「人間は群居する性質を持っている」/『自民党改造プロジェクト650日』
Posted at 06/07/31 PermaLink» Tweet
やることが一杯ありつつも考えなければならないこともたくさんあり、さてどんなふうに作戦を立てていくのか考えたり考えなかったり。このところ目が覚めるのが早いので朝は散歩に出かけるようにしているが、昨日の朝は短く、今朝は少し長い距離を歩いた。6時前に目が覚めると朝からいろいろできて充実する。
夕方一息入れた後、丸の内に出かけ丸善で本を物色し、さらに丸の内のブティック外を歩いて有楽町から銀座に抜け、有楽町の三省堂・西銀座の旭屋と物色したあとで教文館に行って世耕弘成『自民党改造プロジェクト650日』(新潮社、2006)とチャンドラー『大いなる眠り』(創元推理文庫、1959)を買う。世耕氏は自民党代議士だが広報担当でネットの一部では「自民党のゲッペルス」と書かれていた人。祖父は戦後の隠匿物資摘発に辣腕を振るい「世耕機関」として恐れられた世耕弘一だ。小泉内閣の広報戦略の成功は昨年の総選挙によって証明済みだが、その実態がどのようなものだったのかという興味から買ってみた。チャドラーは、最近政治・歴史・思想系のものを読んでいるとこころの中の潤いというかイメージの広がり的なものが枯渇してくる感じなので買ってみたのだが、まだほとんど読んでいない。
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夏休みの日曜日の晴れた銀座は最近見たことがないくらいの人出で賑わっていた。東京は人が多いなあとあたりまえの感想を持つ。渋谷とかより、家族連れで来られるだけ人出が多いのかもしれないなと思う。表通りも裏通りも人が溢れていてすげえなあと思う。こういう日はよく行く喫茶店も込んでいるに決まっているので早々に帰宅。
読みかけだった『一票の反対』を読了。第一次世界大戦の参戦に下院で反対したジャネット・ランキンが、ベトナム反戦運動にも参加しているのに驚く。90歳前後になってもその活動が衰えなかったというのは驚きだ。第二次世界大戦中からガンジーの活動に関心を持って戦後たびたびインドを訪れたがガンジーが暗殺されたため会うことは出来なかったらしい。ネルーとは何度か会っている。このあたり古典的な「平和活動家」というものだなあと思う。
ランキンはジョージアのコッテージで一人暮らしのとき、ヒッピーのような青年と同居しているが、彼女もほとんどヒッピーのように暮らしていたもののドロップアウトは絶対に許さなかったという話がなるほどと思う。青年はジョージア大学の大学院生だったというが、ランキンは死ぬときにも学資を残していて必ず卒業するようにといったという。そういう時代を超えた頑固さのようなものが妙に心を打つ。
ランキンは生涯独身だったが実は「淋しがり屋」だったといい、人間は群居する性質を持っているものだ、としみじみと語ったという。そういえばマルグリット・デュラスも死ぬ前には青年と同居していたし、テレサ・テンもかなり年下の男性と同棲していた。彼女らにはそういう存在が必要だったのだろうと思う。彼女らは彼らの才能を伸ばすことにかなり精力を傾けているが、その中でものになった(まあ何が基準かによるが)男性はあまり聞いたことがない。そういう例があるのかどうか、なんとなく興味は引かれるのだが。
この本は実際ジャーナリストの作品だなと思う。学者のような深め方も、作家のような精神の解明もないが、回りから見たジャネットがどんな人間だったのか、とてもよくわかるように描いている。いろいろなアプローチがあるものだなと思うが、ジャーナリスティックな視点のいいところが実によく表現されている作品だと思った。
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読み終えてから、世耕弘成『自民党改造プロジェクト650日』を読む。この本は実に面白い。一般企業では当たり前のようなことが自民党という組織では全然行われていなくて、世耕氏ら一般企業での勤務経験者が中心となって大雑把でどんぶり勘定的な自民党を「組織として戦う」ことが出来る組織に改造していく過程がとても面白い。いうまでもなく、自民党というのは実に義理人情的な組織で、いまなお丸山真男の言う農村共同体的なメンタリティによる支配が色濃く残っているところである。それを少しずつ現代的なメンタリティにかなった組織に替えていこうとする中で、私自身と同年である世耕氏がさまざまな壁にぶつかって出来たり出来なかったりする過程が非常に興味深く書かれている。
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特に面白かったのは、日歯連事件をきっかけにモチ代配布を廃止したり、県連の「不戦敗宣言」ではじめて公募候補が擁立できたりと、なにかの失敗やエラーを埋めていく形で改革が進められていく過程だった。こういうのが日本的なんだろうなと思いながら読んでいたが、よく考えてみたらたとえばイギリスなどでも実際はそういう形で改革が進められた例は少なくない気がする。どこの国でもベテランはやり方を変えたがらない。危機を「改革」によって挽回することによってようやくその必要性・有効性がみとめらるわけで、そのプロセスで推進者たち自信も信頼と威信を獲得していく。そういうプロセスの中心に幹事長・幹事長代理であった安倍晋三がいたということも世耕氏は強調している。
世耕氏によると、安倍氏の功績は拉致問題に代表される北朝鮮問題への対処だと一般に認識されているが、こうした「党改革」こそが彼の最大の功績だということになる。確かにこうした改革全体が派閥の必要性を減少させ、小泉首相の独断人事とあいまって発言力の低下を招いていることは事実であろう。首相は最初はあまり党改革に関心を持っていなかったが、それが派閥解消につながることを世耕氏らにより理解させられてからは積極的に党改革を言い出した、という記述には、なるほどそういう過程があったのかと不思議に思っていたところが納得できた。そうした車の両輪があって始めて現在のような「派閥の影響力低下」が実現しているのだとうなずけた。
これを読んでいてもう一つ思ったのは、政治記者の勢力関係図も相当変化しつつあるだろうなということだった。いままでは特定の政治家に食い込むことによって(いわゆる番記者)政局の情勢をつかむことこそが政治記者の役割という感じだったのが、そうした農村共同体的な取材だけでは自民党内すら把握できない時代になりつつあるだろうということである。永田偽メール問題に代表される民主党の危機管理の弱さと自民党の世間知の健在振りなど、こうした改革路線だけでは足りない部分があることは世耕氏も十分認識しているようだが、自民党の作ろうとしている政治組織としての枠組の問題などを議員自身によってではなく政治記者たちがもっと観察し分析し表現して言ってほしいと思う。今までのところ、そういう分析が実はあまり得意ではないのかと思われるような人たちが政治記者になる傾向がある気がするが、次世代の政治記者の育成がいま急務になっているように思う。
農村共同体的な、鎖国的なメンタリティというものは私には本当にはわかっていないと思うが、確かにそれは日本という社会の特徴の一つであることは確かで、丸山真男が分析した時代に比べると遙かに弱まっているとは思うが、それに変わる規範の育成が不十分だということは自民党内での派閥の機能に取って代わる代議士育成機能の不足にも現れているように思う。無派閥新人議員の会の研修会に11人しか参加しなかったというのはいろいろ事情があろうが党側がなかなかバックアップできないあいだにかなり派閥に取り込まれつつあるということではないかという気がする。
自民党の党改革というのもなかなか前途多難だが、改革が出来なければ自民党という政党が持たないだろうということもまたいえると思う。そのときに民主党に取って代わる力があるのか、それもなかなか不安だ。
しかしまあ、だいたいの方向性として改革というのはこういう方向に進んでいくものだしそうであるべきなのだろうと思う。自民党が共産党や公明党のような「鉄の組織」になることはまあありえないし、開かれた政党であるしかないと思う。政治と社会との係わり合いは、市民団体と革新政党のつながりだけでなく、保守の側からももっと積極的に社会とかかわりを持っていったほうがよいと思う。最近はイデオロギー的な動きが結構強いが、そういう面だけでなく、日常的な場面の問題解決に政治が出来ることがもっとあるような気がする。
ま、正直言って面白かった。自民党といえば脂ぎった爺さんたちの権力闘争だけだと思っている向きにはこういうのもあるというお勧めではある。権力闘争は権力闘争で面白いことも事実なんだけどね。読了。
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