大義名分と政治家/人間到る所青山あり

Posted at 06/10/04 Trackback(1)»

特急の中で塩野七生『ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず・上』(27)を読了。印象に残ったこといくつか。アウグストゥスが「大義名分を作り出す名人」だったという話。カエサルまでは膨張の時代だったが、アウグストゥスからは防衛の時代に入り、それをアウグストゥスは「平和=PAX」と称した、というのが最大の「大義名分」の創造であったと思うが、その結果ローマの皇帝たちは勝利により凱旋門を建造して凱旋式を行うという名誉に浴さなくなってしまった。アウグストゥスは街道や橋を整備することも祖国の防衛に資する、と言う理屈を考え出し、ローマの男にとって最大の栄誉である凱旋式を何度も挙行した、という。

塩野七生『ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず』(27)

新潮社

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これは確かに政治家にとって最大の才能の一つだ。自らの仕事を意義付けるためには大義名分ほど役に立つものはないわけで、やむを得ずやったことでもそれを大義とすることで支持を得る。小泉首相は「構造改革」を言いつづけることでそれがどんどん大義名分になっていったが、安倍首相の手法はそれとはまた異なるだろう。言葉よりも実質を先行させるスタイルが安倍氏のやり方だという気がする。そのあとで大義名分を確立すれば、そのほうが日本人好みであろうと思う。

もう一つ、ローマの郵便制度。これは広大な帝国の統治上の必要から生まれたものだが、一つの目的を完璧に遂行できるように作られたシステムは、他の目的にも転用は可能になる、という話。皇帝と将軍たちを結ぶ目的で出来た制度が、帝国内に住む人々に利用されるようになっていく。「一つの目的に徹底して完璧に作られたもの」ならば他の目的にも使える強さを持っている、と言い換えてもいいか。逆に多目的に作られたものが何に使っても中途半端になりがちなのと好対照と言っていいだろう。まずメインの目的をはっきりすることが何をやるにしても重要だということだ。

***

青いクロッキー帖に思いついたことを記していく。普通に書いているつもりなのだが、だんだん詩のようになって行く。詩というのも最初はこうやって書き始めたのだということを思い出す。詩だと意識すると形式を整えることや「詩」っぽくすることに傾きがちなのだが、それはあまり意味のないことだ。少なくとも私にとって。詩というよりは、そういう形で言葉が自分の中から出てきてしまうのだから、それを止める必要もない。変に調整する必要もなく、風景をスケッチするように言葉をスケッチ的に書きとめればいいのだと思った。

特急の中でふとスケッチをしてみようと思い、韮崎のあたりで車窓の風景を書いてみたら、思ったより絵っぽいものになった。適当なものだが、視覚的に見えたものを手で書いてみるというのは案外重要なことかもしれない。これも絵にしようと思うと肩に力が入るし面白くもないが、ただ簡単に書いてみることで自分の見え方や捉え方が再確認できるし、面白いのではないかと思った。

朝起きてから山の中腹のお墓におまいりに行く。お参りと言っても何も持たず、ただ行って手を合わせるだけなのだが、うちから歩いて七、八分のところなので、ちょうど歩くのにもいいくらいの距離で、第一とても気持ちのいい場所なのだ。諏訪の湖と盆地を見下ろす山の中腹で、山霊の気のようなものが感じられる。樹木や空気や、そばを通る高圧線の鉄塔に止まっている烏や、いろいろなものが青山の気を高めている。「人間到る所青山あり」、といったのは幕末の勤王僧だったが、こういうところが青山というんだなあ、と感じた。

今日は霧が出ていて、遠くの山が霞んでいる。

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『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』 塩野七生著 新潮文庫 上下巻 2006

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