「戦争の歴史」を読むということ
Posted at 06/03/03 PermaLink» Tweet
ショスタコービッチの弦楽四重奏曲第二番、がFMから流れている。ショスタコービッチは交響曲が15番まであるということは知っていたが、弦楽四重奏曲も15番まであるということは知らなかった。1944年9月の作曲というから第二次世界大戦の、ソ連では末期という時期だろう。ヒトラーがだいぶ追い詰められてきた頃だ。日本とソ連は、この頃まだ中立条約が堅持されている時期である。・・・と書いているとやはり、戦争に負けたことの悔しさがこみ上げてくるものがある。「戦争に負けて結果的によかった」という意見がよくあるが、そうした意見の前に「負けたのは悔しいけど」というのがつくかどうかということはかなり重要だと思う。
昨日は仕事時間外はずっとプーシキン全集5巻の「プガチョーフ叛乱記」を読み、何とか読了。歴史家としてのプーシキンは、どうなのだろう。
今回読み通してみて思ったが、私は戦記を読むのは苦手だ。当たり前だが、人名と地名が膨大に出てくるし、地図を見ながらでも押さえきれない。戦記を読むのが好きという人にはおそらくそういうところが楽しいのだろうと思うのだが。やはり戦争というのは異常事態というか、平和な時期に行われることと違う論理で物が動いていくし、そうしたものがつかみきれないということもあるのだろう。駆け引き的な政治交渉やプロパガンダ合戦のようなものは面白くても物理的な戦闘そのものになると指揮官個人の勇気や決断力とか軍隊の隊員の忠誠心のような極めて個人的な倫理が大きく作用するし、物理的な進軍速度や糧秣の手配、将棋盤の上のように戦場全体の中でのコマの動かし方、しかし将棋盤と違い、戦場はどこからどこまでと最初に決まっているわけでなく伸び縮みする。彼我の戦闘能力の違いも大きいが、戦力という点では同じ条件で始める将棋で圧倒的な実力の差を見せ付けられるように、コマ、すなわち兵器や兵力をどう生かすかということも大きい。当然それに伴ってさまざまな冷酷な現実が突きつけられるわけだし、特に皇帝を僭称するプガチョーフに対して民衆の圧倒的な支持があるという状況の中で誰に忠誠を誓うのかといった問題が突きつけられた民衆は頑なであっただろう。叛乱終結後も、プガチョーフの名があまりに「魅力的」であったためにこの動乱に対する研究が禁じられ、裁判記録も封印されてプーシキンも見ていないというのにも驚く。
読んでいて途中で思ったが、これは情報を得ようと思って読んでもだめだ、文章を読み味わう姿勢で読まないとわざわざ「プーシキンの書いた歴史」を読む意味がない。歴史家としてのプーシキンは、貴族たちの実態も民衆や関係する諸民族の実態もよく書いていると思う。個々の史実については研究が進展した現在では否定される部分もたくさんあるだろうが、そうした社会のありさまという点についてはどちらに味方するでもなく冷静に、しかし両方に愛情を持って書いているように思う。読み終えるまでには骨が折れたが、そういう意味ではある意味理想的な歴史家といえるのかもしれないと思った。愛はあっても政治的なプロパガンダやアジテーションがない。現代の歴史学者の書く論文のほとんどがその逆なので、一服の清涼剤といえるのではないかと思う。
実際、こうしたプーシキンのありようそのものが、「プガチョーフ叛乱記」と平行して書かれた小説「大尉の娘」にはよく現れている。主人公グリニョーフ少尉補は国家と貴族社会に忠実でありつつ、反乱者プガチョーフにも魅力を感じ、捕らわれても毅然とした態度で接しつつもプガチョーフと心の交流を持つ。そのあたりのところがのちに嫌疑をかけられシベリアに送られるのだが、婚約者の「大尉の娘」が女帝に直訴して罪を許される、というストーリーである。プーシキン自体がプガチョーフという存在に相当心を惹かれていなければ書ける話ではない。そういう惹かれる心そのものを主人公に託し、また自らそれを罰し、また再びそれを赦す、といった展開が心の中で展開されたのではなかろうか。このように書いてみるとそういう意味では「プガチョーフ叛乱記」を読むことによって「大尉の娘」の理解も深まったなと思う。
それにしても南ロシアに存在する膨大な民族集団の多様さには恐れ入る。バシキール人、カルムイク人、タタール人、キルギス人、等々がそれぞれに現れ、いろいろな場面を展開させるし、ピョートル1世時代以降に作られたウラルの工場地帯や軍事上のさまざまな要塞、中小都市、なども舞台装置として大きな役割を果たしていることがわかる。当時のロシアは資本主義化が進んでいないから、工場で働いているのは農奴であり、そうした民衆たちの「全体的な憤懣」がこの乱の背景にあったということがよくわかる。そしてなんといってもさまざまなコサック集団がこの乱の動向を左右していたことがよくわかる。プガチョーフ自身はドン・コサックだが叛乱を首謀したのはヤイーク・コサックの集団で、その他にもオレンブルク・コサックなど、さまざまなコサック集団が出てくる。ロシアというのは本当に多様な社会だなと思う。
と、こうして書いてみると、歴史家にもやはり文章家としての側面は強く要求されるわけだし(このあたりが結局「歴史家」と「歴史研究者」の違いだという気もする)プーシキンは歴史家としても優れているといっていいのだろうと思う。
ブラームスの交響曲第1番をかける。うーん。この重々しさの装いは。
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