「俺の命はどの医者に預ければいいのかね」

Posted at 06/10/05

今朝は霧が深い。昼頃から雨が降るという予想。いろいろ考え事をしながら寝入ったせいか夜は寝苦しかったのだけど、朝7時を過ぎて少し寒くなってきて、ストーブをつけた。ただ、ストーブをつけると乾燥するので、あまり長い時間はつけていない方がよさそうだ。

目が覚めたのは6時前で、運動をかねて山の中腹のお墓におまいりに行く。人間にできる最後のことは祈りだ。しかし、人間にできる最初のことも祈りなのだと思った。

お墓に刻まれている先祖の没年の、一番古い年代は寛政年間、1796年だ。今から210年前。フランス革命の最中だ。この土地で暮らしてきたのだ、少なくとも二百数十年間。

塩野七生『ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず・下』(28)(新潮文庫、2006)読了。上巻は街道と橋の話、下巻は水道と医療と教育の話。ローマの浴場は有名だが、われわれが現在美術館に行って鑑賞するギリシャ・ローマの彫像のかなりの数が、公衆浴場あとから発掘された品だということは少し驚いた。『ラオコーン』もそうだと言う。キリスト教の普及により裸体を晒す公衆浴場が罪悪視されるようになり、滅びたと言うのも人間の考えが変わるだけでものすごく大きな変化が起こるものだと考えさせられる。

ローマ人の物語〈28〉すべての道はローマに通ず〈下〉

新潮社

このアイテムの詳細を見る

医療に関して。ローマ人は百科全書的な気質が強く、ケルススの書いた大部の『技術論』のうち、医術論8巻が残っているという。医学の細分化というのは最近の話だと思ったが、ギリシャの時代からそれは相当信仰していたと言う話も面白かった。キケロが「具合の悪い場所ごとに違う医者を呼ばなければならない」ことを嘆き、マルティアリスは「俺の命はどの医者に預ければよいのかね」と言っているのは可笑しかった。西洋医学というものは2000年以上前からそうだったのだ。

教育に関して。中等教育のギリシャ語の学習はホメロスと三大悲劇詩人、ラテン語ではヴェルギリウスやホラティウスを学んだというからルネサンス以後のユマニズムの時代と学習内容は基本的に同じだ。高校相当の教育では主に弁論術で、キケロやカエサル、よく知らないがギリシャ弁論術ではリュシアスを学んだと言う。高等教育・研究機関の二大最高学府がアテネのアカデメイアとアレクサンドリアのムセイオンだったというのは知っていたようでしっかり自覚はしていなかった。医療も教育も私企業だったが、アカデメイアとムセイオンは国庫から助成したというのは興味深い。

医療と教育が国営化されたのはキリスト教化してからだという。「ある一つの考え方で社会は統一さるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。」という指摘は鋭い。そういう意味ではキリスト教徒も、近代国民国家も、あるいはタリバンやヒズボラもやっていることは同じなのだ。私自身が公教育に感じている無意識の疑問の根源は、こういうところにあるんだなあと思った。

今日はもうすぐ出かけて松本で仕事。昼から雨になるというが、長い距離を歩くので、できれば降らないといいなと思う。降ってもなるべく少しだといい。

ランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。
人気blogランキングへ

『読書三昧』もよろしく。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday