神保町ブックフェスティバル/世界史の必要性/学校は週六日制に戻すべき

Posted at 06/10/29 Trackback(1)»

昨日はいろいろやっていて、遅くなってから神保町に出かけた。行きがけに地元の駅でちょっとしたトラブル(ちょっと小腹がすいたので自動販売機で買おうとしたスニッカーズが機械の中で引っかかってしまって食べ損ねた)があったが、気を取り直して新御茶ノ水に出る。いつもの道を歩いていたらなんとなく華やいだ雰囲気で、神保町はちょうどブックフェスティバルの真っ最中だったのだった。

全然そういうことを予想して行ったわけではないが、こういうことにはよく出くわす。すずらんどおりにたくさんの出店が出ていてなんだか楽しい。B5判の色ケント紙の束をなんとなく買ってしまったが、さて何に使おう。自家製の詩集の紙にでも使おうかな。

屋台と書店をいくつか物色するが、結局本は買わなかった。鉛筆がほしいと思って三省堂の『自遊時間』という別棟の書店に行ったら、古いCDやLPを売る店が入っていて、ちょっと欲しい感じがしたが、いちおうやめる。ステッドラーの鉛筆を二本と、ポストイットを買う。

どこかで食事をと思ったがどうも食指が伸びず、また新御茶ノ水まで戻って地元の西友で買い物をして帰る。

夜もなんとなくいろいろなことをやっているうちに遅くなり、1時過ぎになってしまった。

朝起きてから近くの志演神社(しのぶじんじゃ)にお参りに行く。この神社のたたずまいがなんとなく好きだ。境内には日本最古の力石があったり、この近郷は江戸時代から堆肥の熱を利用した促成栽培が行われて江戸の初物好きに大好評だったという碑があったりする。朝っぱらから景気よく鈴を鳴らし、拍手を響かせてお参り。短冊型のちらし(何というべきだろう)がおいてあったのでもらって帰る。曰く、

『学を修め 業を習い 以て智能を啓発し 徳器を成就すべし』

「新しい学問を学び、既に得た知識をおさらいし、身につけた力をさらに高めて、人格を磨きましょう」、というような意味になるか。学問の基本だ。単位履修騒動に揺れる教育界に喝を入れるような内容だが、全くみっともないったらありゃしない、としか言いようがない。

41都道府県、399校に 高校の未履修問題(共同通信) goo ニュース

元世界史教師としては、もっとみんな世界史を、というか歴史を大事にしろよ、と言いたいが、歴史を大事にしない大人たちを育てたのも歴史教育の、ひいては歴史研究者を含めた関係者全員の責任だと言うべきだろう。現在は現在によってのみ成り立っているのではなく、過去の、伝統の大きな蓄積の上に成り立っていると言う当たり前の歴史感覚が、全く身につかないまま社会での発言力を持つ存在になっている人が多いということは空恐ろしい感じがする。ひとつには、日本を強い影響下においてきたアメリカが「歴史のない国」(比喩ではなく、事実として)であり、歴史や伝統よりも圧倒的に現在や机上の空論的な理論にこだわる(でなければイラク攻撃などするわけがない)国で、世論をリードする立場の人たちがそうしたアメリカナイズされた感覚に慣れすぎてしまっていると言うことが多いだろう。また隣に数千年の歴史がある中国があると言っても、中国共産党政権にとっては王朝の歴史は当たり前だが否定すべき歴史なのであって、彼らも結局まともな歴史感覚はないのである。そういう国々に囲まれていては変になるのも致し方ないという面もないわけではない。

世界史が必修になったのはそう古いことではないが、私は個人的には日本史を必修にして世界史は大学に進学する者に対してのみ必修にすればよいと思っていた。大学でのさまざまな学問、特に人文・社会系の学問を学ぶ上で、世界史の知識が皆無のまま入学するということは、生物を全く履修しないまま医学部に入るのと同じで、非常にばかげた教育上の効率の悪い話である。

結局は、「必修科目」と言う制度が中学・高校・大学と教育の連携の上に構築されていないのが問題なのだ。中高一貫で中学生時代に履修した世界史が無効とされるというのもちょっとばかばかしい話で、結局そういう無意味な効率性の悪いことを無駄に主張するから文部省は頭が悪いと言われるのである。発達の程度において中三で世界史をやるのと高一でやるのと絶対的な違いがあると言えるだろうか。数学などでも本来中学でやっていた不等式や確率の期待値を全部高校回しにしたりしているが、正直言ってそんなものは中学のうちに叩き込んでおいたほうが高校数学の履修の上では絶対に楽に決まっている。

この事態の背景にあるのは、ひとつには授業時間の確保が困難であると言うことがある。つまり週五日制(週休二日制)の実施によって、必要な授業時間が確保できないため、必修科目飛ばしや中学学習領域の先送りをせざるをえなくなっているのである。必修科目飛ばしが多発しているのが90年代からだと言うのは、そういう理由だろう。

と、ここまで考えてくると、文部科学省の狙いは土曜授業の復活にあるのかもしれない、という気がしてきた。いわゆる「ゆとり教育」を推進してきた元凶の官僚は既に野に下っているし、『教育の建て直し』の名のもとに土曜授業を復活するということは大義名分が立つ。現場としても、土曜は授業をやったほうがいろいろな意味でうまく回ると私は思う。

今回の事態で、こういう受験体制を組んでいるのは東北地方をはじめとする、高度に発達した受験産業から置き去りにされている地域に多く見られると言う分析が出始めた。大都市圏では受験や時には学習と言うものそのものを予備校や学習塾に『丸投げ』していることが多く、学校は何もやってない、と言うところは結構ある。地方で学校がそれを引き受けざるを得ないところが苦肉の策で必修飛ばしをやっていると言うのは事実だろう。まあ要するにこれはそういう意味での『格差』の問題なのであって、キィーッとなっている人にも鼻白む物を感じるのはそういうところもあるのだろう。

ま、これで原則が強制されるようになれば、(間違いなくなるだろう)ほっとけば最近躍進しつつある地方の公立高校の受験実績もまたどん底に突き落とされ、中学段階から都会の有名進学校に「進学留学」しなければいわゆる有名大学に合格することは不可能、と言う状態がまた促進されていくのだろう。やはり週六日制に戻して地方でもやれることがやれる状態にしなければ、格差は広がるばかりだし、「再チャレンジ」以前に現役合格しなければ進学も出来ないほど親たち自身も経済的に疲弊している層が地方には多いのだから、大都市圏と地方の学歴格差ももっともっと拡大していくことになる。

問題を指摘し、病弊を抉り出すのはそれはそれとして必要なことだけれども、その背後にある大きな問題を解決していくのは、本当の意味で政治の仕事だと思う。


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