調子が悪いのに食べ過ぎる/体を内側から突き動かす力

Posted at 07/01/06

昨日の日記に飲みすぎて調子が悪い、ということを書いたが、どういうわけだか昨日の昼も食べすぎて昨日の午後も調子が悪かった。午後から夜の仕事ではまあ何とかなり、最終の特急に乗って小さめの弁当を食べ、11時過ぎに東京に帰り着いて何とかなったと安堵してまたいろいろ食べたらまた腹の調子が悪くなった。アホかいな。

それにもめげず2時ごろまでいろいろやってしまい、起きたら9時を回っていた。今朝は午前中に人が来る用事が二つあるのに、と思い慌てて起きだすとジャストで排水管の清掃が来た。そんな状態だったのでキッチンの流しも洗面所も風呂場も全然掃除しておらず、少々恥ずかしいことになった。

まあしかし早めに用事が終わったと安堵していたが、次の人がなかなか来ない。買い物にも行けないし風呂に入ったりもできないし、困ったなあと思いながら無意味にネットを見たりテレビを見たり。頭が働かないので本を読む気にならない。布団をたたみ、洗濯物をたたみ、あまり考えずにできることだけ片付けるとあとはそんなことばかり。

お昼前になってようやくゆうパックが届く。しかし初めて知ったが、縦横高さ計100センチ以内で長野県東京間で1000円。ヤマトの宅急便なら1060円。ゆうパックはずいぶんダンピングしているようだ。それでクロネコヤマトの社長が怒ってたんだな。この荷物、昨日田舎の駅前のコンビニから自分で送ったので料金は承知している。ヤマトだと普通は朝早く、時には9時前に届けてくれるのでヤマトの方が基本的にはいいのだが、料金を考えると難しいなあ。

中身はリンゴ。暮れのうちに買ってあったのに東京に送るのを忘れていた。早速一個切って半分食べてみる。滅茶苦茶な方向に体は動くのだが頭がろくに動かないので、腹の調子が悪いのにものを食べてばかりいる。バナナがあまっているからと言ってバナナを食べては腹が冷え、リンゴが来たからといってリンゴを食べて胃に来る。全くもってどうしようもない。

とりあえず一安心して近くのコンビニで昼飯を買い、ついでに村山孚『勝つための哲学 孫子の言葉』(PHP研究所、2006)を買う。何だかこれもあまり物を考えていない選択だが、『孫子』に書かれていることを実例を挙げて(武田信玄とか、真田幸村とか、ビジネスや人間関係の場面とか)説明しているところが何だか面白そうだと思ったのだ。未読。

勝つための哲学 孫子の言葉

PHP研究所

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昼食を食べて腹が落ち着いたと思い、リンゴの残りの半分を食べたらまた腹が冷えてきた。全く馬鹿だな。風呂に入り、ようやく少し落ち着いて来た。外は雨。雨だから雪ほどは寒くないはずなのだが、息もかなり白いし、やはりかなり寒い。こういうときはあまり外出する気分にならない。腹もおかしいし。

昨日の帰りは暮れの帰京のときのように特急はがらがらで、小淵沢あたりで弁当を食べ終えると座席を回して四人がけにして靴を脱いで足を伸ばして座った。最初は金子光晴『這えば立て』を読んでいたが、だんだん眠くなりかなりの時間は寝ていた。しかしそれにしても、足を伸ばすと普段の帰京に比べて百倍楽だ。いつもは八王子までは混雑しているのでそういうことは出来なくて、八王子で足を伸ばして少し寝入る、というのがパターンなのだが、昨日はほとんど伸ばしっぱなしだったのでものすごく楽だった。グリーンだと足を乗せるところがついているので多分そのせいでだいぶ楽なのだと思う。私は家で寝っ転がっていても椅子の上に足を乗せて体より高くするとすごく楽になるたちなので、本当に空いているとありがたい。

目を覚ましたあと、それから新宿から地元の駅までの間、『這えば立て』を読む。破天荒の面白さ。ものを考えていないというか、何かに突き動かされるように暴れたり放蕩したり漢籍に耽ったりした若い日のことを思い出しながら淡々と書いているのだが、何だかこっちまで思考が停止して何かに突き動かされるように体の中のエネルギーが目覚めて動き出しそうな感じがする。金子光晴という詩人はただものではないことは確かだなと改めて襟を正す思いがする。生まれたのが日清戦争中の輪中地帯、養子に出され物心がついて暴れ始めたのが日露戦争中の京都。そこで文春の有名な編集者、佐々木茂索の一家と出会ったり。東京に出てきて泰明小学校に入り、万引き団を組織したり、暁星中学に入ると桂太郎や若槻禮次郎の子息と浅草の娼家に入り浸ったり。物理の実験時間中にてんぷらを揚げて食べたとか、滅茶苦茶を絵に描いたようなことをしている。その時代に文学に目覚めたり、また体の悪い娘に恋をしてその娘が亡くなると不品行がぴたっと収まったりと、本当に嵐の中に漕ぎ出した小舟のような人生を送っている。そういうのを詩人体質とでも言うのだろうか。未読了。

這えば立て

中央公論新社

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昨日帰宅したときにここ数日分に届いた年賀状をチェックしていたら、一枚だけこちらから出していないのがあったので墨汁を硯に落として書く。しかし暮れに書いたようにはうまく書けない。やはりまとめて書かないとだめなんだなあと思う。

コーラン手に宣誓 民主のエリソン下院議員(産経新聞) goo ニュース

コーランを手に宣誓。ジェファソンの所有物だったというのも面白い。今までもユダヤ系やモルモン教の議員が聖書以外のものを手に宣誓したことはあるというのはなるほどと思った。日系人だったらどうするか。っていうか自分がそういう機会があったらどうするかと考えると宣誓するような本はないなあ。どうするんだろう。

著作権延長の議論。最近松本零士がこういう問題に絡んでよく出てくるが、この人いったいどうしちゃったんだろうという感じがするのは私だけだろうか。自分はリスペクトされたりない、ということしか言っていない気がしてしまう。私は著作権保護に関しては死後50年で十分な気がするし、欧米が70年に延長されたのはディズニーの不当な圧力を感じているのでちょっとどうかと思う。作品はその人のものであると同時に社会のものでもあると思うし、死後50年たったら社会に還元される、という考えが美しいような気がするのだけど。70年というのはちょっと縛り付けすぎであると思うのだけど。

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