『志賀直哉はなぜ名文か』/大河原遁『かおす寒鰤屋』

Posted at 06/05/09

昨日。早く目が覚めて、窓ガラスがなんとなく汚いのに気付き、久しぶりにガラス磨きをする。大掃除といってもまとめてやるのは大変だからそんなふうに気がついたところから少しずつやるのだが、本棚の整理という大物がうまく片付いたのでいろいろなところが気分よく片付けられる。冷蔵庫も今のものの方がずっと使いやすい。自分の生活の身の丈にあったものが、自分の身辺には必要なのだと思う。新聞紙を水に浸してガラスを磨き、最後に雑巾で仕上げ。東の通路に面した凹凸のあるガラスは凹凸に汚れが溜まってどうもうまくきれいに拭けないが、ベランダに面した西側のガラスはだいぶきれいになった。朝から一仕事。

散歩に出かけ、ちょっと長めの距離を歩く。ここのところ行っていなかったデニーズの前を通ると「セブンアンドアイ」の看板が出ていて、ああ同じ資本系列なんだ、と思った。それとも吸収されたのだろうか。郵便局や銀行で用事を済ませ、開店直後の本屋を物色し、西友まで歩いて牛乳パックを回収箱に入れ、オレンジのバラを買って帰った。早速活けてみるとだいぶ萎れていて、さすが200円では仕方が無い、と思うが、ちょちょっと枝を払って向きを考えていけたらそれなりにきれいに見えた。まあいいだろう200円だし。

山口翼『志賀直哉はなぜ名文か』を読む。読んでいるうちに実際の志賀直哉の小説を読みたくなり、読みかけになっていた『灰色の月・万暦赤絵』(新潮文庫、1968)を出してきて「早春の旅」・「灰色の月」・「兎」・「実母の手紙」といったところを読んだ。「早春の旅」を読みながら、小説と随筆や批評、身辺雑記的なものとの違いというのは何だろうと思う。

昼過ぎ近くの酒の安売り屋に行ってトニックウォーターを買おうとしたら缶入りのが3本しかなかった。ペットボトルの方が使い切れなくてもいいから便利なんだが。西側の部屋の電気がひとつつかないので隣のニトリで照明器具を探すがちょうどいいのがなし。安くてスタイリッシュな照明はないか。

夕方になって再度本屋に出かける。志賀直哉をもっと読みたくなったからだ。読んでいるうちに、志賀直哉というのは現代でも方法論が通用する唯一の近代作家なのではないかと言う気がしてきた。近代と現代を「貫く棒の如きもの」が志賀直哉にはある。彼は苦悩しない唯一の近代作家ではないか。苦悩しないでものを書けるタフさが、今必要とされているように思う。もちろん苦悩が全く書かれていないというわけではない、「菰野」とかはどうしようもない現実と戦っているさまが書かれている、まあ言うまでもない事だ。『暗夜行路』とかを読んでないからそういう言い方になるんだろうという気もしなくはない。しかし「実母の手紙」を読んでいるとどうしても可笑しくなってくるユーモアのようなものが彼の文章にはあるし、「灰色の月」の鮮やかさには目を奪われる。

駅前の書店で『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫、1968)[字が大きくて最近の文庫は読みやすい]を買い、ついでに丁度目に付いた猪野健治編『右翼・行動の論理』(ちくま文庫、2006)を買う。そうそう、あまり書いてないが最近桜井章一の雀鬼塾を扱った『牌の音』という漫画を何度も読み返し、またサイトなどを見たりして、一連の漫画の中に出てくる行動右翼の人物の「弱者に道をあける」思想とか、「なるべく平たくしたいんだよ、平たくね」という台詞とかを考えたりしていて著名な行動派である野村秋介をめぐる二つの対談が所収されているこの文庫を読んでみることにしたのだった。それにしてもちくま文庫というのは意外な感じだが右翼関係の書籍を所収したりしていておもしろい。他の出版社ではあまりやりそうにないが重要なものを文庫化していて、いい仕事をしているなと思う。

永代通りを渡り、ドトールの前を通ってマンションのエントランスから公共駐輪場の横を抜ける道を出て、NTTの角を曲がると勤め帰りの背広姿がいくつも駅に向かって急いでいた。西友の前の信号は赤だったが車が来ないので渡りながら、志賀直哉の小説『灰色の月』と小林秀雄の批評『人形』と、瀬戸内寂聴の寂庵での身辺を記した随筆との違いは、造形と鑑賞という作家の書き方の違いなのだと思った。鑑賞は一歩引いていて、造形は自ら作り上げる。「見た」ことを書くのが鑑賞で、書くことで「作る」のが造形、あるいは創作であり、詩と小説の特権性はそこにある。読者からすれば、批評は作家の視点で見たことを追体験するが、創作はその文章そのものをまさに鑑賞することになる。まあそんなことは分かりきったことかもしれないが、その違いは大きいなと思った。今まであまりよくわからなかった言葉に「エクリチュール」という言葉があるが、そういうことを言っているのだろうか、と思った。

どうもわたしは美術的な比喩が物事を理解するには分かりやすいらしい。造形という言葉が一番ぴったり来る。

夕食の買い物をして家に帰ると、アマゾンのマーケットプレイスで注文してあった大河原遁『かおす寒鰤屋』(集英社ジャンプコミックス、1996)が届いていた。志賀直哉を読んだり漫画を読んだり。『かおす寒鰤屋』は骨董商の話で「薀蓄+ドタバタ+美少女おたくっぽさ+まとまった(まとまりすぎた)ストーリー」というパターンがもう10年前に確立していたことには驚いた。若書きなのは否めないしジャンプの連載では薀蓄ものはきついだろうなと思う。ネットでいろいろ調べると「大河原正敏」の名で手塚賞の佳作を受賞していて、初期作品集も集英社から出ているらしく、またマーケットプレイスでワンクリック注文してしまった。たいした値段ではないけれど、あんまり簡単に買えると日本の書籍文化を守ってきた古本屋の将来がどうも憂慮されてしまう。1968年群馬県出身、か。

ジントニックを2杯飲んで寝たら5時前に目を覚まして夢うつつのうちにいろいろなアイデアが湧いてきて面白かった。酒はやはり一種の幻覚剤なのだろうか。


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