かかとは痛いが/「道理」と「伝統」

Posted at 05/11/05

昨夜帰京。昨日は一昨日に怪我をしたかかとが痛くてあまり出歩かないようにしていた。今朝はもうあまり感じないが、靴を履くとどうなるか分からない。新宿から中央線への乗り換え、東京駅で丸の内北口から出て地下に潜り、オアゾの中を通って東西線に駆け込むルートをやや小走りすると23時2分の東葉勝田台行きに間に合うのだが、やはり足が気になった。しかし無事目的の電車に乗れたのでまあ何とかなりそうだ。

したがって昨日の日中はラテン語と書き物の「その先」の構想を練ることに費やした。『日本思想史入門』は「愚管抄」を読み「正法眼蔵」に入っている。慈円が摂関家の出であることはもちろん承知していたが、道元が村上源氏の嫡流で父は内大臣という出自であることは知らなかった。兄には法然の門下もおり、鎌倉時代初頭の公家の世界と仏教界との関わりなどももっと調べてみると面白いことが出てきそうだと思った。

『偽書の精神史』を読んだときにも出てきたが、この時代の天台教学の中心は本覚思想であり、それへの疑問から鎌倉新仏教が興ったという説明は、分からないでもないのだがもうひとつ納得できないものもあり、何かの折にもう少し調べてみたいものだと思う。

慈円の「道理」の考え方にも起こってしまったものにはそこで新たな道理が発生している、と言う現実肯定の論理があってそれはそれで面白いなと思う。原理主義とは対極にある考え方で、現代人にも受け入れやすいという気もする。道理、というと納得しにくいが、「伝統」と考えてみればその考えも納得できるのではないかと思う。当時新たに発生した武家政治の形態もそこで新たな伝統が発生したのであり、それが律令制や院政の伝統よりも力を持ちえればそこに権力が集中していくのも「道理」である、というような整理の仕方をしてみた。またどのような末世にあっても人の持っている根本的な道理の精神がその人の「はからい」に反映し、ある道理を作り出していくという考え方は力強さがあるように感じた。

夜は仕事をした後、帰京。昨日は飛び込みの仕事がいくつかあって対応が忙しかったが終わりよければ全てよし。帰ってきてわかめスープを食し、大福をひとつ食べて1時ころ就寝。

起床は9時。結構よく寝た。よい天気。東京はあまり寒くない。そのせいか東京に帰ってくるとどうものんびりした気持ちになる。

季節が変わってきたのでテンプレートも変更してみたのだが、どうもあまりいいのがない。これ(ペパーミント)も少し見にくい気がするが、コメントなどいただければと思います。

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