メリメ『カルメン』と「貞節なあばずれ」
Posted at 06/01/30 PermaLink» Tweet
昨日。午後に出かける。家で食事をしなかったので遅い時間だったが丸の内オアゾで何か食べようと出かける。その前に何か本でも買おうと思い、文庫の辺りを物色。メリメ『カルメン』(岩波文庫、1929)とヴォルテール『哲学書簡』(岩波文庫、1951)を購入。食事をしながら『カルメン』を読み始める。
立ち読みした感じでは、『カルメン』は旅行中で聞いた奇譚という感じの書き方で、プーシキンに通じたものを感じたので読んでみることにした。『哲学書簡』の方は18世紀フランスの文化的指導層、つまりいわゆる「エリート」のものの考え方というものが実感を伴って書かれているように思ったので買ってみた。「Something rouge」でイチゴのモンブランとエクレアを買って帰る。
『カルメン』を読み出したが、これは実に面白い。バスク出身の士官ドン・ホセがジプシー(現在普通はロマ民族と称する)の女・カルメンに運命的に魅かれて人を殺し、密輸業者・犯罪者の群に身を投じて二人がともに破滅していくと言うストーリー。密輸業者や犯罪者の生態の描写が、まるで池波正太郎『鬼平犯科帳』の中に出てくる盗賊集団の描写のようで、ぐいぐい読める。というか、池波は『カルメン』のこういう描写を読んでこうした盗賊集団の生き生きした様子を小説に登場させる構造を思いついたのかもしれないと思った。メリメの意識はおそらくこうした描写を伝奇的な、つまり変わった面白い話として描いているのだと思うが、期せずして読者に「自由とは何か」という問いかけをしているところがあり、作者の意図を超えた作品の魅力というものが生み出されているのだと思った。
アンダルシア(そこがどういうところか、私自身も旅の中で強烈な印象を残している)の寂しい谷あいで、ドン・ホセがカルメンを殺す場面は圧巻である。こんなにかっこいい場面はほとんど見たことがない。「お前さんは私のロム(夫)だから、お前さんのロミ(妻)を殺す権利はあるよ。だけどカルメンはどこまでも自由なカルメンだからね、カリ(ジプシー)に生まれてカリに死にますからね」「じゃ、お前はルーカス(闘牛士)にほれているのか」「そうさ、私はあの男にほれましたよ。お前さんにほれたように、一時はね。たぶんお前さんほどには真剣にほれなかったろうよ。今では、私は何も愛しているものなんかありはしない。そうして、私は、お前さんにほれたことで、私をにくらしく思っているんだよ。」
自由をとるか、愛をとるか、というのが近代人のひとつの宿命的なテーマであるが、錯綜した二つのテーマの中で起こる悲劇の純粋な形がなんのてらいもなく描き出されているところがすごい。この作品からおそらくはボヘミアン(自由人)の概念やファム・ファタル(運命の女)の概念、ジプシーの自由でありつつも犯罪的なイメージの固定化、スペインその他をエキゾチックなものと見るいわゆる「オリエンタリズム」的な視点、そのほかさまざまなものが生まれ、あるいは強化されていったということは非常に強く感じられる。特に自由に生きようとする知識人そう・若年層に与えた影響は20世紀に至っても非常に強いものがあったといえよう。そういう意味で、まさにひとつの神話的な作品だということが出来る。先に述べたようにメリメ自身がそこまで考えていたとは全然思えないが。
「カルメン」といえばビゼーのオペラの印象が強い(といっても観たことはないけれども)が、メリメの小説は初めて読んでみてインパクトは相当強い。やはり文芸の力というものを強く感じる。しかし頭の中では今もビゼーの「カルメン」が鳴り続けているし、そういう意味では音楽の力というのも強いなと思う。
しかしそれにしてもちょっとがっかりしたのは、今まで非常に強い印象を持っていいと思っていたシャーロット・ランプリング主演の『愛の嵐』や唐十郎の多くのファム・ファタール(自由な女・悪女)ものの芝居や作品が、ある意味で『カルメン』のマイナー・コピーといっては言いすぎだが、ヴァリアントのようなものだということに気がついたことで、そういう意味ではカルメンの存在を乗り越えたものはほとんどないのではないか、と感じたことだ。これは「貞節なあばずれ」という女性像のはっきりした古典であると思う。
まあこんなことを書いてみると、まあちょっといいすぎかなとも思う。やはり『愛の嵐』は『愛の嵐』だし、唐十郎『鉄仮面』は『鉄仮面』であり、『カルメン』は『カルメン』である。まあしかしそういうものとして相対化される部分はあるなということは感じる。数時間で読了した。
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