祖国を弁護する連中はいささか頭が単純だった

Posted at 06/02/16

昨日。仕事はいろいろと。頼まれたことや話し合いなどもあり。何だかんだと。

『プーシキン全集4』読みつづける。

「ゴリューヒノ村史話」プーシキンは「軽い冗談」が非常にうまい人だなと思う。軽口というのはややもするともたついて、読む時の快感が失われてしまうことが多いが、プーシキンの「語り」は疾走感があり、軽やかで、後味がよい。時折はさまれる小気味よい皮肉・警句は、本来文章というのはこうあるべき、という思いを強くさせる。韻文の束縛を脱したプーシキンの散文の疾走感は、音楽史でいえば「拍」の束縛を脱した軽やかなモーツァルトに似ている、のではないかと感じた。

「ロスラーブレフ」。祖国戦争(ナポレオンのモスクワ遠征)直前の貴族たちの「祖国愛」に欠ける「鼻持ちならない」ありさまは、今の日本を思わせる。また「不幸なことに、祖国を弁護する連中はいささか頭が単純だった。したがってそういう連中は、相手のいい慰みものにされるのが関の山で、勢力といったらてんでなかったのである。」という言い方も苦笑いさせられる。社交界の話なのに本当に気持ちいいのは、心理描写がないからだろう。愛国心に燃える主人公ポリーナの様子を解説では「真の愛国心」を体現しているかのような書き方をしているが、私には熱情に燃えすぎていてちょっとどうかと思われるのだが。

***

実家の父の本棚で金子幸彦『ロシア文学案内』(岩波文庫別冊、1961)を見つけ、かなり集中して読み込む。しかし1961年という時代性を見事に反映して、ソヴェート・ロシア礼賛礼賛でいささか辟易する。フランス革命史のアルベール・ソブールのことを「なんというデカルト的明晰」と評した人がいたが、この著者もそういうところがあって、なんでもかんでも当時の思想に当てはめて正当化したり貶したりしているところが多い。相当我慢して読んだが、やはりうなされそうであった。しかしロシア文学史がコンパクトにまとまっているので事情を知るにはそう悪くない、我慢できれば。9世紀の「教会スラブ語」の成立から19世紀初頭のリアリズムの文学理論まで、とりあえず読み通したが頭が痺れて来た。やはりプーシキンを読んでるほうが楽しい。


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