名文の条件/『王様の仕立て屋』
Posted at 06/05/10 PermaLink» Tweet
昨日帰郷。車中では志賀直哉『灰色の月・万暦赤絵』と山口翼『志賀直哉はなぜ名文か』を読む。『志賀直哉はなぜ名文か』を読んでいると、志賀の文章のどこに注目すべきか、私が気がつかないところをいろいろ指摘されていて、いわれてみて読み直してみるとなるほどそういうよさがあるんだな、と確認させられることが多い。そういう意味では本来の意味での文芸評論としても十分成立しているように思う。ときどき文章的にかったるく感じるところもあるが、あとがきに「尚この本の原稿は再々書き直した。ことに引用文の解説は書き直す度に、未だ足りない、もっと親切に書け、と編集部から注文がついた。読めば分かる筈だと思うのに、しつこい程に書かされた。読者の中には、あるいは御目怠く感ずる方も居られるかも知れない。御寛恕を乞う。」とあり、なるほどそういう事情かと納得させられた。この引用文からもわかるように著者は現代の普通の表現に比べると相当漢字を多く使っていて、その雰囲気と内容のギャップが変な感じがしたのだが、なるほどと思った。著者が自分でよしと信ずるような文章で書かれていたらまた雰囲気も違っていたのだろうし、そのあたりは同情するが、そういうセンスと最近の新書のやや粗製濫造的な書きとばしのノリとの複合的な産物であるといえるかもしれない。著者の全力の批評を読んで見たいと思った。
志賀直哉が名文の条件としてあげている第一がまず「リズム」で、「リズムの弱いものは幾ら「うまく」出来ていても、幾ら偉らそうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしているときの精神のリズムの強弱――問題はそれだけだ。」という引用がある。精神のリズムの強弱というのはわかる気がする。自分が納得の行く文章を書けたときは、書いているときに「リズム」といえるものを感じている、あるいはうまく作り出しているように思う。これは舞台に立って台詞を言ったり演技をしたりしているときの感じに似ている。しかしリズムといっても一概に「ノリ」がいいのがいい、というわけでなく、淡々とした文章には淡々としたなりの、渋滞した文章には渋滞したなりのリズムというものが存在する。人間の精神はさまざまな状態があるのだし、しかし生きているのだから生きている以上、そこにはあるリズムがあるはずなのだ。そのリズムを見つけ出してうまく書き記せられるか同課、直哉が言っているのはそういうことだと思った。そういう意味では、いわゆる「リズム感」と「リズム」とは違う。
二つ目は、「兎に角はっきり頭に浮かべて書く事は大切だ。」という引用で、これもなるほどなあと思う。人間は知らないことは書けない。はっきり頭に浮かべることで、作家はそれをよく知ることができる。それは複雑な状況を整理して認識する、というようなことではなく、複雑な奇妙な状態そのものをそのまま頭に浮かべることであり、そういう意味では論理的な頭だけでは出来ない、芸術的な観察眼のようなものを持って頭に思い浮かべることで、論理的思考の暴走を極力抑える力が必要だと思う。しかし描写の際に全く整理しなかったらいいかというとそれもそうではないわけで、よけいなものは省きつつ必要なものは落としてはならない。その何がよけいで何が必要かという判断を論理でなくある意味での感性で行うことが必要なわけで、そこらが言うは易し、ではある。私はある場面、思いがけない場面で思いがけない役者にスポットが当たるシーンを想像した。
三つ目は、「速く書いたものを一概にいけないとは思わないけどネ、読めば分るネ。速く書いたといふことは文章で分るよ。」という阿川弘之『志賀直哉』からの引用である。速く書かず、遅く書くということでは、私は副島種臣の書を連想した。書家というとすらすらとさらさらと勢いで書き上げるという先入観があったが、副島など近世・近代の書家というのはむしろ「できるだけ遅く書く」事を目標に書いていると思われるような書がよくある。「一」という字の横画を10分くらいかけてゆっくりゆっくりと書くと、想像もできないくらい力のこもった字になる。それとおんなじような感じだろうか。もちろんその中にリズムを持たさなければいけないのだからこれは言うまでもないが超絶的なことで、志賀の言う「速くない」感じというのはそういう重厚さではないかと思う。さらっと読み流してしまいそうで読み流せない文章には、ひとことひとことにあれっと思う工夫がこらしてあって、びっくりする、そういう職人芸というか、そういうものといえばいいか。六代目歌右衛門がひとつの演技にいろいろなものを織り込んで演技をコクのあるものにする、という意味のことを言っていたのを読んだ記憶があるが、そういうことだろう。
そのように見ていくと、やはり志賀直哉の文章はいろいろな意味でやはり凄い。まだまだ見落としているところがあるだろうと思うけれども、何を考えて文章を書いているのかが分ってくると、読んでいて面白いなと思う。しかしスカスカの文章を読む気がしなくなるという弊害はあるかもしれないが。「秋風」「山鳩」「目白と鵯と蝙蝠」「妙な夢」「朝の試写会」「自転車」「朝顔」まで読了。
午後から夜は仕事。あまり忙しくなく。朝起きて、セブンイレブンに『スーパージャンプ』を買いに行く。「王様の仕立て屋」の続きが前号が出たときからずっと気になっていたのだ。この感じは『小学四年生』とかを読んでいたころ以来の気がする。主人公が豪い難問を抱え込んでしまって、いったいどうなるんだろうと思っていたのだが、うーんそういうふうに展開させるかと、ストーリーテラーとしての大河原遁の才能に改めて感心させられる出来であった。これが伏線だろうと思っていたところは大体想像したように使っていたが、落ちのつけ方も言われてみればこうなるのは想像不可能でもなかったなとも思う。しかしいい意味で読者の予想を裏切ることはそんなに簡単なことではない。私の読んでいる範囲では今一番才能がきらめいている漫画家だと思う。ピエール・カルダンのコンケーブ・ショルダーという技法が今回の「技」として披露されていて、薀蓄漫画の王道を外さず作品自体の雰囲気を壊さずかといって相当な冒険も敢えてした上でそれをうまく乗り越えたなと感動した。「愛しのロクサーヌ」という題がついていることに注目していればもっと想像出来たかもしれないな、と思ったり。いやまあこうやっていろいろ考えることは楽しい。
※あとで考えたことだが、このオチはちょっとイシグロ『日の名残り』に似ている。あそこまで深刻ではないが…
今日は薄曇だが、暖かい。庭の芍薬が咲き始めた。紫木蓮、花海棠、紫式部?は盛りを過ぎた。下り坂の四つ角の家の藤が盛りだ。高島城の藤も見頃になっているかもしれない。
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