靖国参拝違憲判断に思う

Posted at 05/10/01

10月だ。朝のテレビでも早くも紅葉情報をやっている。立山連峰や奥日光などではほんの少し紅葉も始まっているようだ。朝の最低気温が8度以下になってしばらくしたら紅葉が始まる、とのことだったので、覚えていたら目安にしておこうと思う。

衣更え。もうとっくに上着を着ていたが、どちらかというと白い明るめの夏バージョンのものが多かった。白いものはクリーニングに出して、秋の上着を出さなくては。クールビズ狂想曲も終わり、ウォームビズの売込みが始まるか。このへん小池百合子の経済効果があるんだろうか。

阪神優勝が二年ぶり5回目というのを聞いてあれ、と思い、手元の史料で調べてみると1リーグ時代に4回優勝しているので本当は9回目なのだ。2リーグ制になってから5回目、というのは考えてみたら全部言える。昭和37年と39年、昭和60年、平成15年と17年だ。自分が生まれた年が寅年で阪神が優勝したので印象深い。

戎橋からの飛込みを禁止するためには、飛び込んだやつがいたら来シーズンは阪神はペナントレースを自粛する、と宣言したらなくなるだろうと思ったが、阪神を応援することがある種の宗教になっていて、それによって人生の悩みや辛さを乗り越えている人たちがいるという話を聞くと、それも気の毒だなあとは思う。たぶんブラジルやイングランドなどフーリガンの本場のサッカーファンも似たようなところがあるのかと思う。まあ「信者」の周囲にいる人はいろいろと迷惑なことが多いため、大阪近辺の非阪神ファンは大変だろうとは思うが。

靖国をめぐる訴訟で、小泉首相の靖国参拝を違憲とした上で原告に不利益なしとして控訴を棄却する判断が大阪高裁で出たという。民事訴訟は勝訴した側が控訴・上告することが出来ないので国側からは上告ができないというが、傍論として憲法判断をして主判決では要求を棄却するというやり方は以前もあったが腑に落ちないものがある。

しかし、ネットでいろいろ調べてみると、法律上ではそういうことはありえることらしい。行政側の行動は憲法に制約されるわけだが、その行動について訴訟があったとき、それについての憲法判断をするかどうかは簡単に言えば裁判官の自由裁量だということのようだ。そして、その行動によって原告が不利益をこうむったかどうかという判断は、その憲法判断には直接には拘束されない。だからこういう判決がありえるのだという。まあなんだか強弁のような気もするが、強弁の多い小泉政権側がそこを非難する義理もないだろう。

つまり判決としては、(1)憲法判断に踏み込まず不利益なしとして国側勝訴、(2)憲法判断をして違憲と判断し不利益なしとして国側の形式的勝訴=原告側の実質的勝訴、(3)憲法判断をして合憲と判断し国側の全面勝訴、の3つがありえるということになる。合憲と判断して不利益を認めるということはまあこの訴訟の場合にはありえないから、この三つだ。考えてみたら一票の格差をめぐる裁判などでは実質違憲状態と判断した上で原告敗訴になることはよくあったから、形式的には類似のことなのだろう。

しかし確かに、このような裁判所の判決の出し方は政権に対するいやがらせ的なもののようにも感じられる。最近奇妙な判決を出す裁判官が増えているという印象もあるし、与党圧勝のあとで裁判官の心中である種の政治判断が働いたような気もする。良心の自由が司法の精神の根幹にあるとはいえ、こうした訴訟では何か良心が良心を裁く一種の宗教裁判のような奇異な印象を受けることは否めない。

政府側としてはこの判決を不満とし、この判断に拘束されない旨を言明したが、最終審の憲法判断であるわけではないし、政治判断として司法の判断と対立することがあるのも当然だ。まあ日本国憲法の原案を作らせたアメリカでもルーズベルトのニューディール政策には次々に最高裁の違憲判決が出たが、それを無視して政策を進めたことはよく知られている。

まあどうしても日本では裁判所の判断はまるで宇佐神宮の神託のような「神の思し召し」のごとく道徳的にも最終的で決定的なものと受け取る傾向があるが、実は人間の決めたルールの中での判断に過ぎない。憲法も別に「聖書」ではないのだからファナティックに信奉する必要もない。司法の判断を絶対視するのはそれこそ町奉行の「お白洲」以来の「お上」のなさることは絶対という意識の残存であろう。つまり、司法というのも結局は政治的な存在に過ぎないということをよく認識する必要がある。

まあ本当は私などは司法の権威を否定するようなことを言いたくはないのだが、実際に納得が出来ない判決が出るとそう考えざるを得なくなる。少なくとも、この判決を出した裁判官たちの名前をしっかり記憶しておいて、もしその裁判官が最高裁判事に任用された場合には何としてでも国民審査で排除するような運動を起こすくらいの姿勢を持っておくしかないのだろう。まあそれも、改憲と同じく原理的に不可能ではなくても実質的にはきわめて難しいことではある。

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