小林秀雄『本居宣長』(1)
Posted at 05/11/16 PermaLink» Tweet
昨日帰郷。列車の中では小林秀雄『本居宣長』を読みつづける。これは確か初出は『新潮』に連載されたものだったと思うが、その一回ごとの連載のまとまりで番号がつけられているのではないかと思う。(しかしよく見てみると、番号のまとまりはかなり長短がある。連載の区切りとは関係ないのかもしれない。)上巻は「三〇」まであるのだが、今は「七」まで読み終えた。内容について小見出しが有るわけではないので、心覚えに書いておこうと思う。
「一」宣長について書き出すきっかけについて記し、「本居さんは源氏ですよ」という折口信夫とのやり取りから、ある日ふと思い立って伊勢松坂の宣長の墓所を訪ねた話が記され、墓所に関する小林の印象と、その墓所と葬礼について詳細に書かれた宣長の遺言書の内容について述べられ、墓所に植えよと指示した山桜を宣長がいかに愛したかということ、枕辺に浮かぶ幻の桜の歌を三〇〇首も読んだことが述べられている。
「二」こうした墓所に対する思いが学問上の嗣子・大平や平田篤胤ら周囲の人にも必ずしも理解されていなかったこと。宣長は常々死後のことを思うのはさかしらだと言っていたのに墓所に非常に熱心だったのは一貫性に欠けていて思想的に不備だと思われがちなのに対し、小林はその合理的な説明を得ようとはせず、ただ宣長の言葉に耳を傾けることによって彼の思想を「信じ」また述べることを宣言している。小林の思想自体にこの「信じる」という言葉が非常に重要だということは今までも良く感じたが、「耳を傾ける」と言うことと「信じる」と言うことは非常に近いところにあるだろう、と言うことをとりあえず記しておきたい。
「三」宣長の祖先、父母、医術・学問の修行時代、生業のことなど。宣長は周囲の状況に随順し、生業を起こし家名を貶めないことにも心がけていて、二階の書斎と一階の診療室の階段が取り外しが出来るようになっていたり、また講義の途中で診療のために中座したりすることも多く、力の限りそのように両者に努めることを「これのりなががこヽろ也」と記していると言う。彼の学問にはこうした現実を生きるこころと同じこころが貫かれている、と言えばいいだろうか。
「四」宣長の思想史上の位置付けと言うか誰を先学と考えたか、誰の影響を受けているか、などを通じて彼の学問の姿勢を「物まなび」という言葉で表現している。彼の思想は教説として打ち立てられたものではなく、誰かに押し付けようと言った戦闘的な姿勢は全く無い、という。彼は「物まなびの力」だけを信じていて、それを操る自負も持たなかった。つまり彼には確信はあったが、意見はなかった。しかし「確信は持たぬが、意見だけは持っている人々が、彼の確信の中に踏み込むことだけは、決して許さなかった人だ」という。ある意味精神の、思想の職人性のようなものとでも言えるのだろうか。その職人性は恐らく、小林にも共通していて、そのあたりに深い共感があるのかもしれないと思った。
多くの人の書籍を読んでいる中で自然に物を考え、自然に歌を作るようになったと言うが、中でも契沖の書籍と出会ったことで、ものの考え方について悟ることがあった、ということのようだ。誰を先学としたかによって宣長の思想の性格を見極めようとする方法を「歴史家に用いられる有力な方法」と小林は述べているが、そうした客観的な方法ではなく「彼の内に深く隠れている或もの」を想像し、それが彼の思想的作品の独自の魅力をなすことを「私があらかじめ直知している」という。この魅力を「解きほぐす」ことが小林の「希い」であるといい、いわばその内的なワクワク感の訳を解明することができないのが歴史家の方法の短所だと言っているように思われる。そのあたりは私自身も歴史をやっていて常々問題に思うところでもある。
「五」宣長が儒学の学習に関して若いころ友人と行った議論が往復書簡として残っていて、それを通じて宣長の学問についての考え方を述べている。君子でない、つまり治める国や民を持たない自分たちに「聖人の道」は無用であり、失敗した思想家である孔子も風雅を愛していたことを述べ、「聖人」は「しこ人」であるが「孔子」は「よき人」であるという考えにつながっていく。宣長は学問を「好み、信じ、楽しむ」ことを重視し、彼の言う「風雅」の中身はそういうことだと小林は言う。「風雅とは小人の立てた志である」という言葉の中に、宣長のある激しさが表現されているように思う。「こころの底から楽しむ」と言う「まこと」のみが学問の真の動機になり得るものであり、そうでない学問は「いつはり」であり「さかしら」であると言う認識がここから出てくる、と言い得るのではないかと思う。
「六」宣長が契沖に何を見たのか、ということについて。和歌を見るときに「大明眼」を持って「やすらかに見る」ことが歌学の根本であるという。私なりに言い変えると直感を持って感じ取り素直な気持ちで見る、というようなことだろうか。宣長も契沖も学問には達していても歌は下手な人たちで、そこにある疑念が常に持たれたというのは良く分かる。彼らの作歌は正直言って野暮ったいものばかりのように思われる。作歌の表現センスと歌に対する理解度の深さは一致しない、場合によっては両立できない、ということなのかもしれない。
万葉の文字群から歌を掘り起こすということは宣長の言うように「歌の本意を明らかにして意味の深きところまで心に徹底する」ことが行われており、訳出には確かに契沖の文字との対話と交流が感じられ、そこに契沖の人間性が現われざるを得なくなってさえいる。それが方法と呼び得るものであるかどうかは微妙だが、契沖も宣長もそう考えて古典研究に打ち込んでいたということは事実なのだと思う。
ここから先は読んでの感想と言うかコメント。
彼らの古典研究は現代的な意味での科学というよりある種の独創と言うべきで、日本の学問と言うものにはそうしたものがずっと保たれてきている部分がある。そこを科学的言語によって批判するのは恐らく容易なことで、万葉研究にしろ宣長の古事記伝の解釈にしろ鬼の首を取ったようにその誤りを指摘する人がいるが、それらの人が彼らの著作から得られたものはずいぶんと痩せたものだったのだなと思うしかないのだろう。現代科学が「感動」を排除した上で成り立っているのだとしたら、つまらないものだし、それは最終的には人の心を蝕むものにしかなり得ないような気がする。と言うか、もうなっているのかもしれないが。
実際のところ、ギリシャローマの古典やキリスト教の聖書学などにおいてもテキスト批判的な手法は用いられてそれなりの解明は進められているのではあるが、だからと言ってそれらによって古典の精神や信仰の中身が侵食されることを好まない人は欧米にもいくらでもいると思う。近代科学とそうした古典学が折り合いがつけられることがあるのかどうか、ということが、ここ数世紀のあいだの重要なテーマに成り得るのかもしれないと思うし、それが出来なければ人類の荒廃と滅亡が招来される危険が高い、という気もしなくはない。小林が「両者(小林の「希い」と「歴史家の方法」)が、歴史に正しく質問しようとする私達の努力の裡で、何処かで、どういう具合にか、出会う事を信ずる他はない」と言うのもそういう事かもしれないと思う。心覚えと言うにはやや突っ込みすぎたか。
11時を過ぎて、だいぶ暖かくなってきて、ストーブを消した。冬の日差しだが、室内は十分温かい。
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