お前さんの料簡が出てますよ
Posted at 05/09/28 PermaLink» Tweet
昨日帰郷。特急のなかでは『東アジア・イデオロギーを超えて』を読もうと思っていたのだが、ちょっとハードなのでついでに買ったまま読んでいない本を読もうと思い、横手慎二『日露戦争史』(中公新書、2005)もかばんに入れる。あ、忘れていたが、月曜日銀座に行ったときに柳家小満ん『べけんや ― わが師、桂文楽』(河出文庫、2005)を買っていて、それも鞄に入れていた。結局『東アジア…』はほとんど読まず、『日露…』と『べけんや』を読んでいた。まだ三冊とも読みかけである。
『日露戦争史』はロシア側の事情から日露戦争を読み直そうというもの。「ロシアの南下政策」というのはロシア周辺の諸国にとって鬼より怖いものであったが、その政策がかなりのところ宮廷内部の勢力争いの結果生まれた場当たり的に近いものだったという話は面白い。冷徹な計画性を持って侵略を進めるなどということはどこの国でもそうはないのだろう。結果から見るとそのようにしか見えないことは多いが、それは事後には結果に反するさまざまな出来事が全て捨象されてしまうからで、そうしたぶつかり合いについて考慮されていないさまざまな政治思想論などは結局は机上の空論であり、ためにする議論に陥ってしまうのだなと改めて思う。人間も歴史も、もっと複雑なものなのだ。
『べけんや』は小満んの八代目文楽回想記。文楽という人の素敵な人柄が髣髴として微笑ましい話が多い。今までのところ印象に残った話は二つ。弟子に小言を言うのに、その都度言ってはいけない。小言の種がたまったときに、小さなことで大きく短く叱る。するとこの人にはこんなことまで見ぬかれていたのかと思う、という話。実例としては、師匠が高座で使うハンカチを洗うことを命じられた小満んが洗い張りをして干すのだがそれがなかなかうまく行かず、こんなものでいいかと風呂を出たら師匠がそれを見て「おまえだね、今日のハンカチは・・・おまえさんの料簡が出てますよ」といわれて、「このくらいでいいだろう」と思った自分の心を見抜かれたと思って震え上がった、という話が出ている。なるほどと思うが、厳しいしつけと師匠への心服、絶対的な信頼感があって初めてそういう小言の言い方が生きてくるのだなと羨ましく感じた。しかし、短く大きく叱る、ということが効果的であるのはたいていの場合そうだろうと私も思っている。
もう一つは、師匠のおこぼれをもらって、平目の刺身などを食べさせてもらったときに、「味わってお食べよ」といい、「うまいかい」「はい」「うまいと思ったら、それが芸ですよ」といった、という話である。もうこのあたりは珠玉としか言いようのない師匠であり師弟の人間関係である。「うまいと思ったら、それが芸だ」。いろいろな取りようがあろうが、私は刺身ひとつにも料理人の工夫が凝らされていて、一番うまく食べさせる技術がそこにある。食べた側を感動させるその工夫のこらしようを学び取れということと、それを感じ取れるだけの感性が芸の基礎だ、ということの二つを思った。芸を感じる心のありようというのが、結局はいつも人間関係の基本にあるのかもしれない。教師と生徒、介護者と高齢者、夫婦、親子、それぞれに「心遣い」をし、それを感じあう。その心遣いと感謝が文楽の言う「芸」なのだと思う。
昨夜は仕事が忙しくて、今朝は寝坊した。ひとつ仕事をしそこね後に回したが、『コミック乱』を買ってきて一部読む。「鬼平犯科帳」が「乳房」という題の三号に渡る長編で今号が完結編。前2回はそうも思わなかったが、今号を読んで感動した。一人一人のキャラクターが立っていて非常にいいし、しかも好ましい。「本当の悪人」は誰も出てこない。事件の構図を全て知っているのは鬼平と読者だけである、というしかけ。ここのところ池波原作にはないと思われる「オリジナル」な話が続いていてどうも詰まらんなと思い単行本を買うのもやめていたのだが、久々に感動した。これは恐らく池波正太郎の原作があるのだと思いネットで見ると、どうも番外編としてあるらしい。今まで原作で全巻読んだのはさいとうたかを版が不完全な『剣客商売』だけだったが、鬼平と梅安も原作を読んでみようかなとはじめて思った。
しばし黙考。こういう話が現代作家によって書かれないのはなぜか。感動ものというと恋愛をテーマにしているのだが、だからといってヨーロッパの作品のように徹底した個人の相克が描かれるわけでもない。なんとなく微温的で、敵は外部にあり、敵に対する心情的な同盟が組まれることを恋愛と称している感じがする。
つまり、恋愛というものが絶対的に孤独な個人と個人の運命の出会いなのではなく、世間では廃れてしまったウェットな心情の関係が擬似的な恋愛によって昇華されることが感動なのだという感じの矮小化が起こっているのではないかという気がする。そこにないのは何かというと、「心遣い」なのだろう。なんてちょっと強引につなげてみたが、西欧的な強さに憧れて日本的な強さを破壊したもののどちらも失った砂のような状態が現代日本だってことなのだなと思う。
いずれにしても、われわれは全てが失われたところからもう一度彼も我も再発見していくしかない、のだと思う。これは実は『東アジア・イデオロギーを超えて』の立論へのおぼろげな反論でもあるのだが、まだまだ切り結ぶには修行が足りない。精進あるのみ。
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