時代の刺激を受けること/「頼るな」と「使うな」

Posted at 07/01/09 Trackback(1)»

昨日はどうも疲れてしまって、早めに寝た。そうしたら夜中に目が覚めて、少しネットを見たり考え事をしたり。また寝たのだけど、寝たのかおきているのかよくわからない感じだった。変な感じだ。

今朝はやることもあるので5時半に起き出す。何だか寒いのでお風呂にお湯を溜め、足湯をする。だいぶ温かくなった。やらなければいけない仕事を簡単に片付け、メール送信。メールって便利だな。(いつの時代の人か)

昨日はあまり出かけるつもりはなかったのだが、午後4時頃どうも少し煮詰まったので銀座に出かける。久しぶりだ。銀座はバーゲンのシーズン。しかも成人の日で休日だ。歩行者天国。思い切ってヨシノヤものぞいて見る。高いけれどもいいなと思う靴がたくさん。頑張って買いに来たいもの。

教文館をのぞく。大混雑。なぜだ?教文館でバーゲンをやってるわけではないのに。娘や奥さんがバーゲンに参加している人たちの連れが教文館に流れ込んできているのだろうか。いわばバーゲン難民だ。付き合いきれないので店を出る。三越へ。

三越の中のほうが空いているくらいだ。といっても上の階には行かず、地下で夕食の買い物をして帰った。少しの時間しかいなかったが、やはり銀座はいい。何だか元気が出る。

家に帰って相撲を見ながら夕食。大関がばたばた負ける。その中で魁皇は強かったな。今までよく負けていた新成人の稀勢の里に逆転勝ち。相変わらずこの人は強いのか弱いのかよく分からない。少なくとも引退の声がかかっていたとは思えない感じだ。

村山孚『孫子の言葉』を読み続ける。兵法の中でも人間心理のあやのような話は読んでいても分かりやすい。ただ逆説的な、警句的な言葉が多いので引っかかって失敗する人は多いだろうなとも思う。いわゆる「生兵法は大怪我のもと」というヤツだ。孫子十三編を今のような形にまとめたのは魏の曹操だというが、なるほどと思う。

勝つための哲学 孫子の言葉

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知識として初めて知ったのは、川の北、山の南の日当たりのいいところを「陽」といい、反対を「陰」というのだという。つまり洛陽は洛河の北だから洛陽なのだ。咸陽は山の南川の北でみな陽なので咸陽なのだそうだ。それでは淮陰とは淮水の南ということなのかな。

情と規律の兼ね合い、という問題で、信服していない部下に厳しい規律を押し付けると部下は信服しないが、信服している部下に規律を与えないとわがままになって使いようがなくなる、という話はなるほど、と手を打ちたくなるような感じだった。経営理論でマグレガーという人が規律重視のX理論と自主性重視のY理論とを分類したというが、信服している人間に対してこそ規律を正しくしなければいけない、というのは腑に落ちるところがあった。未読了。

『佐伯チズの頼るな化粧品!』は読了。印象に残ったところ。肌の塩害、という話。汗や涙は肌のトラブルの原因になる、というのはそうか、と思った。泣くのは健康にいい、という話もあるが、ちゃんとふき取っておかないとトラブルの原因になるというのはそういう気がした。確かにあくびなどをしても涙が出たあとの目の周りは少しひりひりする感じがある。

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ストレス解消のためにデパートを上から下まで一巡する、というのもなるほどなあ、と思った。そうすると「時代」が見えてきて、マネキンの格好や食器売り場の流行を見ていると、メイクの流行の方向性も見えてくるという。デパートはそういう魔法の箱だ、というのはその通りだろうなあと思った。私が何だか疲れて来たら銀座に出かけたり、デパートを見て回ったりするのもそういう「刺激」を受けるという意味があるなあと思う。やはり銀座には美人が多いし、歩いている人が着ているものも「おっ」と思うものが多い。大きな本屋に行くのも新しい本の動向を感じるためだし、これは図書館では感じられない。そういう時代の最先端というか、流行の最先端に触れていると知らず知らずのうちに自分の淀んでいた部分が動き出し、すっきりしてくるという感覚はよくわかるなあと思った。

アメリカから学んだものとして日常を楽しむのが上手だ、ということをあげていたのは、そうだろうなと思った。私がアメリカに行ったときはちょっと変わった家だったのでどこまでがゲスト向きでどこまでが日常なのかよくわからなかったが、日本人は日常生活をうきうきしたものにするという技術がそんなに優れているわけではない。しかし昔のきめ細かな心遣いというものが受け継がれていたら、それなりに日常も楽しく張りのあるものだったのではないかという気もするが、そのあたりも少し遠くに霞んで見えることであるのは残念だ。

全体的にいって、この本はとても面白かったしためになるという感じだった。昨日本屋を見ていたら文庫で出ているのを発見したが、これは単行本で買っても価値があると思った。アマゾンの書評を見ていたら「化粧品に頼るなといいながらディオールの製品を勧めていて思いっきり頼っている」というような批判が書いてあったが、佐伯は基本的にメイクアップアーチストでありエステティシャンであるわけだから「化粧品に頼るな」といっても「化粧品を使うな」という意味ではないだろう。「これをつけておけばあとは不精しても大丈夫」「化粧品に無知でも高いものを使えばOK」というような「頼り方」を批判しているのであって、きれいになりたい、という主体的な姿勢を持って、「化粧品を使いこなす」ようになること、よけいなものを使わず、いいものを選んで使い、だからといってけちけちせずに、きれいになることを追求すべきだ、と言っているのだと思う。これは全く最もな意見だと思う。

受験などでも、学校に頼るな、という言い方をすることがあるが、それはもちろん学校に行くな、とか授業をサボれ、ということとは違う。先生任せの勉強をするのではなく、主体的に勉強に取り組めという意味なのだが、なかなかそう考えられる人が少ないように、化粧品に頼るなといわれると使うなという意味だと思ってしまうのかもしれない。

自然志向の強い現在となっては化粧品などの「化学物質性」を忌避する志向が強いのは基本的にはよくわかるが、「使いこなす」という姿勢で果敢に「きれい」を追求する考え方はありだろうと思った。塾に頼らない、といって学校の勉強以外しなければなかなか受験に対応できる学力をつけるのが難しいのと同じように、化粧品もよく理解して使うのと全く使わないのとではやはり「きれい」の実現度は違うだろうと思う。

まあ昔のように白粉に鉛が入っていて顔がただれてくるような種類のものは許可されていないだろうし、自分なりに調べて考えて使えばいいのではないかと思うのだが。まあ、専門外だし当事者ではないものの感じたことではあるが。

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