三井記念美術館:「花」の小面と「孫次郎」

Posted at 05/10/17 Trackback(1)»

先ほどのエントリには書かなかったが、昨日は三井本館に出来た三井記念美術館に行った。いきなり宋の青磁がお出迎えしてくれる。茶碗をはじめとする茶道具も写真で見たことのあるような大名物ばかり。志野茶碗の『卯花墻』は加藤唐九郎の本で見たことがあったが、国宝だとは知らなかった。漆器も凄いものばかりだし、切手も龍文切手がシートであるのを見ると目眩がする。切手を集めたことが少しでもある人ならその感じは分かってもらえると思うが。

もともと新井薬師前にあった三井文庫別館が日本橋に移転して開館したという話をさる方から聞きつけて出かけたわけだが、開館直後の日曜だったせいかこの手のものとしてはずいぶんの人出だった。一番の目当ては能面だったのだが、これも白洲正子の本に出てくるような有名な面ばかり。その方は秀吉が愛好したという「花」と呼ばれる小面を推薦なさっていたが、ぱっと見では100パーセント間違いなく隣の「孫次郎」の方がloveであった。「花」は肉付きが良すぎるよなあ、と最初は思ったのだが、だんだん見るうちにどんどん「花」の魅力が見えてくる。「孫次郎」があまりに完成された美であるように見えてくると、「花」の生命力に溢れた魅力がどんどん優れたものに見えてくるのだ。いろいろな角度から見てみたが、素人の生意気な指摘ではあるが、どうも展示の仕方がどうなのかなという気もする。結局、「孫次郎」は面の左側(向かって右側)から見るのが美しく、「花」は面の右側から見るのが美しい、という結論に達する。左右対称ではないんだなあという当たり前のことに改めて気づく。どっちがいいかって、それは酷というものです。

しかし「花」の方は秀吉愛好ということで、また「孫次郎」は亡き妻の面影を彫ったという言い伝えによって、「滅びの美」のようなものをどうしても感じてしまう。「『人間は刻々と死につつある』、という客観的事実を『人間は刻々に生きている』と歪曲する能力こそ文化の形成の本義である」とは野口整体の野口裕之氏の言だが、滅びを生きるというその歪曲能力こそが能という芸術の本質であり、それが全て凝縮されているのが能面という存在だといっていいのかもしれないな、などと改めてポストカードを見直しつつ思った。

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by Luke Peterson

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