ハンナ・アーレントとパレスチナ問題/サッカー日本代表イェメン戦勝利

Posted at 06/09/07

今朝は少し寒いくらいだ。そのせいか、ちょっと調子がよくない。昨日の雨で少し濡れたせいか。今朝はもう上がってはいるのだが。

昨日は午後から夜にかけての仕事、思ったより忙しく、また秋からの仕事の準備もそれなりに進んだ。読書の方はほとんど進まず。『アレント 公共性の復権』を60ページまで。読んでいて思うのは、アレントは基本的に古典的なことを考えているということ。まあ30年以上前に亡くなった人がそんなに今から見て前衛ということはありえないのだが、それにしても古典的な枠組みの上にしっかりと腰を据えて議論している感じがあり、しかしそれが全く教条的な感じがしないところがどうも魅力的に見える。

現代思想冒険者たちSelect アレント 公共性の復権

講談社

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イスラエル建国に際して、イェフェーダ・マグネスという人物がユダヤ=アラブ両民族による連邦国家建設という計画を持ち、アレントもそれを支持していたというのははじめて知ったが、パレスチナ問題の解決のためにはそれしか手段がないと私なども思っていたことが実は建国のときから主張として存在したことを知り、目から鱗が落ちた思いだった。「ユダヤ人の民族国家としてのイスラエル」に固執する限り、パレスチナ問題が「安定」することはないだろう。ただシオニズムがユダヤ・ナショナリズムであり、民族国家建設のロマンチシズムである限り、その主張は受け入れられないだろうし、数百万人のパレスチナ難民の問題は永久に解決しないことになる。そこを一歩譲り、中世的な多民族共存に戻れば…と思うのだが、世界を敵に回してでもイスラエルを守ることを決意している、と佐藤優が表現するイスラエルにはやはりその案は飲めないのだろうなあ。「分割」は問題をクリアにするようでいて、クリアにしきれない部分に多くの犠牲を出すことが現代の最大の問題だが、一つの特異な典型がこの問題なのだと改めて思う。

もう一つはアイヒマン問題への対応だが、このことには詳述がないので今のところよくわからない。ただ、多数派の意見にそのまま与することのないアレントの態度は見習わなくてはならないと思う。

サッカー日本代表イェメン戦。夜ニュースを見ようと思ってチャンネルを回していたらたまたま生中継をやっていて、しかも後半終了間際のロスタイムの我那覇の得点シーンを見ることが出来た。オシムもガッツポーズをしていた。苦しい試合だったがよく耐えて頑張ったと思う。紀子妃殿下の前置胎盤もかなり大変だったとの報道があるが、いろいろな意味でご苦労がおありだったのだろうと思う。よく耐えて頑張った人に喜びが訪れる、昨日はそういう日だったのかもしれない。

ブラームスの1番でも聴こう。


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