ダークサイドと90年代/リチャード・クー『「陰」と「陽」の経済学』
Posted at 07/02/04 PermaLink» Tweet
昨日。昨日は寝坊して起きたら10時半過ぎだった。ぼおっとしていて動き始めたのは12時を過ぎていた。何だかどうなの、という感じだが、今日などは昨日早く寝たので朝4時半頃からいろいろやっているのだが、さてブログを書こうと時計に目をやると8時を過ぎている。朝早く起きるといかに時間が有効に(?)使えるかということかもしれないし、いかに動くまでにぐずぐずしているかということかもしれない。今朝などさあブログを書くぞ!と何回思ったことか。実際に書き始めるまでにああでもないこうでもないと考えているから書き出せない。書き出したってこんなことばかり書いているからいつ書き始めても同じようなものだが、それでも微妙にいろいろ違うことは違う。
昨日は昼ごろ西友に買い物に行って食糧を仕入れ、午後遅くに大手町に出て丸善で本を探す。最近『金持ち父さん』だの『商品先物』だのの本ばかり読んでいてちょっと頭が変だ(いや、このモードに慣れない、ということです念のため)と言うこともあるのだが、自分の中の「彷徨い感」が相当アップしている感じがする。「彷徨い感」は得てして「焦燥感」へと転換しやすいのでそうなると面倒だなとは思うのだが。金融関係や自己啓発関係を一回りしてマンガや小説、文庫や新書を見て回るが「これが読みたい」と思うものは見つからず。パソコン関係のところでいつもミクシィの関連書籍に心が惹かれるのだが結局買わない。これはある種の批判本というかそういうものなので、まあ私的にはちょっとダークサイドの本で、心して読まないとあとが困るという種類の書籍だと思う。まあ昨日の「アマゾン殺し」のエピソードも相当ダークなもので、清く正しく美しく、ではないが、「澄んだ心でいられる」物だけについて書いているほうが楽でいい。そういうのって書き手によって違うのだろうけど。ただ、そういうお上品なものばかりについて書いているとわりあい早く行き詰ってしまうのも確かで、人間というのはそう単純には出来ていないことは確かだ。自分の中にも相当直視したくないダークなものがあるんだろうなあとは思うが、若い頃はあんまりそういうことが実感できなかった。つまり、若い頃に想像できるダークなものなんて逆に言えばたいしたことはないのだ。たいしたことはないといえば語弊があるが、ひねりがないといってもいい。
しかし、そういうダークさという部分で言えば、80年代はまだ牧歌的だったということはあるんだろうなあと思う。「オタク」という言葉が世間的に認知されたのは89年の宮崎勤事件だったそうだが、あの頃からそういう意味でのダークさというのは深まりつつあったのではないかという気がする。そういうものは多分趣味の領域として心の闇の中に仕舞われていたはずのものだったのが、それが世間に流出することによってある種のパニックが起こり、その連鎖反応でいろいろなオタク現象が公認されるようになって類を見ない仇花が90年代にいっせいに開花した、ということなんじゃないかという気がする。つまり、80年代に蒔かれた種が90年代にラフレシアのような毒々しい花を咲かせた、ということなのだろう。オウム真理教なども心性的には80年代の産物だがそれが行き着くところまで行ったのは95年だった。
あの頃はほんと私などには理解できない現象がいろいろあって、しかし個人的にも一番苦しい時代だったから社会のことについてまともに考察も出来なかったのだけど、『新世紀エヴァンゲリオン』などにしても、安室奈美恵やその系統の音楽の流行にしても、何だか全然心に響いて来ず、心の下のほうのある不気味な部分(なんていえばいいんだろう、やっぱり無意識とか前意識とか、つまり悪夢を見るのに使われるような、心とも認識していない部分、心を海とたとえれば理性の太陽の光の届かない深海の部分とでも言えばいいのか)に空しく反響する空っぽの貝殻のリフレイン、みたいな感じだった。宮崎アニメとかもそうだな。たかもちげんの『祝福王』というマンガがあったが、あれにも同じようなものを感じたが、まだ宗教をマンガにするというスタンスが明快だったから、分かりやすかったし90年代の文化現象を自分として理解するためのひとつの導きの糸のようにかんじる部分もあった。
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そういう意味でいうと、自分の中でも無意識のどこかは時代に共鳴していた部分があったのだけど、っていうか人間存在である以上当たり前なんだろうが、自分という存在がとんでもなく時代とずれ始めたのは90年代のことだったんだろうなと思う。今考えてみても何だかおぼろになってしまった記憶が多い。いちおう正気に戻り始めたのは2001年くらいからだろうか。いや2002年の9月17日、日朝首脳会談のショックからかな。あれくらいから世間の流れと自分の中の思考がようやくマッチし始めた。90年代は自分にとっては長い眠り、長い悪夢を見ていたような時代だったんではないかという気がする。
そういう意味ではまだ悪夢の清算を続けている部分があって、こうやってこういうことを書いているのもある種の吐き出しだろう。人間には暗い部分がある、ということを知るのに費やした10数年だったのかもしれない。もうあんまりそういうものに付き合いたくはないが、そういうものがあるということを知っておかないと危険だという意味では、高い授業料だったがまあいいかという感じではある。
なんか心の中のダークさ、ということについてずいぶん書いてしまったが、別にそういうことを書きたかったのではなかった。丸善で本を物色して、あまりいいのが見つからずにちょうどやっていたマッケンジー・ソープの展覧会を見た。彼はディスレクシアという学習障害(LD)を持つ画家だそうだが、何というのだろう、村上隆的なというか、平面的な面白い絵を描く人だ。愛とか共感というものは単純で、恐怖というものが羊飼いのような黒く描かれているもので表現されている、ように思った。
こういう絵はなかなか自分で買う気にはならないが、強烈なメッセージ性がある。考えようによってはインスピレーションを湧かせるためには有効な絵なのかもしれないとも思う。仕事部屋に飾るという手も実はあるのかもしれない。
なんとなく気分が変わってもう一度本を物色して歩き、一階の経済書のコーナーでリチャード・クー『「陰」と「陽」の経済学』(東洋経済新報社、2007)を買った。
「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか東洋経済新報社このアイテムの詳細を見る |
ぱらぱらと立ち読みしたが、これはなかなか面白い。出た時点ではなんとなく発展著しい中国人が勝ち誇ったような経済書なのではないかという先入観があって(こういう先入観を文字にしてみると実は結構私自身もダークサイドに堕ちているということが分かって嫌だが)読む気にならなかったが、読んでみるとそんなものではなく、90年代の日本の不況についての分析だった。
彼の議論を読んだところまでかいつまんで述べる。この10年の日本の不況は人類がかつて経験したことのない規模の不況で、GNPの3年分の国富が失われたという。アメリカの30年代の大恐慌におけるアメリカの国富の喪失や第二次世界大戦における日本の国富の喪失でもGNPの1年分だと計算している。
この不況の原因はいわゆる経済の構造問題でも銀行の問題でもないという。経済構造の問題というのは、要するに供給側の能力の低下、つまり70年代のアメリカやイギリスの製造業が魅力のない製品しか作れず日本製品等に押されてしまったことを指すのだという。そういえば小泉構造改革の掛け声が盛んだったとき、売れる商品やサービスを作り出せば売れる、という掛け声が確かに盛んだった。しかし、クーによれば、この不況感も日本製品は世界中で売れていたのであり、売れなかったのは国内市場だけなのだから、問題は需要側にあって供給側にあったのではない、と断言する。
また、銀行の問題であるとすれば低金利下で企業は資金を借りまくり、利益の最大化を目指したはずなのにそうしなかった。また、銀行の貸し渋りが原因だとしたら社債をたくさん発行したはずなのにそうもしていない。だから銀行自体に問題がなかったとはいわないにしても、銀行が不況の原因であるということはないという。つまり、国内経済の構造の中で銀行が十分に役割を果たさなかったことが不況の原因ではない、ということなのだろう。
確かに考えてみれば不思議だが、その通りだ。中小企業の倒産には責任があるにしても、社債発行能力がある大企業がそうしていないというのはおかしいだろう。またこの低金利かでも銀行から金を借りることの出来ない個人が消費者金融に走り、消費者金融が銀行から低利で融資を受けて小売で個人に貸し付けたわけだから空前の儲けを上げたのも考えてみれば理の当然だ。資金需要がないところに貸そうとして貸せず、資金需要がある個人客には頼まれても貸さないというのが銀行であったわけでそういう意味では責任が重いといえなくはないが、銀行には個人貸し出しに関するノウハウがないわけで、だからこそ大手消費者金融と銀行の提携という形で銀行も個人客の取り込みに走っているわけだ。そういう話だけ聞くと阿漕だが、考えてみれば彼らは「経営上は」理に適ったことをやっている。ただ、うまくやれなかった運の悪い個人がひどい目にあっていると言うことで、これが誰の責任なのかということは議論はなかなか一致しないだろう。
では何がこの大不況の原因だったのか。クーの議論は以下のようになる。
「…経済には大きく分けて「陰」と「陽」の二つの局面があり、大学で教えている従来の経済学は「陽」の局面を前提にしている。このようの局面では、民間企業は良好な財務基盤を前提に利益の最大化に向かって邁進しており、そのような中でのアダム・スミスの言う「神の見えざる手」は、経済が大きく拡大する方向へと導いてくれる。
ところが…バブルが発生して崩壊すると、経済は陰の局面に入る。この局面下では、バブル期に借金で購入した資産の価値が大幅に下がり、負債だけが残った企業が、その過剰債務を一掃しようと一斉に借金返済に回る。つまり、この局面では企業の経営目標は経済学の大前提である利益の最大化を離れ、債務の最小化に移っているのである。
…多くの企業がいっせいにこの方向へ動き出すと、経済全体では家計の貯蓄分と企業の借金返済分の合計に相当する総需要が失われる。…そうなると、「神の見えざる手」は継続的に縮小均衡へ持っていくように働き、ここから「陰の経済」と言える長期不況が始まるのである。」
この、企業の目標が「利益の最大化でなく債務の最小化」になる、というテーゼはなるほどと思った。借金の返済は何も需要を生み出さない、それが大規模になればなるほど経済の停滞は長引く、というのも非常に説得力がある。つまりは企業のバランスシートの不均衡、財務状態の極度の悪化が不況の原因だったと言うわけである。したがって、財務状態が改善されつつある現在の好況は本物であって、基本的に日本経済は危機を脱した、ということになる。
実はまだ24ページしか読んでいないのだが(笑)、議論の中心は既に読んだ部分にあるようだ。あとはさまざまな実証と、30年代のアメリカの不況も実はこの「陰」の経済状態のバランスシート不況であったと言うことを説明する方向に行くようだ。
もちろん経済学には素人なのでこの議論の評価については学問的な判断は下せないが、常識的に考えると説得力はあるように感じる。政策運営者はこうした知見を生かして、ああいうひどい時代が再び来ることがないようにしてもらえればいいと思う。
まあしかしこういうレベルで経済を考えると、身の回りで起きていることからは見えないことが見えてきて面白いとは思う。ただ、マクロな世界で見るとある意味理の当然のように動いていることでも、ミクロの世界で見ると極めて残酷な現象になってしまうこともまた数多くあると言うことも確かだと改めて思う。経済とか政治とかの大きな世界のみを見ていると見えないものもまたあるわけだ。
ただ、こういうものはダークだと言うよりはある意味明暗を超越した上空からの「鳥の目」を持つようなもので、ある意味非常に面白い。現代の経済学が発達した大きな出発点はアメリカの大不況だったと言うが、日本の大不況からまた新しい経済学が生まれてくればこれは確かにまた面白い。これからの日本は経済の時代と言うより経済学の時代になるかもしれないなと思ってみたり。「経済学はアメリカの方が遙かに進んでいる」と何とかの一つ覚えのようにいう人も多いが、これをきっかけに日本の経済学が発展を遂げ、その経済学の力で再び日本経済を隆盛に持っていければ、大きな犠牲を払った意味もあるのではないかいうクーの論調には、深く共感する。
この文章を書きながらつかえると入浴したりしていたら昨日amazonで注文していた商品先物の本が届いた。だいたい32時間後だ。すごい早さであることはやはり確かだ。
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