インテリゲンツィアの危険と限界
Posted at 06/06/09 PermaLink» Tweet
今日は雨。昨日の遅くに降り出し、朝まで断続的に降っている。強いときは家の屋根がうるさいほどの音で降ってきているが、近くのトタン屋根を打つ音が遠くで聞こえてくる程度だ。しかし雨は雨。6月9日だから、そろそろ梅雨の声を聞いてもおかしくない。まともにニュースを見ていないのでどうなっているのかよくわからないが。
昨日はあたらしい創作を書いた時間が長かった。仕事に行く前に駅前の書店に行き、そういえば新しい号が出ているはずだと思って探したらあったので『文學界』(文藝春秋)7月号を買う。「国語再建」が特集で藤原正彦・齋藤孝の対談、荒川洋治や石川九楊が寄稿しているというのはまあいかにもだが、白川静のインタビューが少し楽しみ。小倉紀蔵がエセーを書いているのがへえという感じ。あとはジャン・リュック・ナンシーの「世界化の時代における政治」くらいかな。
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イシグロの『わたしを離さないで』の書評が出ていて「人間という種というアイデンティティーを扱っている」、ということを言っているのだが、うーん、まあ、そうはいえるよなと思いながら自分の読んでいるところと微妙にずれている気もする。なんかそういってしまうとどうしても浅薄な感じになる。しかしこの書評は「扱っている主題の巨大さとそれにみごとに渡り合う構想力と筆力。それでいて読者のそれぞれに考える余地を与えてくれる作品。『わたしを離さないで』は、二十一世紀文学を代表する作品として遠い未来まで語り継がれていくに違いない。」と結ばれており、結局絶賛である。もうちょっと魅力的な誉め方をしてほしい、というのが私の感じた不満なのだが、まあこういう書き方のほうが客観的で冷静だ、と評価されるんだろうなとも思う。まあいいけど。
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佐藤優『自壊する帝国』(新潮社)第6章(全9章)まで読了。ソ連の反体制知識人との知的交流が非常に魅力的に描かれている。こういう交流をできる佐藤という人を羨ましいと思う。ラトビアの人民戦線の仕掛け人とか、無神論者から出発してロシア正教の神父になり、宗教の教義を徹底的に研究した結果イスラム教に改宗してしまった人物とか、ロシアのインテリゲンツィアの知的誠実さというものがひしひしと伝わってきてある種の感動がある。しかし逆にそのように自分の知的結論に従順に行動してしまうところにある種の弱さがあるわけで、彼らはものすごく頭がいい(ある人物は研究書を一日に1000ページ読むという)が、結局ドストエフスキーの時代のインテリゲンツィアのように、民衆からは徹底的に遊離してしまっていることがよくわかるように描かれている。
日本の知識人はもっと大衆的なずるさに満ちていて(彼ら自身が大衆だ、といったほうがいい手合いも幾らでもいる)、そのあたりが噴飯ものではあるのだが、逆にそこに彼らの腰の強さがあるわけでもあり、なかなかそう簡単に絶滅しそうもない。ただそんなことではなかなか本質的な知的エクスタシーは得られないよなと思うだけである。
印象に残ったところをいくつか上げる。
p.39、1987年。ロンドンの亡命チェコ人の古本屋からモスクワ赴任に当たっての注意。
「モスクワにも古本屋はあるんですか。」「たくさんあるよ。ただし古本屋は反体制派とつながっているので、外交官が接触するとリスクがあるかもしれない。」ソ連のような全体主義国家では「古書を持つこと=反体制」なのだ。中国でも清朝の時代に「四庫全書」という巨大な叢書が作られたが、これはここに収められた本だけは研究しても良い、という意味でつまりは言論統制が狙いだったと宮崎市定が書いていたが、まあそんなようなものだ。「これに載っている言葉はボツ」という日本のマスコミの「言葉狩りマニュアル」と本質的に同じ行為である。いや話がずれた。
p.152、ラトビア人民戦線の戦略。
「ゴルバチョフは法の支配を権力基盤の源泉にしようとしている。そうなると連邦条約が存在しないという問題(連邦条約に参加しているのはソ連邦成立のときのロシア・ウクライナ・白ロシア・ザカフカス4国のみで、バルト三国・モルダビアは独ソ不可侵条約の際のモロトフ・リッペントロップ秘密協定、つまりヒトラーとスターリンの取引でソ連が占領した経緯をさしている。)に、正面から取り組まざるを得ない。中央アジアや沿バルトの併合は、スターリンの植民地政策に過ぎないということが明らかになる。」
ゴルバチョフの改革の「法の支配」の論理を逆手に取るという戦略。ソ連から最も早く離脱したバルト三国がそんな「論理的闘争」によってそれを実現したとは意外だった。北方領土問題なども、結局はそうした論理的闘争のほうが有効だと佐藤は言いたいのだと思うが、日本の政治家はそのあたりが最も苦手で嫌う人物が多いというあたりに齟齬があるのだろうと思う。
p.256ムスリムに改宗した神学者ポローシンの言葉。
「自分が何を信じているのか、この世界にどうして悪が存在するのかわからなくなった。キリスト教的な問題の立て方が諸悪の根源のように思える。人間に原罪なんて存在しない。そのままの人間は善でも悪でもないと素直に認めればいいんだ。結局、ユダヤ教、キリスト教という原罪観にとらわれた宗教が世界をねじ曲げて解釈し、人為的に問題を作り出すというように僕には思えてならない。」
これは重要な指摘だと思う。一神教的態度が世界の不和の原因だと良く日本では言われるが、一神教的態度よりも「原罪観」という見方こそが人間を飽くなき正義の追求に駆り立て、むしろ悪を創り出しているように私も思う。善悪二元論では解決しない問題がこの世にはほとんどであるのに、それを無理やり割り切ろうとする態度は硬直しすぎていて有害だと思う。
あとどこで読んだか忘れたが、「ソ連は最初から狂っていた」というアレクサンドル・カザコフ(サーシャとして出てくる佐藤と非常に親しい人物で、ラトビア人民戦線の仕掛け人)の言葉も強く印象に残る。それは私もよくわかる部分がある。ただ、やはりこの人たちの分析はあまりに鋭利で、そのまま受け取ると危険な部分がずいぶん多い。「袋の中に錐(きり)は隠せない」というが、適用するときは少し無害化して使った方がいい場合もずいぶん多いような気がする。インテリゲンツィアは自分も十分に使いこなせない危険な概念や言葉を振り回しているある意味始末の悪い人々なのだということはよくわかる。もちろん日本の近代史や私自身の自分史に登場してくる多くのインテリ、あるいは自分自身のある部分を見てもそれは明らかなことなのだが。
ま、とにかくこの本、というか佐藤優の書くものは、そういう危険に満ちた知的刺激に溢れているということははっきり言える。ヨーロッパ、特にロシア・東ヨーロッパというものはとんでもない世界である。
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