酔っ払いは必ず「俺は酔ってない」という

Posted at 05/12/01

最近、FMをつけるとメンデルスゾーンがよくかかるのだが、流行っているのだろうか。私はこの作曲家のよさが今ひとつよくわからない。中学生のころ英語のテキストで子どものころのガーシュインが作曲家になりたいといったら両親が「メンデルスゾーンのようになれ」といい、ガーシュインは「ポピュラーミュージックのメンデルスゾーンになる」と答えた、というエピソードを読んだが、後になってガーシュインの音楽をきいて「その結果がラプソディ・イン・ブルーか?」と思ったことがある。無理に二人を結びつけることもないのだろうが、中学生のころに知ったことというのは変な形で残るものだと思う。

広島の女児殺害事件は容疑者として日系ペルー人が逮捕された。妻子を故国において来日し、日本語はよくわからず、女性とばかり話をし、仕事をよく休むために解雇されたという人物像はよくわからないが、やはり安易な労働者移入策がもたらしたつけの一つだろうという気はしなくはない。いわゆるグローバル化に伴う人間の大規模な移動は避けられない面が強いのだろうとは思うが、それによってもたらされる社会の流動化は当然治安の悪化を招くし、そうなると一番犠牲になりやすいのはいわゆる弱者、子ども、高齢者、特にその女性、ということになってしまうのだろう。そうした政策はいたずらに理念を振り回すのでなく、歴史に鑑みて何が起こりえるのかよく考えた上で決定しないと思わぬ事態を招く。

人々が前に向かって進むことに急で歴史を顧みる謙虚な気持ちが失われているときにこそ、本当に未来のため、政策決定のために歴史を検証する必要があるのだろう。中国や韓国のように自分の利害関係のために歴史を弄ぶ国はいずれ歴史に復讐されることになるだろうが、日本のように政策決定の際にさえ歴史を鑑みない国はその英知を生かすことはできないままになるだろう。「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」とはビスマルクの言葉だが、歴史に学ぶことのできる賢者があまりいないということも歴史が証明しているということになってしまわぬよう。

「極東ブログ」さんが「世間知」ということを書かれていたが、国政上もこうした「世間知」は重要であるし、その観点から政策決定を左右できるのが保守政党の強みであったのだが、小泉「改革絶対主義」内閣の成立以来そうした世間知が自民党からも失われつつあり、先の総選挙の結果それが更にはなはだしくなっている。世間知以前に常識も疑われる議員も多くなっているが。

本当は今ほど保守とか伝統ということが必要な時期はないと思うのだが、それがなかなか大きなうねりにならないのはまだまだ戦後理想主義の幻想と改革理念の興奮と小泉キャラクターのマジックの低俗だがなぜか人気のあるB級グルメのようなカクテルに国民の多くが酩酊しているからだろう。酔っ払いは必ず、「俺は酔ってない」というものである。

言葉や国籍の壁もあり、広島の事件の解明には時間がかかるかもしれない。痛ましい事件への悔恨と懺悔と反省と決意がなければ、こうしたことはあとを絶たないだろう。

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