ネットのコミュニケーション/靖国神社の花嫁人形/『金閣寺』とか『白鳥の歌』とか
Posted at 06/08/29 PermaLink» Tweet
何日か前の日記で「世界に罰せられた人」ということを書いたが、世の中には「人生に罰せられた人」というのもいる。自分の人生を切り開いていくことに脇目も振らずに邁進していく人たちだ。そういう人たちは概して成功者になるのだろう。私はそういう人間の近くにいたことがあるが、本来わたしの周囲にはあまり見られないタイプで、圧倒された。ある意味非常にわがままなのだが、自分の目指すものを明確に意識し、それを確実に実現していく。まあそれが生物としての人間のあるべき姿なのかもしれない。
その姿のあまりの余裕のなさが「罰せられた」という印象を与えるのだが、本人はそうは思っていないのだろう。私などとのメンタリティと相当かけ離れているので、なかなか理解は難しいのだが、そういう人がいなければ世の中は動かないし、まあ凄いものだとは思う。ちょっとそんなことを思った。
***
ネット右翼ということについて考えていたのだが、ある意味それを煽るのは、既成知識人の側がそういう人たちに対してあまりに冷たいということもあるのではないかという気がした。つまり、知の世界に対してもう少し扉を開くというか、こういうことを勉強した方がいいと言うような方向に「良導」することをもう少しした方がいいのではないかということだ。ネット上の議論を読んでいて、あるいは実際にしてみて一番うんざりすることは、多くの場合人間的なやりとりが全く欠けているということだ。どんなに稚拙な議論であっても相手は人間なのだから、工夫次第では言葉が通じる可能性もある。完全な確信犯は説得は不可能であるにしても、言葉を通じさせようという努力は見せておいてもよいのだと思う。
この問題もそうなのだが、結局そういうふうになってしまうのは、いわゆる知識人といわれる人たち、特に若手の人たちのかなりの部分で「人間的共感」(あるいは人類としての類的共感といってもいいが)のようなものを軽視する人々が多いからなのではないかという気がする。その原因は、無神論とか人間にたましいがないとかいうような議論に代表されるような人間観の影響の強さにあるように私には思われてならないのだが、そうではあっても人間の共感の可能性のような部分にもう少し重点を置くことはむしろネットにおいては可能なのではないかと私は思う。ヴァーチャルな空間なのだからうざったいことはあっても殺されることは(ある程度気をつけていれば)ないだろうし、言い捨て的なものに対する対応は不可能かも知れないが、わたしの感覚かもしれないけれども、もう少しそういうことが出来るのではないかという気がする。
ネット右翼というのはおそらく若い層が多いのだろうから、コミュニケートする技術も方法ももちろん未熟であろうし、逆に言えば知識人の側がそういう技術も方法も、普通の人格を持っていれば持っているはずであって、もちろん精神的時間的な持ち出しになることではあるが、ネットなり日本言説なりの社会を維持していくためにはある程度の責務があるのではないかという気がする。
戦前の日本社会ではいきなり若者が年配の知識人や政治家を訪ねて議論を吹っかけたり懇談したりしたらしいことがよく書かれている(もちろん門前払いも多かっただろうが)が、どういう時代でも「若者は礼儀知らず」でもあり、もう少し相手をしてやる度量が現代の知識人にあってもいい気がする。「ネット右翼は云々」という議論は「いまどきの若者は云々」という議論とあまり変わらない。
***
昨日。岡崎久彦の干渉で靖国神社の遊就館に展示されている「大東亜戦争」に至るアメリカの政策についての見解の記述が書き換えられるという話を聞いていたので、その前に一度見学しなければと思い、午前中に出かけた。遊就館は2002年に新装開館したのだが、今の施設になってからは実は一度も行ったことがない。1999年にシスアドの試験を飯田橋の東京理科大で受けたとき、昼休みになんとなく遊就館を見学したいという気になって九段まで歩き、戦没学生の手記を読んで涙で頭がぼおっとしてしまって午後の試験に苦労した、というとき以来、靖国神社に行っても遊就館を見学することはなかった。
そういうわけで昨日は始めて新しい展示を見たのだが、ペリー来航や西欧列強の帝国主義的侵略から語り起こし、「維新殉難者」に関する遺品などの展示から始まっていてちょっと面食らった。第1室の展示が「武人の心」ということで本居宣長の和歌が掲げられたりしていたが、ちょっとなかなかそういうのはこそばゆいという感じが私などはしてしまうのだけど、「本当に何も知らない人」に対してはそういう展示も必要なんだろうとは思った。その後は要するに「日本の軍事」に関する一大博物館であって、そういう意味ではそういうジャンルのものとしてはかなり勉強になるところだと思う。実際には、どうもわたしは軍事というジャンルはあまりぴんと来ないところが多く、きちんと理解できたとはいいがたいのだが、内戦から日清日露戦役など、さまざまな展示によって日本の軍事が体感できる施設ではある。
問題の記述は第二次世界大戦における「アメリカの参戦の動機」が不景気を克服するために「有効需要」を創出するのが目的だった、というような意味内容のことらしいが、このあたりはちょっと難しいなと思う。ルーズヴェルトのニューディールは理論的にはケインズの主張に適ってはいるが、ルーズヴェルトが戦争こそが「有効需要」を創出するということをどのくらい意識していたかということを検証する史料はあるのだろうか。結果的にアメリカの経済が戦争によって立ち直ったことは事実だが。
しかしなんといっても圧巻なのは「大東亜戦争」に関する膨大な記述、遺品、兵器、それに関連するさまざまなものである。これを収拾し、敬意を持って陳列し、人々に示すことが出来るのはやはり「靖国神社」という存在にしか出来ないことだと改めて思う。水筒などの遺品が膨大に積まれた展示。胸を突かれる。如何ともし難い強烈で膨大な悲しみが私を襲う。今回もっとも印象に残ったのは終戦時の阿南陸相の「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の血染めの遺書。あまりの悲しさ、痛さのために直視できなかった。彼と同様終戦時に自決した軍人は数多いが、彼らが振り返られることは現代ではほとんどないだろうと思うと、それも哀しい。
もう一つ強く印象に残ったのが「花嫁人形」である。戦死した兵士の多くは20代前半の未婚の男子であり、結婚もしていないし子孫もない。父母が没したあとその彼らの霊を慰める子孫はいない。だからその祭祀は国家の義務だという主張は私には納得できる。「たましいなど存在しない」という人には嘲笑い話なのだろうが。花嫁人形は、戦死した兵士の母が息子の「花嫁」として靖国神社に奉納した日本人形である。それが三つ四つ並べて展示されていたのが心に刺さった。
考えてみれば、死んだ息子の花嫁に人形を奉納するなど、極めて土俗的な行為なのだろう。なにか民俗学的にその行為について説明できることがあるのかもしれない。しかし結局、靖国神社が「神社」でなければならないのは、そういう土俗性を含めて引き受ける度量が「神社」でなければ持てないからである。日本は都市と農村、近代と土俗が合している国であって、そこがアメリカのリベラルから見れば封建的と指弾するところになるのだろうが、日本がそういう国であるということは認めるべきであろうと思う。
そういう土俗性を含めた文化伝統はだんだん衰退していくのだ、という考え方もあるのかもしれない。確かに、農村社会では昔なら起こりえなかったような猟奇的な犯罪が農村部にも広がりつつあるのは事実だし、高齢化や過疎化の問題も含めて緩やかに日本が日本である部分というのは消滅しつつあるのかもしれない。
私などに可能なことはそういう流れをいかにして食い止めるかというある種の蟷螂の斧的なことに過ぎないのかもしれない。まあ、日本が日本でなくなってしまったら、靖国神社もその存在が必要でなくなるだろうし、そこまでは私もわからないが、そのときが「彼ら」の最終的な勝利なのだと思う。
結局、遊就館を出たときは胸が一杯になってしまって頭がぼおっとしてしまった。館内には子どもや若者もたくさんいたが、夏休みの自由研究で靖国神社を調べました、という子どもたちも結構いるんだろうなと思った。「サヨク」的な先生方がその研究にどういう態度をとるのか、まあ見えているようないないような。
家に戻って昼食。三島由紀夫『金閣寺』読了。最後まで「仏に会うたら仏を殺し、…」という「禅の公案」が支配する構造になっているとは思わなかったが、それが三島的な構造の美学ということになるのだろうと思った。ある意味スタティックな力学である。しかし物語の構造は単純なほうが力強い、ということを改めて確認できるような作品で、それがこの作品の「傑作」という評価につながっているのだろう。イシグロの『わたしを離さないで』の構造に少し似ているものを感じた。
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そのあと少し仕事をし、休憩。夕方銀座に出かける。FMの「ミュ-ジックプラザ」で聞いたシューベルトの『白鳥の歌』のCDが欲しいと思い、山野楽器に行く。フィッシャー・ディースカウの1982年録音のものを買う。そのあと教文館で本を物色するが、買わず。カフェで夕方の銀座通りを見る。整然とした町並み、清潔な人の流れ。街灯。ある種の幸福感がそれをみていると立ち上ってくる。年配の婦人が店の人と会話している。やはりこの店は教会関係の人のお客が多い。
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