ハンドバッグを網棚に上げる女性/イシグロ『日の名残り』と「取り返しのつかない人生の失敗」
Posted at 06/04/19 PermaLink» Tweet
昨日帰郷。出かける前は家の中を掃除。朝のうちに畳の部屋を掃き、洗濯したり、炬燵を仕舞ったり、卓袱台を拭いたり。本棚の整理をしようと思うのだが、方針が立たない。どこに何があるか、そこに行けばそれがあると明白なものでないとガラス戸つきの本棚に仕舞いにくいのだが、ガラス戸つきのものが多すぎるし、その収容能力に相当頼っているところがある。本棚に仕舞いきれなくてダンボールに入れてあるものも一〇箱以上あるのだが、その中身ももう忘れてしまったものも多いし、何とか始末をつけなければと思う。いつも整理するときは思うのだが、本棚に収まっていると本というものはあまりたくさんあるように感じないのだが、一度本棚から出して積んでみたりするとその量はうんざりするものになる。何らかの法則をそこに見出そうとするのはほとんど不可能だ。本棚一つか二つの時代にはそれでも本を並べ替えることが楽しかったが、もうあの楽しみの時代は遠いという感じだ。
と、書いてきて思ったが、まずひとつ本当に手にとることに喜びを感じる本ばかりを集めた本棚を作り、その次のクラスのものを次の本棚に…という感じで「楽しい本棚」を作るように心がけてみたらいいのかもしれないと思った。すべてを整理しようとするから気が遠くなってしまうのであって、何か方針を立てて大事なものから整理するというようにすれば少なくとも大事なものはきちんと整理し保管できるだろう。今週は土曜までこちらで用事があるから東京に戻るのは土曜の夕方になるが、そんな感じでやってみようと思う。
***
一〇時半過ぎに家を出、図書館に行ってアポリネール(未読)を返却し、地下鉄に乗る。今回鞄の中にあるのはイシグロ『日の名残り』、村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』、タブッキ『逆さまゲーム』、カルヴィーノ『木のぼり男爵』、入れたつもりはなかったがシーシキン『ノモンハンの戦い』、積んであって未読のエリオット『文芸批評論』、安部公房『箱男』である。『箱男』は持ってることも忘れていたが、初版第九刷を古本屋で買ったもの。『砂の女』も実は持っていた。
『紳士の服装』は読了したが、その中で印象的だったのは鞄は犬だ、ということ。つまり、男の鞄というのは外に持ち歩くとき、後生大事に人間の座る座席になど置くべきものではなく、どーんと地面に屹立させるべきものだ、ということ。確かに日本人ほど鞄の類を座席に置いたり膝に抱えたりする種族は少ないのではないかと思う。この本の筆者がヒースロー空港のロビーで椅子にたくさんの旅行鞄を置いて自分たちは立っている日本人たちを見てイギリス人たちが奇異と軽蔑のまなざしで見ていて恥ずかしくなった、といっているが、それはよくわかる気がする。私もそういうものがどうして違和感を覚えるのかとなんとなくは思っていたが、鞄は犬だ、と言われるとなるほどそうだったのか、と思う。もちろん盗難を恐れて、といった理由は考えられるが、荷物を座席においてしまうと人間より荷物を優先した奇妙な倒錯が生じるのだ、ということを理解した。まあ日本は「茶壷に追われてどっぴんしゃん」の国だから、相対的に人間の価値が低く物の価値が高いということもあろう。一種のアニミズムの現われなのかもしれないが、やはり愛犬家の猫っ可愛がりに抱く違和感と同じようなものを「愛鞄家」には感じるということなのだろう。
だから当然、そういう鞄というものは頑丈でなければならないし、タフでなければならない。大地に屹立する強さを持ったものを持ち歩くべきだということになる。でなければハンドバックと同じように、常に身につけているという前提で持ち歩くべきなのだろう。私など、セカンドバッグを持って出かけてもすぐ面倒になって電車の網棚に上げてしまうが、考えてみればハンドバッグを網棚に上げている女性は見たことがない。まあ多分、「有り得ないこと」なのだろう。
人間とものとの関係、というのもいろいろ見直したほうがいいところがあるんだろうな、と思う。鞄もそうだし、本もそうだし、家もそうだ。そういうところに「洗練」というものの存在価値があるのだろうと思う。
***
電車の中ではずっとイシグロ『日の名残り』を読む。読み進めば読み進むほど、これは珠玉のような小説だ、と思う。執事としての自信と誇りに満ちた過去。思いがけない旅行の途時、主人公スティーブンスは過去を振り返る。執事とはどういうものか、どうあるべきものか、というのを読んでいるうち、私は日本の「武士」を思い出した。主人に忠誠を尽くし、自らの仕事に誇りをもって使える執事は、最良の意味での日本の江戸時代の武士に似ている。武士の職責は番方・役方・近侍役の三つがあるが、軍職である番方、行政職である役方に対して、主君に日常的に奉仕する近侍役の重要性は現代にはあまり認識されていない。しかし、侍が「さぶらう」という言葉が語源である以上、武辺と官僚的実務的才能だけが忠誠のすべてであるということには成り得ない。執事は徹底的に近侍であると同時にその屋敷の膨大な仕事を宰領する実務的才能が必要であり、また時には主人と屋敷を守る役目を果たさなければならないこともある。(『日の名残り』の虎のエピソードなど)ああ、執事とは「さむらい」なのだ、と非常に納得したし、この作品が日本で評判のいい理由もわかった気がした。
正直言って、近来これだけ感動した作品は他にない。執事としての彼の転機は二回あり、それは彼の主人の大事と彼自身のプライヴェートの大事がシンクロして現れる。一度目の転機、父の死の時は彼は自分の職務を優先し、そのことを父もまた祝福するという確信を持ち、また信頼すべき同僚「ミス・ケントン」の共感も得、自分の行動が正しいことをいささかも疑わなかった。二度目の転機、ミス・ケントンの結婚のとき、彼は主人の大事を優先し、ミス・ケントンのさまざまな無言の訴えに耳を塞いだ。主人が誤った方向を選択しているのに彼はそれからも目を逸らした。どちらも、そこに「選択」があったのに、それを見ようとしなかったことを旅の終わりに彼は気づき、悔恨の涙を流す。
イシグロの描写には「取り返しのつかない人生の失敗」に対する温かい柔らかな視線があり、それがこの作品に生命を吹き込んでいる。私はスティーブンスには、心の底から共感する何かがある。それは私もまた「取り返しのつかない人生の失敗」によって、30代から40代のかなり長い時間を棒に振ったという思いがあるからだ。若いころの失敗はいくらでも取り返せる。しかし、30代を過ぎてからの失敗は、重い。特に、そこに選択があることにさえ気がつかなかった、あるいはそれから目を逸らしていた場合には。
主義信条は違うが、この作品は『大麦入りのチキンスープ』(作者の名前は度忘れした)と同じことを描いている。青春の夢と希望のすべてを託した共産主義が、「ハンガリー動乱」の共産主義の現実によって踏みにじられ、多くの同志が去っていく中、「それでも私はコミュニストだ!」と叫ぶ年老いた女性。あるいは、何度も書いているがキューバのカストロの「私はマルクスと一緒に地獄に落ちるだろう」という言葉。『日の名残り』の言葉でいえば、取り返しのつかない人生の失敗をしたときに、その人間の「品格」が現れるのだろう。そう考えると私自身がどんなに未熟で至らない人間であるかがまざまざと理解されるのであるが。
蛇足だが、巻末の丸谷才一の解説が不愉快だ。説教調でなおかつ取り返しのつかない人生の失敗に対する共感も同情もない。イシグロの英文学史の中での位置付けの仕方などはなるほどと思うのに。
これも書いておこうか。この作品は「二人称の文学」だと思った。主人公スティーブンスの旅行記のような形で話が進むが、スティーブンスは三人称であることに徹する一人称とでも言うべき存在で、スティーブンス自身の口からスティーブンス自身の感情が語られることは決定的な場面をのぞいてほとんどない。そしてもちろんこれも決定的な場面であるのだが、重要なことは二人称で、つまりスティーブンスに話し掛ける相手の口から語られる。そして読んでいるうちに、作者は読者自身も二人称の存在として読むことに参加することを要求していることに気がつくのだ。文体の鮮やかさ。優れた翻訳。
これもついでに。ナチスというのはヨーロッパにおいては政治的なテーマであるだけでなく、文学的なテーマでもある、と解釈すべきなのだなと思った。言葉を換えて言えば、「孤独」が文学のテーマであることを止めることはおそらくここしばらくはないだろうということと同じように、あるいは「恋愛」や「欲望」がテーマであることをやめることは考えにくいのと同じように、「ナチス」もまたヨーロッパの文学においてはしばらくはテーマであることを止めないものなのだと思った。それだけ「ナチス」というものは、イシグロも言っているように、ヨーロッパ文明そのもののかなり根源的なところに近いものがある。そしてそれを憎む人たちも、それが極端に言えば西欧文明的な人間自体が抱え込んでいる暗黒(あるいは光輝)と切り離せないものであることを十分承知していて、それが悪であることを常に確認することが避けられない厄介な存在なのである。これは彼らの文学における、ある種の義務なのだろう。おそらく同じように共産主義をテーマにする義務も、多くの国、多くの民族で負わされているのだろうと思う。それに切り込んだ作品はナチスほどはないが、それはまだこれからの話だということなのだろう。
振り返って日本のことを考えてみると、日本では「戦争」というもの自体がそういうものとして扱われているような気がする。しかし、どうも何だか的外れであることが多く、堂々巡りするばかりになっているように思う。それは結局、日本人が、今の日本人も昔の日本人も含めて、戦争、あるいは近代戦争というものが何であるかということをあまりにも理解が不足したまま現実に直面せざるを得なかったからではないかという気がする。何千年も戦争の歴史を積み重ねてきた例えばヨーロッパ人の戦争理解と、高々19世紀後半から20世紀前半にかけてのきわめて限定された経験しかもたない日本人の戦争理解とでは差があって当然なのだが、そういうことすら十分認識されていない気がする。わずか数十年の戦争経験で、まるで「日本人は戦争のプロだった」と思い込んでいるようだ。そしてそれはもちろん全く間違っている。戦争について語られた文学や記録は膨大なのだが、「だめだからだめだ」という以上のメッセージに到達したものはいったい存在しているのだろうか。そういうところに何か日本の不幸の源のひとつが――あるいは日本文学の枯渇の原因のひとつが――あるように思えてならない。
何だか思いがけず長大になってしまったが、『日の名残り』は私個人の内面的感動と言う点では最近のベストワンだ。美しさ、という点ではもっと勝るものはあるにしても。
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