サイード『オリエンタリズム』
Posted at 06/06/15 PermaLink» Tweet
昨日。いろいろやることがあってなんだか忙しかった。しかし昨日も書いたが図書館にナイポールを借りに行ったらあるはずの本が無かったり、ずいぶん無駄足が多かったのがちょっと堪えた。夕方から夜にかけての仕事はそうは忙しくなかった。ただ夜は疲れて、早く寝た。
結局読むものが無く、『オリエンタリズム』を読む。現在p.125、今まで読んだのは「序説」と「第一章オリエンタリズムの領域」の「一 東洋人を知る」で、「二 心象地理とその諸表象―オリエントのオリエント化」の途中。
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「序説」はなんだかわかったようなわからないような、つまり何の意味があるのかこちらの問題意識に触れてこない文章がうねうねと続いた後、p.67の「3 個人的次元」というところにきてサイード個人の話になってようやく息がつけたという感じ。それまでもフーコーとかのことを言っているのだが、フーコーと言う人にあまり好意的な印象が無いのとそれこそ意味がわからないということもある。個人的な根拠と言うものには大いに共感しえる部分があったような気がするが、理論的にはどうか。
shaktiさんが「ポストコロニアリズムは非同一性理論だ」と書いておられて、同一性というのはアイデンティティのことだから非同一性理論と言うのは「アイデンティティを否定する理論」ということと解釈したのだが、どうなのだろう。それでネットでちょっと調べてみたら結局それはフーコーに由来するらしく、つまりはフェミニズムもポストコロニアリズムも非同一性理論と言う点でフーコー理論の発展なのだ、というふうに理解したのだが、これもあっているのだろうか。フーコーの理論がニーチェに由来すると言うのはちょっと納得できないのだが、同じくニーチェに由来する面があるとも指摘されているナチズムの思想とどことなく類縁性を感じるところを私はフーコーには感じてしまう。もちろん同性愛を否定するナチズムと同性愛者のフーコーは対極にあるという見方があるのは理解できるが、もうこれは今の段階では「同じ臭いがする」という感覚的な次元でしか物が言えない。また今のところ生理的な拒否感がこれらに対してはあるので、ちょっとしばらくは近寄れないような感じだ。
非同一性理論と言うのは私の理解では「近代的自我を解体する」という非常に政治性の高い思想であるように思うし、それは「自我の無い人々」で構成された、つまりは全体主義的な社会を想像してしまう。つまりカルト教団の洗脳のようなイメージだ。フェミニズムにおけるジェンダーフリー政策は私は社会的に強い害悪を流していると思うし、ナショナリズムの解体も近隣に同一化政策の老舗であり巨匠であり巨魁である大「中国」がある現在、百害あって一利なしだと思う。ポリティカル・コレクトネスの主張が嫌な感じなのはそれがアメリカ(主に民主党)の世界政策の一環としてのアメリカ的価値の押し付けと感じられるところがあるからだが、フェミニズムや反ナショナリズムの主張は旧社会主義勢力による日本国家・日本国民の解体活動の一貫で、結果的に中国等周辺諸国を利する策謀のように感じられてならない。つまり形を変えた「民主的な相貌」の帝国主義政策であり、日本を無気力化・属国化する政策であるように思う。
だからサイードの主張も、オリエントの「オリエント」化、のような文化的な帝国主義の推進が西欧によってなされた、という点においては非常に共感するわけで、オリエントがオリエント化するのではなく彼ら自身のアイデンティティ(そこにオリエントと言う枠組みは必ずしも必要ではなくなるだろうが)を確立するための理論であるならば、おそらくは全面的に賛成と言うことになるのだろうと思う。ただ、結局現在はその主張がイスラム原理主義やテロリズムに行っていることの問題点はもちろん感じるが、それがイスラム主義やナショナリズムを否定する方向でしか解決できない、という考え方には納得できない。
私はかつて「非同一性」的な主張をする集団のかなり近くに(自分の意思では必ずしも無く)いたことがあるが、現在はそういうものを非常に気持ち悪く感じている。そういうところのメンバーは、オウムの女性たちがみな美人ではあっても非個性的に見えたように、「同じ顔に見える」のである。より社会性の強い団体でも、そういうことは良くある。
私はやはり、「彼ら」と「我々」を分割すること自体が悪であるとは思わない。「彼ら」と「我々」の関係をその違いを認めた上で「敵対と攻撃」ではなく「敬意と尊重」の関係に持っていくことが肝心なことなのだと思うし、それしか道はないと思う。
話がずれたが、『オリエンタリズム』の感想続き。p.93クローマーの言説を読んでいて思ったが、オリエンタリズムとは「支配する(統治する)技術」を支えるものであり、そういうものとしては非常に優れたものの見方を持っていると思った。「支配の技術」という点ではヒトラーの『わが闘争』に書かれた民衆観が思い浮かぶが、ああいう極端な考え方はまったく無い。自らが「支配者」であり、相手が「被支配者」であると言う規定から出発した場合の、その技術論としては相当精緻に構築されている。「支配者としての成人白人男性」と「被支配者としてのその他」という構造を問わなければこれは相当応用の利く考え方で、中国の政治家が日本を恫喝するときのやり方などは彼らの思考構造がこういうものと同一であることも理解される。
同じページで、「彼ら自身が自らの関心の中で何をもって最善と見なしているかを考慮すること」が重要だと言う主張は、「統治の技術」の核心をついている。人間はたいていの場合、それが考慮されていると感じれば大概の支配は受け入れるからである。このあたりを読んでいると、イギリスの植民地からの撤退が比較的スムーズに行き(インド・マレーシア・エジプトなど)、フランスが泥沼に落ち込んだ(アルジェリア・ヴェトナムなど)ことが思い出され、イギリスが上手くやった理由がわかる。「自らの関心の中で何を持って最善と見なしているか」という関心の中心が植民地人自身のアイデンティティ、すなわち自信や誇りや独立心というものになったときには躊躇なくさっさと統治を切り上げるべきだ、という考えにもつながるわけで、その鮮やかさがフランスにはない。
p.96東洋人には論理が欠けている、という嘲笑は、会田雄次『アーロン収容所』にでてくる病原菌ガニのエピソードを思い起こさせる。ビルマで日本兵を捕虜にしたイギリス軍は捕虜を川の中州に閉じ込め食糧を与えず、日本兵は病原菌を持っていると知りつつカニを食べざるを得なくなり、それで病気にかかると「日本人は衛生観念が不足しているため」と報告書に書いた、という話である。
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p.100ページあたりを読んでいて思うのは、西欧人がオリエントを「矯正すべき対象」と考えていると言うことで、これはただちに日本の「進歩的文化人」「左翼的文化人」ないし「親米文化人」が日本の文化のあらゆる個所を「矯正の対象」とみなし、注文をつけているさまを思い起こさせる。西欧人の思想がそのまま自己投影している日本の文化人のあり方こそ、植民地根性と言うべきだろう。
まあこのあたりを読んでいると、サイードがもし日本論をやっていたらどんな風になったのだろうという気もする。近視眼的な論者は帝国化したあとの日本が西欧と同様にふるまったという一面しか見ない。あるいはオリエントを脱し、帝国化すること自体を悪と見なすだけだが、「あなたなら、どうしましたか」という『朗読者』のハンナの問いに答え得る人がいないように、そこを考えないようにしているのでは知的誠実さに欠ける。
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あとは「二項対立的思考」がオリエンタリズムの特徴でありそれが不当であるという話になっていくので、先に述べたようにそれには同意できないが、「我々」と「彼ら」だけでなく「我々」と「彼ら」と「彼ら」と「彼ら」、というように世界の複雑さを複雑なまま理解する思考が西欧文明に弱いなとは思う。
まあそんなふうに考えていくと、「非同一性的思考」は少なくとも「彼ら=西欧人」には必要だということにはそんなに同意できなくもない。しかし、「我々」にそれを押し付けられたのでは、「冗談じゃない」と思う、ということだろうか。日本人は西欧的自我が発育不良だ、と散々言われてきているのに、そんな状態で自我の解体など言い出したら人間の内的統一性が完全に崩壊する。というか、「倫理観」とか「責任感」というものはそういう内的統一性がなければ生まれるべくも無いものだし(特にそういうことをかんげると私自身が自分自身の内的統一性の弱さを感じている)、日本で起こっているさまざまな社会問題はそういうものに由来するところが相当多いのではないかという気がする。二項対立を否定したら二項を立てること自体を否定すると言うのでは、短絡もいいところである。
まあしかし、理論的にはともかく、扱っているのが中東に関する言説なので、私自身の関心と中東をめぐる今日的問題関心とちょうどマッチしていることは事実で、引用されている言説そのものは私にとっては興味深いものが多い。議論を読まないで引用だけ読み、それに対する著者の見解を読んで自分で考えてみる、というのが一番建設的な読み方なのかもしれない。
先ほどは曇っていたのだが、ついに降りだした。ちょっと風雨が激しくなりそうな雰囲気だ。
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