論理武装/イスラエルの本気と東アジアの近親憎悪

Posted at 06/07/14

昨日は雨が降ったり止んだり。傘を手放せない。かなり蒸す。ムスタファ・イーブラヒーム。クイーンだったっけ。

Jazz
Queen
Hollywood Records

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昨日も仕事はそれなりに忙しく。歴史に関する書き物もそれなりに発展性があって。今まで言葉にならなかったことがかなり整理されてきた感じ。喋れなくなっていた言葉、失われていた言葉を取り戻した感じ。自分の言葉で語ることに対する自信を、失っていたんだなと思う。自分の言葉で語るための武器、それは論理とか筋道ということなのだ、と実感した。感覚的なもの、感性的なもの、感情的なものも感覚的・感性的・感情的な言葉だけで説明しても自分の言葉で語ったことにならない、言葉というのはやはり本質的にロゴスというか、論理的なものだと思う。理論武装という言葉があるけれども、理論自体が大事なのではなく、その理論の正当性を主張する論理こそが武装に必要なのだと思う。そういう意味では理論武装というより、論理武装というべきなのだと思った。

イスラエルがレバノンに侵攻。ちょうど小泉首相が訪問中というのがなんだかすごい。イスラエルの最重要課題は常に生き残りなのだなと思う。ヒズボラによるイスラエル兵の拉致に対する報復が目的だというが、地上軍も侵攻し、空港への空爆も行っている。世界中を敵に回してもイスラエル国家を生き残らせる、という決意が屹立している。

日本のように、北朝鮮に何の罪もない中学生の少女を拉致されても、手も足も出ない国家体制とは対極にある。

『文学界』8月号の佐藤優「私のマルクス」に、ソ連はマルクス・レーニン主義がシオニズムに換骨奪胎されるのを恐れて反ユダヤ政策に転換したがイスラエルは必ずしもロシアを憎んでいるわけではない。しかしイスラエルと最も親密だと思われているアメリカでも、WASPは今でも反ユダヤ主義感情を持っている。親イスラエルを推進しているエバンジェリストたちは考えてみればアングロサクソンではなく、ドイツ系やスカンジナビア系などの方が多いのではないか。ハートランドである中西部は彼らが多いと最近読んだ『ルート66』にもあった。(考えてみれば私がクリーブランドで世話になったのもスカンジナビア系の人だった。奥さんはアイリッシュでカトリックだったが。まあ彼らはデモクラットだからこのあたりに必ずしも関わってくる話ではないのだが。)だから、アメリカはイスラエルの重要な軍事同盟国だが、イスラエルはアメリカに対し特別の愛情を持っているわけではないのだ、とあった。

文学界 2006年 08月号 [雑誌]

文藝春秋

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ルート66をゆく―アメリカの「保守」を訪ねて

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佐藤の指摘はちょっと意表を突かれたが、やはりそうかという思いもある。ある意味、アメリカのイスラエルに対する「片思い」なのだ。中国が北朝鮮に手を焼いているように、アメリカはイスラエルに手を焼いている部分がある。しかしそういうふうに考えてみると、そうまでしてアメリカがイスラエルに肩入れするのは、ただ「ユダヤ人迫害」の反省に基づくのではなく、アメリカがイスラエルの存在から得る利益の方が大きいということは考えなければならないだろう。それが軍産複合体によるイスラエルの武器試用による性能向上にある、というのはどこかで読んだが、それだけだろうか。中東の民主化の拠点、という意味もあるのか。イスラエルの軍事行動は、何か古典時代のギリシャの都市国家のような振る舞いだと思うところもあるのだが。

「イスラエルのパレスチナ人に対する姿勢に人種主義の影があることはイスラエル自身が一番よく知っている。そのことをイスラエル人の間では議論するが、外国人、特にヨーロッパ人がそのようなことを語ることに対しては、最左派のイスラエル人でも抵抗感がある。第二次世界大戦で600万人のユダヤ人が殺された。…そのときどの国家もユダヤ人の命を助けてくれなかった。この物語のもつ意味はわれわれにとって大きい。ぼくたちは、他人に同情されながら絶滅するよりは全世界を敵に回してでも生き残ることを選んだ。」

これは「私のマルクス」の中のイスラエル人の言葉だが、イスラエル人のメンタリティをよく語っている言葉だと思う。そこまでの決意を持つことは容易なことではないが、それだけホロコーストの物語が重いということなのだろう。それに比べると東アジアの物語の語られ方は、もっとアンビバレントな愛憎取り混ぜ、みたいなところがある。イスラエルの姿勢に慄然とする世界の人々は、東アジアの情勢を見てもまあ近親憎悪みたいなものだなとあまり深刻視しないのだろうなという気もする。私などもそういうところは、正直言ってちょっとうざい。

イスラエルの本気度に比べれば、金正日の瀬戸際外交などお遊びだ。しかしそれは北朝鮮が独裁国家でありイスラエルが民主国家だという違いもある。またイスラエルがリッチで、北朝鮮が貧しく寄生的な経済しか成り立っていないということもある。はがそうにも剥げないかさぶた、みたいないらだたしさが北朝鮮にはあるが、イスラエルとムスリム諸国の対立は宿命的な業病といった深刻さがある。だからといって無視はできないのが北朝鮮であるし、だからといって手をこまねいていることも出来ないのが中東問題ではあるのだが。

拉致に対して軍事力を持って断固とした措置を取るイスラエルを見ていると、こういう事件に対して国家が本来とるべき態度はこうだよなあと思わずにはいられない。日本国憲法というのも床ずれのようなもので、動かそうにも動かせないし、だからといって放置していていい訳ではない、というようなものになってきた感じがする。

***

今日は空気がよく澄んでいる。木々の緑が、クリアーに空の青と雲の白との輪郭を作っている。夏の光がまぶしい。

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