小林秀雄の幸福という思想/『金持ち父さん貧乏父さん』

Posted at 06/07/18

いろいろと別のことに気を取られてなかなかしっかり本が読めないが、「モオツァルト」を読了したついでに『小林秀雄全作品15』のほかのものも読んでみる。対談がいくつもあってそれぞれに面白い。河上徹太郎・亀井勝一郎・林房雄という面々との「旧文学界同人との対話」(昭和22年)の中の以下の箇所が印象的。

「僕は青年時代から生活しろ、生活の中に何かあると教えられてきましたね。だがいくら生活しても体験しても何も生まれてきません。何もありません。そこへ美の世界というものが入ってきたんです。これは近代文学とは全然違った世界です。こんなところにどうして、こんな真理があるのかと思って驚いた。近代文学という一種の病気に気をつかせてくれたのは美というものだ。」…「僕はこの間ちょっと考えたんだよ。光悦とか宗達とかいう奴は何をあらわそうとしているのかなということをつくづく考えたよ。それは結局幸福なんだよ。…」「…で結局おれはそれからいろいろなことを考えたけれども幸福っていう思想は、なぜ現代に栄えないかということも考えたよ。」「現代の日本に、かね」「近代の全世界だよ。幸福というものは全人的でしょう。これはあらゆる才能が要りますよ。全身の緊張を要する一大事業ですよ。幸福の建設というものはね。しかもこれは全然個人的なものですよ。」

小林秀雄全作品〈15〉モオツァルト

新潮社

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以下、それを妨げたのは近代のブルジョア社会だ、という話が続くのだが、光悦があらわしているのは「幸福」であり、「幸福」の建設は全人的な、あらゆる才能がいる、全身の緊張を要する一大事業だ、という言い方はなるほどなあと思った。小林は知的な人だと思われているが、もちろん十分に知的でもあるのだが、ある意味でそれだけの人間を軽蔑し、全人的な要求を常に追及した人だということが明らかになってくる。近代以前と近代以後のもっとも大きな違いはその全人性というところにある、というのはまさにその通りだ。

近代は分業制の時代だ。人間はそれぞれ、割り当てられたことだけに専念することを求められる。しかしそれでは人間の全人性は損なわれる。そこに幸福は生まれない。近代人が幸福から遠いのはまさにそういうところにあるのだろう。そして割り当てられた業務でさえも、機械が代行するようになるとさらにその監督というさらに脳化された業務のみに隷従することになる。狐狩りにこだわる英国貴族や辺地で農作業をしたがる映画監督なども、結局はその全人生の回復なくして個人の幸福はない、ということに本能的に気がついているからだろう。光悦が見立てだけでなく自ら型紙を引いて陶器を作らせたりするのもそういうところにある。現代において人は生きるためにプロフェッショナルであらなければならないが、プロフェッショナルであるだけでは十分に生きることは出来ない。その矛盾をどのように解決していくかが現代における幸福について、最も大きな問題になるのだろう。

暫く前に友人に薦められて読んだロバート・キヨサキ『金持ち父さん貧乏父さん』(筑摩書房、2000)を読み返してみる。金儲けの本を読むなんてちょっと気持ち悪いな、と最初に勧められたときは思ったのだが、案外そんなものでもない、とそのときは思った。今読み返してみて印象に残るのは、たとえばこんなところだ。

「人間の恐怖と欲望こそがブレア・パッチ(罠・引用者注)さ。恐怖をしっかり見つめ、欲望、人間の弱点、強欲さに立ち向かうことこそ、そこから抜け出すための道なんだ。その道は頭を使って切り開く。考えを選ぶことによって切り開くんだ。」

「感情に反応するんじゃなくて、自分で自分の考えを選ぶんだ。請求書の支払いが出来なくなるのが怖いからというだけの理由で、それを解決しようとただ毎朝起きて仕事に行くのじゃなくてね。考えるっていうのは、時には自分自身に問いかけるための時間をとることを意味する。たとえば『もっと一生懸命働くことがこの問題を解決するのに一番いい方法なのだろうか?』といった質問を自分にしてみるんだ。たいていの人は自分自身に本当のこと―恐怖が自分を支配しているということ―を言うのが怖くて、考えることすら出来ない。そして考える代わりに玄関から飛び出して行く。」

金持ち父さん貧乏父さん

筑摩書房

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これは「お金のために働く」、という心性をよく説明している。給料を受け取る以外の金の稼ぎ方、つまり生活を立てたりやりたいことを実現したりするための方法を「考えなくする」ということだ。そしてそれは一つの道徳、一つの倫理として確立されているし、私自身もその影響を相当受けていることは確かだ。しかしその心性に安住していては多分小林のいう全人性を回復することは出来ないのだと思う。近代社会はある意味そういう「罠」に新中間層を掛けることによって成立しているところがあるのだなと思う。


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