分かってもらおうと思う必要はない/教育改革と沖縄知事選/ふくよかな味わいの本
Posted at 06/11/20 PermaLink» Trackback(1)» Tweet
数週間ぶりにゆっくり東京にいる。東京の生活も三日目にならないと東京でのペースが出てこない。出来れば千葉美術館に浦上玉堂の展覧会を見に行きたかったのだが、今日は展示替えで休館ということで残念。千葉美術館は月曜日も開いている(第一月曜は休館)貴重な美術館なのだが。
浦上玉堂というのは昨日『新日曜美術館』で見てこれはいいなと思った江戸時代の文人画家である。備前岡山藩では江戸時代にトータルでずいぶんたくさんの脱藩者が出て、玉堂のように文人として生きた、という人もあるらしい。面白い土地柄だ。
昨日も今日も天気が悪いのであまり外に出る気がしないのだが、外に出てもどうも新しい本を買おうという気にならない。自分の中で何か新しいものが蠢いている感じがして、外から何かを取り入れようという感じではないのだと思う。ただ、人と話をすることによって何か新しい火花が生じ、そこから何か新しい展開は起こるのではないかという気はしている。昨日の夕方、友人と電話で少し話したが、気がついたことが少しあった。誰かに分かってもらおうと思って文章を書くから文章がさもしくなるのだ。誰かに分かってもらおうなどと思う必要はないのだ。
これは実際のところ、文章だけの問題ではない。啓蒙という問題のある種の不可能性と通じるものがある。啓蒙は啓蒙として必要なのだが、本当にクリエイティブなものに関わりたいのなら、啓蒙だけで満足できるわけがない。
お笑いなどでもそうで、本当に新しい笑いというものは最初はどこでどう笑っていいのかわからない、ダウンタウンの初期がそうだ、という話があった。この笑いを分かってもらおうな度という姿勢は彼らにはなかった。ついてくる者だけ笑えばいいという姿勢を貫いているうちについてくるものが増えてメジャーになってしまったのだ。そういうものがなければ新しいものはつくれないが、新しいからといって誰もがそれに成功するとは限らないのはもちろんだ。
しかしついてくる人が少ないからといって啓蒙に走っていてはだめなのだ。痩せ我慢がどこまで続くかが、物を作る人間の本質的な辛さなのだろうと思う。
友人は絵描きなのだが、あまりに独創的な才能がありすぎて、まだ全然真っ当に評価されていない。だいたい私自身、友人の作品を評価しきれない、つまり「分からない」ところがたくさんあって歯がゆかったりする。それゆえか、最近はあまり新しい作品を作らないのだが、昨日はそういうものを別のジャンルで作りつつあるという話があって、とても期待が持てた。そういう話を聞くのは楽しい。相変わらず、理解しきれない部分が多いのだが。
私の書くこと、私の書く程度のことであっても、誰もがこちらの意図どおりに理解してくれているかというと、全然そんなことはないのが実態だ。頭のいい人、という感じの人ほど肝心なところが全然伝わっていなかったりしてがっかりすることが多い。まあしかしそんなものなんだろうと思う。面白いことを考えるなあと思う人、いい文章を書くなあと思う人の書くものは、結局こちらが理解しきれない部分をその人が持っているからそういうふうに感じるのだろうと思う。それは「プロ」というのとは少し違うのだが、「才能」はそこにある。プロであることと、才能があることとは75度くらいのねじれの位置にある。プロの文章はプロなりの嫌味がある。才能のある文章は面白いのだが、なかなか商品にはならない。売れる文章は才能のある文章では必ずしもない。才能のある文章は読みたいが、売れる文章は必ずしも読みたいわけではない。
漫画家の石川賢が亡くなった。58歳だという。石川賢はダイナミックプロ、つまり永井豪のアシスタントというイメージが私の中ではかなり強かったのだが、もう58歳だったのか。団塊の世代なのだ。どちらかというと幻想的でやや暗い作風の作家だった。何を書いても明るく派手になる永井豪と対極の感じだったが、最近は石川作品の方がより目に付くようになっていた。『コミック乱TWINS』にも『五右衛門』という作品を連載しているが、どうなるのだろうか。
石川など、有名漫画家のアシスタント出身の作家は、その漫画家の作風をかなり継承しているので、その個性が不分明な印象を受け、やや不利だなあと思う。さいとうプロの作家もどうしてもさいとう・たかをの絵に似ているのでちょっと個性が分かりにくい。その点、女流は誰かのアシの経験者でも結構独自の作風を持っている気がするのだが、どうなんだろう。安野モヨコが岡崎京子のアシスタントをしていたことがあるというのは結構驚いた。
世の中に埋もれていい作品を描く作家、というのとはまた違うが、有名作家の陰に隠れがちなこういう存在の作家が、なんとなくひっそりと逝ってしまうというのも、無常を感じる。ご冥福を祈りたい。
沖縄知事に仲井真氏初当選 安倍政権に弾み(共同通信) goo ニュース
沖縄県知事選で自民党候補勝利。同日に行われた福岡市長選、尼崎市長選では民主党側が勝ったらしいが、やはりメインイベントは沖縄知事選だった。これに自民党側が勝ったということは、やはり安倍政権にとっては大きなことだろう。教育関係でさまざまな問題が浮き彫りにされている感があるが、もともとあったものが表面に出てきているだけで、しかも取り上げ方も相当ピントがずれている感じがする。今までそういうものに全然コメントする気がなかったのだけど、教育の抱える問題の深さというのは、実際にはまだまだこんなものではない。これからもどんどん問題が噴出してくる、というかどこまで膿を出すことが出来るかが教育改革というものの成否にとってかなり関係してくるだろう。膿を出しすぎて教育機構そのものが枯死してしまう、そういう可能性すらあると思う。
そういう中で、教育基本法の改正案にとって、沖縄の勝利は弾みになるだろうと思う。教育界における左翼勢力のアドバンテージをどのくらい殺ぐことができるかは改革の成否にかなり関係する。ここは退潮著しい左翼勢力にとってはある意味最後の砦のひとつなので、抵抗も相当激烈になり、また多くの校長が(つまり教育の現場の責任者であり中間管理職でもあり、一番対立の矢面に立つ立場である)自ら命を絶たざるをえない、あるいは自らですらないかもしれないが、そういう状況に追い込まれる可能性が高いように思う。それだけ教育を取り巻く闇は深いというのが現状だろうと思う。
愛国心教育問題などは観念的な問題に過ぎないようにも思うが、案外そのあたりに改革に必要なエネルギーの本丸となるべきものがあるのかもしれない。「舵を切る」ということの象徴的な動作なのだろう。面舵か、取り舵か、舵をめぐって魑魅魍魎めいたものが争っている感が否めないが。石川賢の幻想的なマンガの読みすぎか。
ちょっと話が陰惨になったので話題を変える。
昨日アップした『読書三昧』の作品をちょっと補足説明してみようかなと思う。
柳家小満ん『べけんや』は小満んのもとの師匠の八代桂文楽との交流を描いたもの。これはとてもいい本で、珠玉の小品という感じである。「芸」というものについて、その本質の滋味について考えさせられる。最上の平目の刺身のような淡白でそれでいてふくよかな花のある味わいである。
『「相場に勝つ」株の格言』は相場格言についてまとめた本だが、相場に限らず「勝負」ということについていいえて妙だなあと思うことが多い。一番面白いのは、強気な人間はときどき儲け、弱気な人間もときどき儲けるが、欲張りな人間は絶対に儲けない、という話である。欲の皮の突っ張ったような人間ばかりのような気もする相場だが、そういうところで欲を出さないのが勝つコツだというのが面白いし真実だろうなと思う。
野村進『千年、働いてきました』はここ数日読んで感想を書いていることなので特にいうことはないけれど、「チャップリンのステッキ」とかある種の経営格言みたいなものが面白いといっていいかもしれない。
古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』。これは去年読んだ本だが、韓国や中国、北朝鮮に関する認識がかなり根本的に変わった。儒教文化というものをどう捕らえるかという問題をかなり本格的に突っ込んで考察していて、じつに腑に落ちることが多い。安倍政権になって日中関係は好転しているが、相変わらず韓国の盧政権はうにゃうにゃした態度を取り続けている。関係がうまくいきつつある現在こそ、彼らの思考構造の根本について考察することが必要だろう。すべてが賛成できるないようではないが、非常に参考になる本であることは断言できる。
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