駒苫野球部・永田議員・渡辺恒三氏

Posted at 06/03/04

昨夜帰京。帰ってみるといつ届くか分からなかった至急対応のようのある郵便が届いていたので速攻で処理し、午前0時の町へ。時間外窓口で速達で出す。しかしこれで今年のこの仕事は全部終了。終わったと言うことを確認し、ほんわりと喜びを感じる。人間にはそういうものが大事なのだ。

昨夜はまあまあ順調に大体のことが運ぶ。いろいろいえば切りがないけれども。ちょっといっとき気を抜いて、また次の仕事に全力で取り組める姿勢を作る。

プーシキン「エルズルム旅行記」。トルコ領のエルズルムへの旅、今はちょうどグルジアの首都チフリス(トビリシ)に滞在中のところを読んでいる。グルジアは18世紀末にロシアの庇護を望んだがカージャール朝ペルシャに蹂躙され、19世紀はじめにロシア領となったとのこと。旅行は1829年のことだからロシア領になってまだ20年強という時期だ。まだまだ拡張期のロシア。イスラム教世界に取り囲まれたコーカサスの小国としては、ロシアの庇護を願う以外になかったのだろうなと思う。コーカサス山中の難行路の記述が興味深い。

***

駒大苫小牧野球部の生徒が卒業式の夜酒を飲んで大騒ぎ。第一印象としては「信じがたい馬鹿だ」というもの。昨年の暴力事件騒動からまだほとぼりも冷めていない時期にこれでは校長辞任、監督辞職、選抜辞退も当然だろう。夏の大会の優勝が取り消されなかったのはある意味で「度を越した温情」であったということに対する自覚が十分になかったと言うことだろう。まあ何のかんの言っても高校生が教師の、保護者を含めたそのバックが学校側のコントロールの効く時代ではないだけに見た目は出会い頭の事故のような感は否めないが、世の中にはやはり「取り返しのつかない過ち」というものはあると言うことは知るべきだろう。それが「卒業式の夜に飲酒」、ではちょっと悲しいが。

メール問題の永田議員は東大工学部の卒だそうで、これまた「救い難い馬鹿」だ。確かにこの問題を使って自民党を揺さぶる手は他にいくらでもあったはず。いきなり東スポ並の情報を予算委員会で質問すると言うのはあまりに世の中の仕組みに無知であるとしかいいようがない。「取り返しのつかない過ち」の第二弾。いやこっちが先か。しかし「偽メール問題」で「解党の危機」ではこれもちょっと悲しい。

さてそこに国会対策委員長として現れたのがなんと渡部恒三氏。「竹下派七奉行」という古い言葉が浮かぶ。93年の自民党分裂で橋本・小渕・梶山の三氏は自民党に残り、小沢・渡部・羽田・奥田の四氏は新生党を結成した。橋本・小渕・羽田の三氏が首相となり、梶山氏は「凡人・変人・軍人」の「軍人」として総裁選にでた。小沢氏は相変わらずの存在感を持っている。既に小渕・梶山・奥田の3氏はなくなり、橋本氏は政界を引退。渡部氏自身も衆院副議長職を務め、政治家としてはとっくに「上がり」の状態で担ぎ出されることとなった。伊藤博文内閣に高杉晋作が出てきたような、といったら誉めすぎだが。

しかし実際、民主党が四分五裂してしまってはもう日本に明日はないという感じが漂う。自民党を割って二大政党にするしかなくなってしまうだろう。ちょっと何とかしてほしい。


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