ミル『自由論』:合理主義の強大なデーモンとそれが引き出すもの
Posted at 06/12/25 PermaLink» Tweet
J・S・ミル『自由論』読了。読みやすいとはいえ、さすがにこの種の古典は骨が折れる。とにかくざあっと通して通読しただけなので、細部までしっかり理解したとはいえないが、それなりのメッセージは受け取っているという感じ。
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正直言って、非常に常識的、という感じ。非常に合理的に物事を考えているし、自由についての考え方もものすごくオーソドックスで、古典を読んでいるときに感じがちな違和感がほとんど出て来ない。つまりそれだけ、私の、あるいは私たちの世代の『自由』に対する観念が間接的にしろ伝統的にしろ教育の中にしみこんだ形にしろ、強くミルの思想の影響を受けているということの証明でもあるだろうと思う。違和感があるとしたら、『当たり前』と感じることをじつに徹底的に論証している部分そのものにあると言ってもいいかもしれない。そこまで言わなくてもいいだろう、と思うくらいくどいくらいに論証をあげ、逆にその部分に19世紀中葉のイギリスの歴史的現実のようなものが読み取れて歴史をやるものとしては興味深い、とかんじられる部分もあったりする。
第三章、『幸福の要素としての個性』の章で、個性についての考え方もやや特権的に賛美しているようにとられる可能性もあるが、私自身としてはやはり呆れるくらいに中庸が取れているというか常識的な感じがする。強力な個性がなければ歴史は進歩しないと言う思想は私自身にとっても疑いようのないことで、おそらくこのあたりのところに社会経済史的(つまりマルクス主義的)な歴史観の人は反発するだろうと思うけれども、今現在の一般的な見方から言えば十分にバランスが取れているように思う。
第四章、『個人に対する社会の権威の限界』の章では、社会契約論を否定しているのが面白かった。「社会は契約に基づいて作られているわけではないし、社会的な義務を根源から説明するために社会契約を想定しても、何の役にも立たない。」(p.168)それでは社会あるいは国家の根源をミルは何に置いているのだろうといろいろと考えてみたのだが、要するにつまりはベンサムの言うところの「最大多数の最大幸福」、つまり合理主義的な社会観、国家観に立っていると考えればいいのではないかと思った。つまり、社会を成り立たせるための「神話的」な起源論、それが社会契約論であれ部族国家観であれ天孫降臨論であれ英雄建国論であれ、そういうものに全く重きをおかず、今人間が秩序と安全を維持しつつ幸福に生き生きと生きていくための社会状態のみを考えようと言う見方なのではないかと思ったのである。
彼の考え方は非常に道理に適っているし、合理的である。つまり、「道徳的であることがすなわち合理的」なのだ。これはじつに社会維持的な見方で言うと説得力のある見方であって、人はなぜ道徳的に行動しなければならないかと言うと、そのように行動し生活するのが最も合理的でうまく社会が動くからだ、というのは若い頃に一番納得した道徳の必要理由であったことを思い出した。これが「合理的であることがすなわち道徳的」ということになるととたんに最も抑圧的なほとんどチャップリンの「モダンタイムス」の世界になってしまうわけで、実はそう考えている人も少なからずいるのではないかと思うしそのあたりは桑原桑原である。
彼の原則は、個人のみに属することは個人が、社会に関係することは社会が決定するべきで、個人のみに属することに社会は干渉するべきではないし、社会に関係することは社会が責任を持って処さなければいけないと言うことである。第五章『原則の適用』は要はその境目にあることに対してはどう対処すればいいかと言うのがテーマで、飲酒や売春、あるいは毒物の販売など個人的な行動でありつつ社会的な害毒につながりやすい現象について論じている。基本的にミルは呆れるほど楽観的に個人の行動を肯定するが、個々のケースについてはさまざまな論考を加えている。そしてその施策方針が絶対のものとは全く考えていない。しかしその真剣な思考には感心させられる。
もうひとつ印象的なのは教育問題で、十分に子どもを育てる意志も能力もないまま子どもを生み育てることに対してかなり真剣に怒っている。親権をたてに子どもの虐待があとを絶たない我が国の現状などを考えると、このミルの主張はある種一石を投じるものではないかとすら思う。最後に述べられているのが官僚制の問題で、官僚制の弊害を防ぐための仕組みづくりについていろいろと述べているが、残念ながらその問題が全く解決していないのは誰もが知っている通りで、霞が関改革を考えている安倍総理にもこの本は読んでもらいたいという気がした。
いろいろな意味で、この本は非常に常識的かつ合理的であり、明治二年に訳された『自由之理』が明治初年のベストセラーになったのも頷ける。当時の若者がこの合理主義に強く心を揺さぶられたのはそれが時代の風だったからだ。
しかし私は何というか、やはり読んでいて退屈してくるところもあった。というのは、すべてがあまりにも正論なのである。乱暴なところが全くない。それはある意味凄いことで、このミルという人間が私などとは比べ物にならない強大な意志と自己統制能力を持った巨人であるということは覆い隠すべくもなく伝わってくる。そういう意味で、この人間の凄さというものには素直に感嘆すると言うことはいわなければならない。
彼の飽くことのない思考能力とすべてのものを考えに入れ、統制し位置づけていく吸収力と管理能力によって、この世はすべて合理的に理解し対処していくことが「可能」であることが示される。これはもちろん彼の処理能力によって初めて可能になった、いや可能と考えてもいいように見えるようになったことであろう。そしてそこには尋常ではないエネルギーが注ぎ込まれているのだと思う。ここで私が感じさせられたことは、合理主義というのはある種デーモン的なものであるということだ。合理主義へのデモーニッシュな情熱があって始めて、世界は合理的に見ることが可能であるように見えてくるのであるし、その強力なバイアスによって人類は「進歩」させられてきたのだと思う。
『ラプラスの魔』という言葉があるが、その憑かれたような情熱に憑いているものはやはりある種の魔なのだと思う。予断だが、全く狂ったように合理主義を主張する人が今の時代にも少なくないのは(何というか、特に理系の人のブログなどを読むと凶暴なまでの合理主義の主張があってびっくりしてしまうときがあるのだが)やはりそこに人間の本性に由来するデーモンが顕現しているからなのだと思う。これは余談。
話を合理主義そのものに戻す。なんというか、私自身がそういうものを自然に呼吸しつつ成長してきた世代であり、その延長線上に自然に物事を理解しつつ大人になった世代であるなと思う。そして、多分、先が見えてしまった、いや、見えてしまったような気がしたのだろう。いつの頃からか、「合理主義などつまらない」、と思うようになったのである。
合理主義は確かに世の中を進歩させたかもしれないが、合理主義的に生きていても、一体何が面白いのかと思う。そんなつまらない生き方をわざわざ一回しかない人生で(少なくともその頃は輪廻転生を真剣に考えたこともなかった、いや今でもそんなに真剣に考えているとはいえないが)しなければいけないんだろうと思うようになったのだ。これはごく自然の成り行きだったのでいつごろからそう思ったかと言うこともよくわからない。しかしニーチェの非合理主義や演劇的な非日常性、合理的な思考では割り切れない身体論的な世界などに引かれていったのはそういうところがあったからだと思う。
しかしだからといってオウム真理教やその他変な宗教に魅かれたりしなかったのは自分の中に相当強固に合理主義的な思考があり、そこで磨かれたカンのようなもので「あれはヤバイ」と思ったからであったということはある。私はヤバイものには基本的に敏感で、結構それで危険を回避してきたとは思う。そういう意味で危ない場面は実は何度もあったのだが。
80年代と言うのは、それをそういう世代として体験した世代にしか分からないものだろうとは思うが、ある意味そういう非合理的なものをじつに面白がる時代だったと思う。オカルト的なものやオタク的なものが市民権を得たのもあの時代であったし、今からいえば結構キワモノっぽいモノにもアカデミズムが結構近づいたりもしていた。
それが完全に崩壊したのはやはり90年代半ばの一連のオウム事件と阪神大震災の衝撃であったのだと思う。キワモノの一環としての支持に変わりつつあった(と言ったら言いすぎだが)社会主義への信頼もあの当時の村山内閣の対応によって一気に失われた。
そして現在は、ウェブやネットが日々劇的に時代を変えつつある驚異的なイノヴェーションの時代に突入している。つまり、現在は圧倒的に合理主義が勝利しつつある時代なのだ。つまり私などが一番面白かった時代、80年代とは全く逆の性向を持った時代なのである。いろいろな物事を考えたりものを書いたりしていてもどうもなんとなくいつも反時代的な感じがしていたのは、そういうことだったのだなと思う。なんとなく面白い時代であることは確かだから、本質的には変わらないんだろうと漠然と思っていたのだが、本当は全然反対だったのだ。
私の80年代がいわばマリ=アントワネットがルソーの「自然に帰れ」の主張を受けてプチ・トリアノンを作ってわが子を自分で育てたり当時としては破天荒なことをしていたような時代であり、現代はフランス革命の大破壊のあとナポレオンが快進撃を続けてヨーロッパを制覇しつつある時代のようなものだ。時代のメンタリティが全然違うのだ。
しかしまあ、そのように時代認識をしてみると、ある意味愉快な時代であるなとも思う。いわば合理主義に確信犯的に体当たりしつつ、その激流の中で最大限面白いことをやって成果をあげていく、ということが最も出来そうな時代だともいえる。それは蒸気機関車が地上を制覇した時代にドンキホーテ的にロシナンテにまたがって騎士の修行に行くと言うことではないだろう。ロマン主義が最も力を持ったのは科学主義の、そしてミルの19世紀であったように、ゴシックホラーやハリーポッター、ナルニアがブームになるのも現在のイノヴェーションの時代と無関係ではないはずだ。もっと強い個性がおそらくこの強力なイノヴェーションの時代には必要なのだ。
20世紀の科学そのものがある種の不安定さを獲得して、芸術もアブストラクトな方向に解体していったように、人間の知性や芸術はある種の方向を持ってバランスをとっている。何ができるのか何が面白いのかはつかみきれないけれども、まだまだ面白いことがあるはずだ。合理主義が巨大であればあるほど、その発生する磁場から生まれるものは大きくなるはずで、そこから最大の成果をあげられるようなものを狙って行けば面白いなと思う。
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