明月記の超新星/新しい冷蔵庫への若々しい希望/保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』

Posted at 06/05/02 Trackback(1)»

明月記に記された超新星の爆発から1000年たったという記事を読む。最も明るいときには太陽と月を除いて人類史上最も明るかったというから、昼間でも見えたということだろう。こちらによれば10等くらいと見積もられているそうで、金星の最大光度が4.7等、月は12等(記憶が正しければ)なので、これは無茶苦茶明るいといっていい。ちなみに太陽は26等。

この超新星の地球からの距離は約4000光年、巨星との連星である白色矮星が超新星爆発を起こしたというタイプだそうで、地球からの距離は例外的に近いといっていいらしい。1000年間で残骸は約6光年にわたって広がり、200万度の高温のガス雲となっているというから、もし地球から8.7光年のシリウス伴星(白色矮星)が超新星爆発を起こしたら地球は確実にやばいだろう。まあそれこそ全く防ぎようのないことではある。

この明月記超新星は考えてみたら実際に爆発したのは5000年前ということになる。地球からの観測だけでは宇宙で何が起こっているかは全然わからないことだよなあと思う。

しかし不思議なのは、藤原道長の時代の超新星がなぜ同時代の清少納言や紫式部によって記されず、200年もあとの藤原定家によって記されていることで、同じように超新星を見たはずのヨーロッパやイスラム、中国などでもこの記録が無いのか不思議な感じがする。金星よりも明るい星に気がつかないはずが無いと思うのだが。

***

久々に朝から天文の話題について書いたらエネルギーを消耗した。

昨日は午前中に冷蔵庫の配達があるということで待っていた。朝のうちに古い冷蔵庫から必要なものを取り出しいらないものは捨てるという作業をしたらかなり巨大なゴミが出た。だいぶゴミを冷蔵するのに電気代を払っていたらしい。配達が11時過ぎになるという電話が9時ごろ入り、その前にちょっと散歩兼買い物に出かけることにする。久々に南砂町の古本屋に寄ったのだが、面白そうなのが安売りされていたのでつい何冊も買ってしまった。『ハーディ短編集』(新潮文庫、1957)、ピーター・メイル『南仏プロヴァンスの12ヶ月』(河出書房新社、1993)、『筒井康隆の文藝時評』(河出書房新社、1994)ヘッセ『郷愁・春の嵐』(新潮社世界文学全集、1961)、これで〆て350円。なんだか冗談みたいな値段だが、そんなものなんだろう。ジャスコで昼ごはんの買い物をし、未来屋書店で保坂和志『書きあぐねている人の小説入門』(草思社、2003)を購入。

家に帰ってみるとほとんどすぐ電話が来て暫くして冷蔵庫が配達され、古い大きな冷蔵庫は引き取られた。新しいのはタッパが私の喉もとくらいなのでキッチンがだいぶすっきりした感じがする。冷蔵庫に古い冷蔵庫から取り出したものを入れていくが、要するに調味料と酒である。スピリッツ系は冷凍庫に入れる。新しい冷蔵庫が来たというだけでなんだかうきうきするというのも不思議なことだ。沈滞していたキッチンの雰囲気がだいぶめでたい感じになり、今朝などは朝から模様替えをし、布巾などを洗濯したり調理器具類を整理したりを始めてしまった。最近全然手を入れてなかったのではっきり言ってでたらめなのだが、連休中に何とかキッチンに立つのが楽しくなるような台所にしたいと若々しい希望に燃えたりした。

『書きあぐねている人のための小説入門』は現役作家の書いた小説論ということで面白いなと思って読み始めたのだが、読めば読むほど面白い。いろいろ考えさせられることが多い。観念的には理解していても実際はそうしていなかったことや、思っていたより大事なことが発見されることもあるし、我が意を得たりと思うこともある。別に小説を書こうと思って買ったわけではないのだけど、読んでいるうちにどんどん小説が書きたくなってきた。そんな本も珍しいのではないかと思う。

休み休み読みながら午後また町に出かけ、銀行と郵便局で記帳したり。東京駅に出て丸善でみなもと太郎『風雲児たち 幕末編』の最新刊を買う。ナイチンゲールの話に感動。看護=ケアの概念ははっきり言ってナイチンゲールただ一人によって確立されたといっていい。長州藩の藩論が吉田松陰一人によって確立されたのと同じように。そういう歴史的に偉大な個人には感動するしかない。そういう人間がいるから人類はいまだ生き延びているのだと思う。それから保坂和志『季節の記憶』(中公文庫、1999)。これはまだほとんど読んでいないが、保坂の小説論とその実践をやはり読み比べておきたいということから買ってみた。

五月の陽気が気持ちいい。今年初めて、夏用のジャケットを着て、綿の辛子色のズボンをはいて出かけた。空は青いし、日差しは強い。

保坂によると、風景描写によって文体というものが生まれる、というのだが、それはなるほどと思う。視覚的な一望的な印象を文字という順番に読む方法で叙述するのは基本的に力技であり、そこには作家の力量やテクニック、文章上の癖や特徴、好みなどが如実に現れるということだろう。描写によって生まれる文体こそがその小説全体を支配するというのは確かにそうだと思う。スタンダールやバルザックが読んでいて辛いのは会話ではなくその描写についていくのが大変だからであり、プーシキンを読んでいて私が感動したのはただ読んでいるだけでロシアの冬の茫漠とした真っ白で広大な大地が眼前に浮かび上がってきたからだ。ロシアが文学の国になったのは、その祖といっていいプーシキンが描写力において溢れるような才能の持ち主であったということが大きいのだなあと思う。

いろいろものを考える。文や詩における美の問題、文学の時代性、文学の世界性。それだけのことを考えられたら、いくらでも考えることはある。

今日は昨日と打って変わってどんよりとした曇り空。気圧も相当低そうで、こういうときには私は血圧的な影響を受けるのでちょっと体調がもうひとつ。これから帰郷して仕事して、明日からは連休。

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書きあぐねている人のための小説入門

from Dolphin at 06/05/04

はじめてブログをつけることにした。。。いつもいろんな本を読みたいと思いながらなかなか思うように読めない、そういう貧乏ヒマなしな会社員の読書メモ。まずは最近読んだのは保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」。こんなにわかりやすい文章なのに、 ...

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