことだ。
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