高橋尚子選手、おめでとう/『「人たらし」のブラック心理術』
Posted at 05/11/21 PermaLink» Tweet
冬になると一日テレビでスポーツを見てしまう日というのが時にあるのだが、昨日はまさにそれに近い日だった。午前中はサンデープロジェクトで閣僚の発言や金正哲の特集などを見ていたが、午後はなんとなく東京国際女子マラソンを見ていた。
高橋尚子は、怪我を公表していると言うこともあり、今回はどうせだめだろう、そんなにしてまで無理に走るのは痛々しいなと思いながらつけたり消したりしていたが、ひょっと見ると折り返し点を過ぎてもまだトップグループにいる。あれ、頑張ってるな、大丈夫なのかな、と思いつつ見ているとずいぶん快調だ。
あと8キロの地点でスパート。え、と思う。この2年の間で自分の中でずいぶん弱々しいものになってしまった高橋でない女性がそこにいた。今思うと、あれがアジア大会での、オリンピックでの高橋だったのだ。ぐんぐん差をつけ、上り坂も全く感じさせず、滑るように走る。沿道は異様な興奮につつまれる。そんな常套句では表現できない高ぶりのようなものを、沿道の観衆とテレビの前の観衆はともに強く感じたに違いない。神様はいる。その感じを、そう表現してもいいかもしれない。
トップで国立競技場に入ってくる。観客の歓声。右手を上げる。両手を挙げてゴールテープを切る。観客席に向かって深々と一礼。笑顔。今までの、2年間の高橋のイメージは粉々になる。オリンピックのときもそうだったが、高橋のこの走りは人を涙ぐませてしまうものがある。神様はいる。声に出さないまでも、言葉にしないまでも、同じような高揚感を持った人は数え切れないほど、この日本中にいただろう。
二年前の挫折、オリンピックの選考漏れ、小出監督の下からの一人立ち。有森裕子がそうだったように、全盛期を過ぎてからの独立でうまく行くことはないだろうと正直言って思っていた。しかし、そんな懸念をしたのがまるで悪夢でもあったかのように、まるで当たり前のように、帰ってくる場所に帰ってきたかのように、高橋は満員の国立競技場で晩秋の日差しの中、笑顔を振りまいていた。
今にして思う。小出監督は、本当に選手を大事にしていたのだろうと。大事にしていたから、オリンピックの選考の前に高橋に無理をさせないで実績で、つまりは政治力で選考を勝ち取ろうとしたのだろう。それは彼の愛であったことは間違いないが、それがうまく行くとは限らないところが人の世の理不尽である。選考落ちと、アテネでの野口の金メダルは、急速に高橋を過去の人にした。独立も、悪あがきにしか見えなかった。
しかし、人にどう見えようと彼女は自分自身の道を見つけ、独立しスポンサーを見つけチームを作りスタッフを雇っていわば自営業の、社長となってロードに帰ってきた。今までそれに成功したアスリートは日本にはいなかった。もちろん渡欧・渡米したサッカーや野球の選手はそれに近いとはいえ、日本を本拠地にしてそれを成し遂げたのはかなり飛躍した例えになるが「双葉山相撲道場」を運営しつつ横綱として君臨し続けた戦前の大横綱くらいのものではないか。
走るのも、怪我を公表するのも、自分ひとりの孤独な決断。どちらにしても何を言われてもおかしくない危うさが伴っていた。しかし、あの復活劇はそれらの雑音を全て洗い流してしまうものだった。
「高橋尚子は止まらない」というCMがあるが、あのCMも実は見るたびに痛々しいと思っていた。しかし、何か、今日からは見るたびに思い出して目が潤んでしまうような気がする。
高橋尚子選手、おめでとう。
***
そのほかのスポーツも昨日は満載。宮里藍の6勝目、タイガーウッズの優勝、スピードスケートの加藤の世界新。復活した普天王の横綱戦。Jリーグの優勝争い。しかしなんといってももうひとつは浅田真央選手のフィギュア優勝だろう。この年頃の選手と言うと、出てきたころの伊藤みどりを思い出す。ビールマン・スピンのデニス・ビールマンが優勝したとき、エキジビジョンで出て来てスピンで転んだりしながらもけなげに滑っていた中学生(小学生?)のころの伊藤をふと思い出したが、レベルは全然違う。からだの線も美しいし、手の動きに現れる表現力の豊かさには度肝を抜かれた。なんといってもあの体の柔らかさ。きわめて不自然なビールマンスピンなどがあれだけ自然に出来る選手はそうはいないだろう。トリプルアクセルはちょっと危なかったが、あの表現力は誰にでもあるものではない。天稟というものはあるなと思う。一緒に出ていた荒川が硬いというかむしろ怖い雰囲気を出していたのに比べ、春の雪のようなふんわりした雰囲気であれだけ豊かな動きをされてしまえば誰もかなわないだろう。
サンデースポーツで取り上げられていた男子フィギュアの選手もステップが非常によかったし、日本の選手というと今まで「何回転が飛べたか」というアクロバティックな点にしか関心が集まらなかったのが、「舞台」としての素晴らしさを感じさせるようになってきた。本当に「酔う」ことが出来るような舞台の素晴らしさを。
***
夕方でかけて、書店で本を物色。駅前で内藤誼人『「人たらし」のブラック心理術』(大和書房、2005)を購入。私はこの種の本を買うことは最近はあまりなかったのだが、立ち読みしたところにアシモフの「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることが出来る唯一の動物である」という「名言」に思わず噴出してしまったために買うことにした。いわゆる「人付き合いのマニュアル」本にはない気の利いた表現が随所にあり、感心させられる。まあこれでわたしも「たらしこまれて」買わされたということだろう。しかし、人にいい気持ちにさせてもらうのは楽しいものだし、そういう意図がはっきりと見えていたところで、いやそういう相手の意図が見えているからこそ気持ちがいいということも人間にははっきりとあるなと思う。
「ブラック心理術」というが、書いてあることは結局は「人間はお互いに理解しあえる」という「性善説」に立つとお互いに「理解してくれてもいいのに」と甘えが出てしまいうまくいかないから、「性悪説」に立ってお互いに一歩踏み込んで気を使いあう、敢えて言えば礼節をきちんとすることによって人間関係はうまくいくし「いい人」だと思われる、という考えてみればコロンブスの卵のようなことが書いてある。いってみれば、戦後教育の最大最悪の点は楽観主義的な性善説の普及にあったのだろう。「親しき仲にも礼儀あり」さえ出来ていれば日本はこんな国にはならなかった、と思う。
夕食の買い物をして帰宅。読みかけの本がいくつもある。書きかけの文章も。やりかけの語学も。高橋尚子を見習わなければと思う。それにしても、近来にない感動だった。
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