新聞の伝統破壊による自らの凋落/代表戦で全身全霊で戦うマラドーナの心意気

Posted at 05/12/07 Trackback(1)»

今日は比較的書きたいことが溜まっている。体調が良くなってきたせいかもしれない。

昨日帰郷。東京駅に出て日本橋口で日経を買い、構内で弁当を買って新宿に出、特急に乗車。車内で日経を丹念に読む。今私は新聞を取っていないが、一番面白い新聞は日経ではないかと最近思う。それはおそらく、視点がはっきりしているからだろう。三大紙はそれぞれ自分たちの主義主張に沿ったためにする編集を行っているのにそれを紙面ではっきりと明言していないからどうしてもいかさまくさくなる。考えてみたらスポーツ新聞が面白いのも同じ理由だなと思う。記者の感想的などうでもいいものがあまり表に出てくると読みづらいが、スポーツというあまりに明らかなものを伝えるという柱がしっかりしていることがいいのだろう。そういう意味で言うと業界色が強い新聞(繊維新聞とか)もそれぞれ内容はなんだか分からなくても何というかモノホンの迫力で力強い説得力をおぼえることがある。あんまり続けて読んだことがないからよくわからないけど。

そういう意味では総合紙というのは厳しいな。雑誌も月刊の総合誌が苦戦しているのも無理もない。第一に面白くないから如何ともしがたい。「常識」とか「教養」といったもののベースがしっかりしていて始めてこうした総合的な新聞や雑誌の意味があるのだが、こうした月刊誌や新聞が率先して常識や教養というものを破壊し、また破壊する勢力に与して来たのだからある意味自業自得である。教養というのは伝統というもののベースの上にしか組み立てられないものだし、伝統破壊新聞が常識の喪失を嘆いてもダイエットコークを飲んでダイエットしようとして痩せないと嘆くのと同じくらい愚かな嘆きである。

ちょっと目に付いた記事をメモ。一面の「官を開く」というコラム。公務員の手厚い身分保障が問題になっているが、私も地方公務員だったことがあるのでなぜそんなに手厚いのか非常に疑問に思っていた。仕事をしない・できない同僚が大きな顔をして邪魔ばかりする(非常に主観的な表現で申し訳ないが)のを何とかしたいと思っていていつも壁にぶつかり、業を煮やしてこちらが退職してしまったが、それは本来本末転倒なのである。彼らは身分保障の論拠を地方公務員法に求めていたが、記事によるとじつは60年代はけっこう能力不足や勤務成績不良による解雇はなされていたのである。

それが封印されたのは69年の国会決議で、国家公務員の人数を押さえる総定員法の条件が「公務員の出血整理や本人の意に反する配置転換は行わない」という付帯決議で、それが今もものを言っているということらしい。公務員労組の影響力が低下した現在でもそれが既得権として定着しているのは変な話で、それこそ自民党が3分の2近くを握っている今のうちにこうした度を越えた保護は廃止すべきだと思う。まあ廃止する動きになるとすぐ行き過ぎたリストラが行われたりしそうなバランス感覚のなさが小泉政権と今の諸官庁の危なっかしさなのでそれを危惧する意見もわからなくはないが、総定員法も付帯決議もいっしょに廃止して必要なところに手厚く、必要でないところや職務遂行能力に欠ける職員をカットするなどして、ある意味リストラによって官を再強化してもらいたいと思う。現状の教育現場に、私などは絶対もどりたいと思わないが、もっとスリム化して仕事の面でも無駄な書類書きなども省かれ、教育という本務に打ち込める職場環境が整えばそういうところでは仕事をしてみてもいいかなという気もしなくはない。今のままでは百年河清を待つという感じではある。

3面に景気回復も本格的という記事。サービスの法人需要が回復し始め、ゴルフの会員権相場が16年ぶりに上昇、ホテルの宴会が二桁の伸び、ハイヤー利用も下げが止まったという。こうした企業業績に左右される業種が回復してきたということは景気も相当持ち直してきたということなのだろう。もちろん地方にはまだ十分に反映されてはいないが、やはり明るいニュースではないかと思う。

同面、「自社株買い」の解説記事。自社株を購入したあと消却して一株利益の向上を図ることと金庫株として株式交換などに使え買収対策にも使うためにそのまま保持するケースと二つがあるという。まあ制度的なお勉強ができたということ。

あとスポーツ面のマラドーナの記事が良かった。マラドーナは一時ドラッグ漬けだったり肥満したりしてめちゃくちゃだったが、今では人気テレビ番組のホストをつとめ、次のアルゼンチンの代表監督という話もあるらしい。マラドーナはクラブでプレーするより代表の方が大事という価値観を実践し、「バルセロナやナポリの試合でどんなに疲れていても、代表なら、親善試合でも帰ってきて全身全霊を傾けてプレーした」という。なぜマラドーナがそこまで代表にこだわったかという答えがいい。「ディエゴはある日気づいたそうです。ふだんはバラバラな国民が代表が勝つと、イタリア系もドイツ系もスペイン系もユダヤ系もなく一つにまとまることを。それがいかにすばらしいかに。」なんだかちょっとなきそうになりそうなコメントである。

「アルゼンチンよ泣かないで」、というのはエヴァ・ペロンを題材にしたミュージカル『エヴィータ』の劇中歌だが、「アルヘンティーナ」という言葉を口にするときの彼らの特別な思いというものには素直に感動する。それは「イギリスは各人が義務を果たすことを期待す」というトラファルガー海戦のときのネルソン提督の言葉にある「イギリス」とも同じものがある。韓国人が「ウリナラ」とか「テーハンミングッ」というときのあの感じに比べるとずっとスマートでそれでいて愛がこもっている。ああいう口調で「日本」ということばを口にできないかといつも思う。「皇国の興廃はこの一戦にあり」というのがそれに該当するのだが、なんだかこれも変な方向に使われすぎていてちょっと残念だ。

人が国家のために忠誠を尽くす、その美しさのようなものは確かに存在する。戦後の日本人はそれを疑いすぎてきたけれども、日本国家が敗戦によって一度崩壊したとき、守られなかったという恨みを今でも引きずっていたりそれを語り伝えたりしたというケースがあまりに多いからだろう。今でも海外の邦人が十分に守られているとはとてもいえないし、その美しさを疑いたくなる気持ちももちろんわかるのだが、国家の側も国民の側ももっとしゃんとしなければいけないのである。低迷する国家の側に今それを期待できないのであれば、主権者である国民一人一人がしゃんとすることで最終的に国家を建て直していくしかないではないか。個人が美しくなければ国家が美しくなるということもない。マラドーナのエピソードに感動をおぼえる人一人一人が、日本を美しくするために努力することから始めるしかないのだろうと思う。

駅に降り立つと雪景色。月曜に降った雪がまだだいぶ残っている。路面には残っていないので歩くのに支障はなかったが、12月あたまでこれだけ雪が降ると、今年の冬は雪の多い冬になるかもしれないと思う。今朝はよく晴れている。

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