箱根駅伝

Posted at 06/01/02

今朝の東京は寒い。調子が上がらないまま、箱根駅伝を見る。1区中央学院大の木原、2区山梨学院大のモグス、5区順天堂大の今井など印象に残る選手が何人もいた。箱根駅伝というのは大学陸上最大のイベントだなと思うが、何というか、若さゆえの無茶とか何とかなるという過信とか、超人的な粘りとか、身体やメンタルの面だけでなく、観念的なものが良くも悪くも左右する競技だなと思う。

陸上というのは基本的に個人競技なのだが、「たすき」一本で団体競技になる駅伝は、根本的には孤独な戦いなのだが観念的には団体競技だという不思議な種目で、誰かが致命的なミスを起こしたり想定外の体調不良に陥ったりしたら終わりである。球技のように交替も許されないし、もし走れなくなったらその失敗をほかの人が取り戻すことは不可能だと言う異常なプレッシャーがかかる。そのせいか、どうしてもどこかで観念的な先走りが生じる種目で、そこにある種の残酷性もあるしストレスもあるのだが、そういう面も含めて見ている方には熱狂の要素がある不思議な種目である。その観念が「責任」とか「友情」と言った人間の根源に関わることであるからだろう。そういう意味で、どんな競技でもそうだけれども、戦争に類似した死生を超越する感覚のようなものが求められているのだなと思う。

スポーツというのはやる方も見るほうも脳を酷使するものだといつも思うけれども、箱根駅伝はコンディションが過酷なだけに脳の役割の大きさを強く感じる。戦争というものもおそらく、そのような脳を酷使するいとなみであるのだろうなと思う。その部分の脳を使ったこともなく使うことを考えもしなかった日本人が、ある意味で世界に比べて劣っているのは致し方のないことなのかもしれない。それは「ハングリー」とか「生存への強烈な意思」と言った人間性の根幹に関わる部分での欠落であることもまたあるのだが。

スポーツが戦争の代替物であるかどうかは分からないが、もしそうであるとしたら「楽しんで戦争をする」人がいないように(いないとはいえないか)「楽しんでスポーツをする」というのもどこかに矛盾があるのかもしれない。逆に、スポーツの代替物が戦争であるのだとしたら、スポーツが盛んになれば戦争は減るわけだしその方がいいだろう。人間のやることというのはどこかで不可解に糸がつながっている気がする。

それにしても寒い。暖房の調子もあまりよくない。どうにも外出するのが億劫で昼食をレトルトで済ませてしまったが、夕食はそういうわけには行かないし、年始に持っていく買い物もしなければと思う。十分寒いから寒さがどうこうというわけではないけれども、あまり暗くならないうちに出かけなければと思う。


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