「シンジラレナ~イ!」/ネットと「表現の楽しみ」

Posted at 06/10/14

昨日帰京。夜の仕事を終わらせて特急に乗り、新宿に10時半過ぎに着く。自宅に帰りついたのは11時半。いろいろやって、寝るのは2時ごろになった。

電車の中では『コミック乱ツインズ』を読む。一日にマンガ雑誌3冊を読むというのはどんなものかと思うが、私が読むビックコミック・スーパージャンプ・コミック乱はすべて隔週刊で、(そういえばついでにSAPIOもそうだ)発売日が近接しているのだ。読むものがなくて飢餓状態のときもあれば、飽和状態のときもある。どんなものか。

今朝は6時過ぎに起きる。地震があった。北朝鮮が栃木県あたりにミサイルを撃ち込んだのかと思ったが、普通の地震だったようだ。まあ物騒なことはないに越したことはない。震源は千葉県沖で、南房総では電車が遅れたりしていたらしい。

優勝したのはいいのだが、「日本ハム消えたウイニングボール(日刊スポーツ) goo ニュース」という騒ぎになっていて大笑い。なんだかこういうところが今期の日本ハムらしいんだよな。2年前、プレーオフ出場を決めた試合でも新庄がホームランなのに前の走者を追い越してアウトになったり、なんだか抜けている。シーズン終盤の金村の暴言騒動だって、あれは普通のチームなら絶対雰囲気が悪くなって大ブレーキがかかり、優勝を逃してしまうところだ。それが全然関係なく、プレーオフ第二ステージも連勝で地元で優勝を決めてしまうのだから、なんだかおかしくって仕方がない。ヒルマン監督の名台詞も「シンジラレナ~イ!」に決定したが、これもなんだか間が抜けている。こういうのもすべて新庄効果というべきなんだろうな。やっぱり凄いパフォーマーだとしか言えんわ。

不況のときはこういうバカ明るいノリが貴重だ。拓銀倒産以来低迷を続けている北海道の産業もこれでどんどん盛り上がって欲しいものだし、好景気の中心である名古屋のチームなど鎧袖一触でやっつけて欲しいもの。中日は52年も日本一になっていないのだ、そんなチームに負けてはいけない。とはいっても日本ハムも44年日本一になってないけど。

今日はなんだか寝不足でずっといろいろ仕事をしていたが、やはり変にハイなところがあってノリが妙だ。コメントにもお答えしなければいけないのだが、さて、よくわからないのもあるしどうしたものか。ちょっと反応はペンディング失礼。

***

ネットというものについて考えてみる。ネットを使う動機は、大きく分けて「仕事」と「楽しみ」だろう。家事関係になると仕事なのか楽しみなのか区別がつけにくいところもあるが。そしてさらに分類すると、仕事でも楽しみでも、「仕事のための補助としてのネット」「楽しみを見つけるため、あるいはそれに到達するための手段(チケット購入とか、レストラン検索とか)としてのネット」という場合と、「ネット作業自体が仕事」、「ネット作業自体が楽しみ」という二つに分かれると思う。

特に「ネット作業自体が楽しみ」の中には、「コンテンツを楽しむ」つまり「受信型の楽しみ」、情報を共有しあってコミュニケーションを取る楽しみ、つまり「共有型・おしゃべり型の楽しみ」だけでなく、日記やブログを書いたり、イラストを書いてアップしたり写真を披露したりする「発信型の楽しみ」がある。仕事としての発信だけでなく、楽しみとしての発信があるからこそネットの世界がこれだけ広がったのであり、確かに情報としては玉石混交であることは間違いないけれども、それは仕事と遊びが入り混じった世界がネットである以上、仕方のないことだ。

そう考えてみると、ネットというものは人々に「表現の楽しみ」というものを提供したという点で非常に大きい変化をもたらしたと思う。意見の発信とか既成メディアの批判とかそういう面で大きく前進したこともあるが、やはり「楽しみ」というものがなければこれだけ無償の情熱がネットに注がれることはなかっただろう。表現を、一部のプロが独占していた時代を、多分新聞や雑誌の関係者は郷愁を持って振り返っているだろうと思うが、もちろん本当にぎりぎりにたましいを追い詰めた作品はプロの作家でなければ書けないし創造できないのだけれども、いい加減な売文業はだいぶ無料のネット情報に駆逐されて、むしろネット情報の後追いにさえなりつつある。

政治の世界でも、今まで第4の権力であるマスコミに叩きたいように叩かれていたけれども、政治の側が自ら発信することが可能になったことは大きいだろう。小泉内閣でもメールマガジンという形で「政権からの発信」を積極的に行っていたが、安倍内閣では「ライブトーク官邸」などブロードバンド・コンテンツをプッシュしている。また保守系の主張番組を流すスカパーの「日本文化チャンネル桜」など、既存のメディアいがいでも主張の発信が行えるようになった。それこそYouTubeを使えば動画ファイルをアップするだけでどんな動画コンテンツも世界中で見ることが出来るようになるわけで、表現の幅が大きく広がっている。談合的利権の死守をまだしばらくは既存マスコミが続けるとは思うが、いろいろな形での折り合いのつけ方はこれからもずっと模索されていくだろう。

今始めて安倍首相のライブトークを見たのだが、内容はまあ当たり障りのないものだが、スーツのデザインが少しおとなしいのが気になった。わざとだろうか。ゴージラインをもっと高めにとって、強い感じにしてもいいような気がするが、「甘く見られることが私の強み」という安倍首相の自己認識からそういう選択になっているのかもしれないし、まあ襟元に注目してみるのも面白いかと思った。

ふと、私自身がネットを使い始めたとき、何を頼りにサイトを探していたのかと考えて見て、実は一番頼りにしたのは「野口悠紀雄Online」だったことを思い出した。『超整理法』のあとで、『インターネット超活用法』(だったかな)を読み、ネットにアクセスして『インターネット情報源』というリンク集からさまざまなサイトにアクセスしていったのだった。私がネットを本格的に始めたのは1999年だったが、あのころは国内・海外の新聞記事がただで読めるということ自体に驚いたし、時刻表を買わなくても乗換えが調べられるとか、相当衝撃を受け、また刺激を受けたことを思い出した。

もうひとつ衝撃を受けたのが海外の美術館のサイトだった。世界の高名な画家の美しい作品が高解像度の画像で見ることが出来ることの驚き。ムリーリョの作品を見たり画集を探したりするためにスペインに出かけた学生時代のことを考えるとまったく夢のようであった。

野口悠紀夫氏の諸業績に、私は必ずしも賛同するものではないけれども、私にとってのネット黎明期にネット探訪の指針を与えてくれたという点では非常に感謝している。私もそういうサイトを作ってみたいものだと思う。

ねっとではしばらく、ブログだけにほぼ絞っていたけれども、またサイトを構築して行こうという気持ちがだんだん強くなってきた。読書三昧だけでなく、いろいろなものを用意しているので、近日中にそれもご紹介したいと思う。


『読書三昧』もよろしくどうぞ。

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