国家有機体論

Posted at 05/09/29

昨夜は仕事および仕事の準備。日中は書き物も一定進む。着想というものはいつどういうときに降臨するかわからないが、なかなか十分時間が取れるときに来るものでもない。昨日は比較的に運のいいときに降臨したといえる気がする。またまたそういうことがあるといいのだが。

『東アジア・イデオロギーを超えて』も読み進めた。いろいろ啓発されるところも多いのだが、疑問もいくつかある。韓国人は日本民族を倭族と読んでいるようだが、そういう文脈ではないところでも日本民族を倭族と表現している個所があり、あまりいい感じがしない。倭はもともと否定的な文脈で用いられた古語であるし、それを敢えて現代政治思想の文脈で用いるのは何か意図があるのだろうか。もう一つは江戸時代に日本版の中華思想とも言うべき皇国思想の高まりとともに中国を蔑視するようになり、中国を表現するのに「支那」という侮蔑語が用いられるようになった、というくだりである。「支那」はもともと始皇帝の「秦」に由来する「シナ」という言葉の当て字で英語のチャイナなどと同起源のはずだ。現代でもsina.netなど中国人自身が用いている。「支那」がなぜ侮りの意味があるのか、アプリオリにそう言われると疑問を覚える。

ドイツ起源の国家有機体論が日本に受け入れられるとき、その比喩を比喩として受け取ると人体の諸器官が国家の諸機関にあたるということになり、また国家に法的な人格が与えられて国家法人説が出、また国家の脳髄たる機関が天皇であり、天皇機関説が出てくるという説明は非常に明晰だ。また国家の中枢部のメンバーを「首脳」と呼ぶのも実はそうした国家有機体説に由来しているのだということがわかる。一方で国家を有機体そのものであると、比喩でなく事実として受け止めた結果が日本国家は天皇を族父とする家族であるとする思想で、これが後に国体論に発展していくという説明も非常にわかりやすかった。そのことの当否を判断するだけの材料がないのでお説を拝聴するという以外にはないが、なるほどとは思わされる。

また1987年以降、北朝鮮でこうした国家有機体論がさらに発展したかたちで採用され、「社会政治的生命体の中心である首領との血縁的連係」であるとか「父なる首領さまから永生の政治的生命をいただき」という思想教育が徹底していったという過程は興味深い。著者はこれを日本の国体思想を採用したものだと見ているが、そうかもしれない。金日成死去の時のあの嘆きの表現が天皇制の名残から来るという議論を読み、私自身もそう感じたので当時ロシアを研究していた若い友人にそういう感想を漏らしたところ、そんなことはない、強く誇りに感じている国家の指導者が死去したのだからあの位のことは当然だ、と強く反論され、その後距離を置かれるようになったことを思い出す。そのときは反論も出来なかったが、こうしてみるとそうした観測も別に外れたものでもなかったということになるだろう。

それにしても信州は寒いし乾燥している。秋分も既に過ぎたし、冬が予感されてきた。

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by Luke Peterson

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