原爆忌/「モーツァルト 神か天才かそれともアホか」

Posted at 06/08/06

今日は原爆忌。アメリカが広島に原爆を投下し、世界最初の核兵器が日本に対して使用されてから今年で61年。ある意味遙か昔のことだが、こうの史代『夕凪の街 桜の国』といった優れた作品が生み出されるほどには、日本の人々にまだ大きな傷跡を残している。起こったことは取り消せない。そこから生まれる無数の物語が、せめて未来になにかの美しさを残すことが出来ればと祈るばかりだ。原爆に関連したたくさんの記録、作品を子供のころから無意識のうちに見てきているけれども、ここまで珠玉に昇華された作品はないような気がする。逆に言えば、記憶が生々しいうちは、この美しさは受け入れられなかったと思う。60年たったからこそ、こうした表現が可能になり、また受け入れられたのだと思う。そして、まだまだ受け入れられない人は、おそらくいるのだと思う。

夕凪の街桜の国

双葉社

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昨日はあまり動けずにいたが、朝気付いてこれは冷房病だと思い、膀胱系を活性化させる行法をいくつかやってみる。効果はかなりあったように思う。下半身のケアを怠っていたということを痛感。足は第二の心臓というが、腰から下が実際には体全体の健康にかなり大きな役割を果たしている。頭や眼、腕や指などどうしても認識しやすい場所に意識が行ってしまうが、どうもそれだけではないような感じがしていた。夏はじっとしていると気持ち悪いが、だからといって冷房をかけて休んでいてはだめなのだと痛感。熱中症になっては困るが、なるべくからだを動かした方がいい。体の中に夏をためておけ、やがて秋が来て冬が来る、とは石森章太郎の初期作品、『ジュン』にあった言葉だが、それは正しいなと思う。

ジュン

小学館

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昨日は早く寝るつもりだったのだがつい夜更かししているとテレビで『私のこだわり人物伝』という番組をやっていて、「モーツァルト 神か天才かそれともアホか」を4回分まとめて再放送していたのをつい見てしまい、3時過ぎになってしまった。今年はモーツァルト生誕250年ということでそこらじゅうでモーツァルト特集をやっているが、自分が聞いている作品にはかなり偏りがあるので、語られるエピソードや、小米朝師匠が推薦する20曲というのをチェックしつつ見た。

第1回のゲストは池田理代子で、この人がソプラノを歌っているのははじめてみたが、「芸術家の苦しみの上に私たちの鑑賞が成り立っている」という言葉には深く頷かされるものがあった。やはりものを作る人の言葉は違うなと思う。この回に紹介された作品ではK.364協奏交響曲とK.495ホルン協奏曲が印象に残った。

モーツァルト:ホルン協奏曲第1番
ブラック(ニール) シヴィル(アラン), シヴィル(アラン), アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ, マリナー(サー・ネヴィル), モーツァルト
ユニバーサルクラシック

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第二回のゲストは指揮者井上道義。この人、存在自体がインパクトがある。(彫りが深いと思ったらお父さんはドイツ系アメリカ人なのか。後で知る。)「コシ・ファン・トゥッテ」が話題に上ったが、モーツァルトのオペラは日常性を持ち込んだところが革新的だ、という話が興味深かった。日常的・等身大のことを描きながら芸術的というのはある意味凄いことだと思う。どこで読んだか忘れたが、中国のアニメ事情を取り上げたものの中で、今でもやはり日本アニメの方が人気があり、それはたとえばヒーローものでも小学生や中学生など、身近な人間がそういう能力を得て戦うという、主人公が等身大・日常的であるところに魅力がある、という話を思い出した。考えてみればほかの国のアニメでそういうものはないかもしれない。オペラという最高の舞台に見慣れた庶民が出てきてある意味くだらない恋の鞘当を最高のメロディで歌うという発想は、当時やはり相当衝撃的だったんだろうなあと思った。この回に紹介された5曲のうち3曲は持っていた。

第三回のゲストはジャズピアニスト小曽根真。モーツァルトには無駄な音がない、技術が裸にされる、というのはそうだなあと思う。私もたとえば小説なら、無駄な言葉がない、読み手に緊張を強いるような作品が描けたら最高だなあと思う。「モーツァルトの自信とは、音楽を信頼していく力、魂をすべて音楽に委ねる力」というような表現に当たるともう「生きててよかった」という気持ちになる。「変なエゴがない、神の曲」だというのはなるほどと思うし、小米朝がそれに相槌を打って「惟神(かんながら)」だ、といっていたのもうーん、と思った。音楽の自然な流れに委ねて描き続けるのが楽しくて仕方がない、その自然な流れを見出せるというのがまさに天才ということなのだろうと思うけど。小林秀雄とかが魅かれるのはまあもっともだ。この回に紹介されたものではK.620『魔笛』をぜひ聴いてみたいと思った。断片的にしか見たことも聞いたこともない。

魔笛*歌劇

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第四回のゲストはふたたび井上道義。インパクトのある親父がハープシコードを弾いていた。人間は死ぬまで自分が死ぬとは思わない、と言っていたがあまりにベタだが「きのふけふとはおもはざりしを」の在原業平を思い出す。死を不浄のものとして遠ざけてはいけない、いつも傍においていなくてはいけない、という言葉は精神の緊張を必要とする音楽家には全くふさわしい言葉だと思った。締めで小米朝が「ムダの多い人生とムダのない音楽」とまとめていたが、モーツァルトを表現するにはわりあいすっきりした言葉だと思った。この回紹介されたものではやはり「コシ・ファン・トゥッテ」が聞いてみたい感じだった。

コシ・ファン・トゥッテ*歌劇

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さてそろそろ終わりにして、8月の空の下を歩いてこなければと思う。夜には出かけるし、『情熱大陸』はアンジェラ・アキだ。間違いなくビデオをセットしておかなくては。

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