昭和天皇の発言メモ
Posted at 06/07/22 PermaLink» Trackback(1)» Tweet
本文10000字という制限を越えてしまったので(笑)再度投稿。
昭和天皇の靖国神社へのA級合祀への反感吐露について、参拝反対派が鬼の首を取ったように騒いでいるのはなんだか滑稽だ。彼らのやっていることはまさに「天皇の政治利用」だし、普段天皇について否定的なことを言っているのにこういうときは天皇の威光に縋ろうというのだから全く一貫性に欠けている。山崎、加藤あたりの自民党の反対派もこれで決まりと思っているかもしれないが、反対派の反応は全体的にアナクロの感は否めない。この記事にあるように谷垣蔵相は学問的な検証をといっている(極東ブログも同じスタンス)し、麻生外相にいたっては「個人のメモにコメントする立場にない」と気って捨てる姿勢。これはウケた。
昭和天皇がこうおっしゃってるぞ、ウリウリ、という参拝反対派の主張は、参拝賛成派=天皇主義者=昭和天皇の威光に逆らえない、と極めてキリスト教原理主義者並にシンプルな頭の構造から出てきたものなのだなと改めて思う。ただ勝谷誠彦氏のように結構ナイーブな反応をする人もあり、まあそういう人もいるから彼らもそういうことをするんだなとちょっと意外の念に打たれる面もあった。
昨日も書いたが、昭和天皇の発言自体は、単に予想通りだ。ある時期から靖国神社に親拝されなくなったのだからその理由は誰にでも想像がつく。
ただ今回の報道内容を見て改めて思ったのは、昭和天皇が相当な度合いで「親英米」であったということだ。言葉を替えて言えば反独である。特に三国同盟締結に動いた松岡洋右と白鳥敏夫について非難していることからもそれは明らかだろう。彼らのやった三国同盟の締結が決定的に誤った国策であったことにはわたしは全く同感である。陸軍内の反英米感情がよく知りもしないナチスへの好意に転換し、(われわれ日本人が人種差別主義であるナチスの差別対象であることくらいなぜわからなかったのか)破滅的な戦争に追いやる最大の原因になったと私も思っている。
昭和天皇の親英米姿勢、正確には親英姿勢だろうが、はわが国の現在の保守派の動向にも強い影響を与えたと思うが、もともとは皇太子時代の原内閣当時の英国訪問に起源があると思われる。それ以来、昭和天皇は英国的な立憲君主として振舞うことを良しとされていたようである。そのあたり、実は謹厳実直に職務に精励され、元勲たちの調停役を積極的に買って出ていた明治天皇ともかなり違うし、フランクで気さくなご性格であったと原武史『大正天皇』(朝日選書、2000)に描写されている大正天皇とも全然違う。ご自身で長時間の神事を自ら行われている今上天皇(現在の天皇陛下、念のため)とも異なり、昭和天皇は神事には余り熱心であられなかったと伝えられている。わたしにとっての昭和天皇の印象というのは「闘う家長」(もちろん国家という家だが)という印象だったが、相撲がお好きであられたとかテレビドラマをよく見ておられたとかそういう報道がフレンドリーな印象を伝えようとしていた印象がある。
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普段着が背広、というのは典型的な英国紳士の姿勢であるし、敗戦後も最初に外国報道機関のインタビューを受けてこれからは英国的な立憲君主制にしなければならないとご発言になっている。元駐英大使の吉田茂が首相になったのもそうした陛下の意向と全く無関係ではないだろう。
昭和天皇は張作霖爆殺事件の際に田中義一首相を叱責し、田中がそのショックで死んでしまった(としか思えない)時以来、政治への口出しを抑えられるようになり、伝えられるように226事件の際の「自ら近衛兵を率いて反乱軍を鎮圧する」発言や終戦の際のいわゆる「聖断」以外に政治的な発言を厳に慎まれた。開戦の際は明治天皇の和歌を引用されて対米英戦争を避けるように東條首相に望み、東條も努力したが開戦を避けられなかった、という話は事実だと思う。そこに一貫するのは「親英米」というキーワードである。
表には出さないが昭和天皇が政治家や側近たちに対しいろいろな不満を持たれていたことは今回のような形で時々出てくる。『高松宮日記』が出版されたときもかなりご不興であったようだ。また小林よしのり『いわゆるA級戦犯』にもでてくるが、戦前唯一の完全な庶民層出身(伊藤博文がそれに次ぐくらいか)の広田弘毅の組閣の大命の際には「名門をくずしてはならないこと」と指示されている。われわれ下々のものには大御心は理解することなどできない、と文字通り思うのだが(決して他意はない)陛下の内面にはかなり複雑なものがあられたのだろうとは思う。私は一時相沢事件で暗殺された永田鉄山のことを調べていたのだが、当時の侍従武官長であった本庄繁(統制派の永田を憎んだ皇道派に属する)が『本庄日記』に事件当日の昭和天皇のおことばとして、「こういう日に水泳に行ってよいか」、と下問されていることが書かれている。この記録は本庄の永田への悪意とも取れるし、昭和天皇への悪意とも取れるので真実と判断していいのか難しいところなのだが、わたしは初めてこれを読んだときはかなり衝撃を受けた。
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226事件で昭和天皇は当初蚊帳の外に置かれたように、陸軍の内部では昭和天皇に対する反感はかなりあった。科学者であり、親英米的であった昭和天皇は、君主の義務として陸軍との融和に努められ、表に出るときはなるべく軍服を着用されたが、「天皇の位が尊いのであって実際の陛下が尊いのではない」という物騒な思想が陸軍内、特に皇道派の若手将校にはかなりあり、実際に226の際にも秩父宮擁立工作が行われたようだ。秩父宮は士官学校や陸軍大学で一般の軍人と同様の厳しい訓練を受けられ、恩賜組の優秀な成績を収められて陸軍内の「希望の星」であったとされている。
そうしたさまざまな事情を考え合わせると、今回もれ出たご発言は予想された範囲内だし、またそうした予想を強化する内容だったとしか私などには思われない。
問題は、われわれ自身が靖国神社の存在をどのように考えていくかということに尽きるわけで、それに関しては靖国神社に一度も参拝したこともなく、外部の偏見に満ちた情報によって判断しようとしている人の発言などあまり意味を感じない。
私自身は、昭和殉難者(いわゆるA級戦犯)の合祀については情としては理解できるが、やはりちょっと政治的な意味合いが強すぎるという気がしなくはない。しかし逆に言えば戦後一宗教法人となった靖国神社が祭神をどう選ぼうと国家は干渉出来ない。つまりこれはある意味で靖国神社側による大東亜戦争の見方に対する問題提起であって、そう簡単に収まる問題ではないのである。簡単に言えば、昭和天皇が自らの意志に反したものであっただろう大東亜戦争を肯定する立場に立たれているとは考えにくい。天皇は政治責任を負わないとした明治憲法においても天皇の名のもとに死んだ多くの人々がいることをもちろん無視できるわけではないから陛下自身が肯定も否定も出来ないのは当然なのだが。
その問題提起をどう受け止めるかはまた人によってさまざまだろう。いろいろあっても国家のために命を落とした英霊に慰霊の誠を捧げるのが本当だ、という主張がわたしにとっては一番説得力がある。
この問題に対する一つの説得力ある答えが『美しい国へ』に書かれていた。アメリカのアーリントン国立墓地には奴隷制を擁護した南軍将兵も埋葬されているのだという。米国大統領が国立墓地を参拝することは、靖国問題の議論で言えば奴隷制を肯定することになる。「しかし大統領も国民の大多数もそうは考えない。南軍将兵が不名誉な目的のための戦いで死んだとみなしながらも、彼らの霊は追悼に値すると考えるのだ。」
参拝反対派は、やはり思考が硬直しすぎていると私なども思う。政治的に日本を追い込むことを至上命題にしている中国や韓国などの姿勢に左右されるようでは困る。日中平和友好条約には第一条と第三条で「内政に対する相互不干渉」が謳われている。首相の靖国参拝が中国にとって「脅威」などであり得ない(単に「不快」なだけだろう)以上、この原則に則って処理すべき問題だと思う。
それにしても、安倍官房長官は今年の夏、参拝するのかな。その対応の仕方は彼の先行きの姿勢評価にかなり関わってくる。小泉首相の躓きは13日参拝などという半端なことをしたことにはじまった。より原則=プリンシプルを重視する安倍氏だからこそ、その対応振りが注目される。
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