江戸川乱歩/お能を観に行く
Posted at 05/09/23 PermaLink» Tweet
昨日は強行軍。午前中の仕事は別の人の仕事が間に合わずほかの人に委託して飛び出し、松本(近辺)で別の仕事をこなす。駅まで30分近くをノートパソコン入りの5キロ強のかばんを抱えて歩き、普通電車に乗って塩尻で特急に乗る。家を出かけるとき別の特急が八王子の近くで事故を起こして遅延していたのでこの列車も遅れるのではないかと危惧したが、天佑神助か時間通り新宿に到着。
列車の中で読もうと上諏訪の駅前の書店で『江戸川乱歩全集 第一巻 屋根裏の散歩者』(光文社文庫,2004)を購入。最初の三作、「二銭銅貨」「一枚の切符」「恐ろしき錯誤」を読了。何の気なしにすいすいと読んだが「二銭銅貨」は乱歩のデビュー作としてかなり有名な作品らしい。確かに後の二編に比べるとよく出来ている。しかしそれよりも、大正時代に書かれた作品がほとんど抵抗なく読めたことのほうにむしろ感嘆した。昭和初期の政治関係の本などを読むと現代との違いを感じることが多いが、なんというかある種無国籍的な乱歩の作品は無国籍的であるだけでなく無時代的でもあるのかもしれない。松本への行きがけ、上京の途時で仕事の残務処理をしたり眠ったりしながら少し読んだ。
新宿から二駅で千駄ヶ谷、思いがけず余裕を持って国立能楽堂に到着。運良く正面の最前列の席が取れたので無駄にならなくて良かった。国立能楽堂では初観能。というか、ずっと以前に銕仙会で見た以外は数回薪能のような野外で見ただけなので、もともと観能の経験は乏しい。今回の舞台は女人成仏をテーマとした作品の企画公演。最初に山折哲雄氏の話が30分あった。内容はどうもよくわからない部分が多く、私が人前で話すときもきっと聴衆の中には今の私と同じくらいちんぷんかんぷんな思いを感じている人がいるんだろうなと妙なことを考える。ただ、お能を西欧的な基準で見よう、割り切ろうという姿勢自体に私は強い違和感というか拒絶感を感じながら聞いていた。山折氏のような日本文化の語り手まで西欧的基準に身を委ねるような話し方をしたら、日本文化の先行きは全く暗い。そのあたりかなり残念に思った。最後に白洲正子への言及があったが、白洲さんならそういう言い方は決してしないだろうなと思うことが多かった。
続いて狂言は『鬼瓦』。これも初めてだが、有名な作品であるようだった。薬師堂の鬼瓦を見て奥さんの顔を思い出し、懐かしさに泣くという大笑いな作品だが、なるほどこういう演出を「笑い留」というのかと、あとでプログラムを読んで思う。芸能というのは縁起を担ぐというか、ただ楽しむだけでなく福を呼び寄せるようなある意味まじない的・呪術的な要素があるのだなと感心する。そういう要素も現代生活に取り入れたいものである。難しいか。少し話は違うが太郎冠者のせりふの中で「近頃(めでたい、だったか)」という副詞がでてきたのが耳に残った。歌舞伎でも黙阿弥の作品などで「そいつぁあ近頃、めでてえなあ」みたいな使い方が出てくるので江戸末期の流行り言葉だと思っていたのだが、古語辞典で調べると狂言にもほかに用法があるようであり、あんがい古い言葉なのかなと思い直したりした。
休憩をはさんでお能は『現在七面』。日蓮の篭る身延山に日参する村の女があり、奇特なことに思い聞いてみると実は竜女であるという。法華経の女人成仏の法を聞き、感激のあまり竜の正体を現す。竜は日蓮をぐるぐる巻きにしようとするが、日蓮が法華経を唱えると竜はたちまちのうちに天女に変わり、法華経の功徳を称え神楽を踊り、いずこともなく消えていくというお話である。
シテは最初村娘のようであったが、ワキの日蓮上人の存在感が凄い。ワキというといつの間にか消えてしまうような存在というイメージがあったので、対立軸が非常に明確でちょっと驚いた。後ジテになって現れた龍は衣裳も役者の存在感も素晴らしく、見ていて胸がどきどきしてきた。日蓮上人も座って受け答えしているだけなのだが口跡よく、昔はモテモテの坊さんがいたというが、まさにそんな感じ。法華経の力で龍が天女に変わると一転して非常になよやかなまさに天の美女。その舞を見、その動きを見、面がいつも口を半開きにしているのを見て(閉じるわけはないが)昔親しかった女性を思い出したのは内緒である。そんなことで思い出されても嬉しくはないだろうが、狂言が『鬼瓦』であったせいもあるのだろうか。
音楽、いや囃し方もとてもよく、正面の席を十分堪能した。囃し方だけで胸の高まりを感じたのは、たぶん初めてだろうと思う。
帰宅してからこちらにもともとの詞章があるのを見つけ、比較してみたのだが省略のないほうがもちろん意味に広がりはあるしより詳しく分かるということはあるにしても、私のような謡もろくに聞き取れないようなものにとってはこの通りに上演されたら超へヴィであったと思う。台本検討の苦心の跡がよく読み取れた。ドラマが屹立するような作りになっていて大変感銘を受けた。
余談だが、プログラムに享保十三年の能が江戸城中で行われ、御三家、諸臣の他に町人5800人が招かれたという話が載っていて驚いた。吹上御苑で行われたということなのだろうか。両国国技館の収容が11000人ということだがあんなに見やすくなっているはずもなく、どんな風に行われたのかちょっと見当もつかない。歌舞伎座でも2000人余りだし、当時行われたどんな歌舞伎興行でも5000人は入れないだろう。江戸時代の芸能というと歌舞伎のことしかほとんど眼中になかったが(歌舞伎の演目と深い関係のある人形浄瑠璃は除き)、お能も全く侮れないなと改めて思わされた。
私も多種の演劇を見ては来たが、最近はほとんど劇場に足を運ばなくなっていた。行っても歌舞伎くらいだったが、それも最近は億劫になっていた。新劇やミュージカルなどは日本人が西欧人のサルマネをしているようでどうも面白くないし、結局『本場もの』を見たほうがずっと面白いことが分かっていると馬鹿馬鹿しい。かといってわざわざ見に行く気にもあまりならないのだが。歌舞伎も最近あまりみる気がしなくなっていたのは、どうもそこで語られるものが通俗性の高い道徳とでもいうべきもので、ちょっとそれもいいかなという気がしてきていたからだと昨日の劇場からの帰り道につらつら考えた。それに比べると能はハイブロウというか、精神性を問題にしているところが強く、そのあたりに強い感銘を受けるのだなと思った。
上人の座った半畳の台に上人が上るときにぎしぎしと音がしたりする手作り感も意外だったし、少人数で全てが作られ流れていく「小サークル」感も意外と好ましく思えた。歌舞伎は大衆演劇だから隔絶した一人のスターと多数の観客という現代のテレビ時代と同様な絶対的な距離感の存在を感じるが、お能は観客と舞台との距離感が実はそう遠くないのではないかということが感じられた。劇場型の演劇というよりサロン型の演劇、とでも言うか。もちろんそれぞれの技能は卓越したものだが、舞台近くで拝見すると距離感が実は今まで感じていたものとは違うのではないかという感じがしてきたのである。
というわけで、お能や狂言というものに俄然関心が高まってきた感がある。資金不足でなかなか頻繁に見に行くということは出来ないにしても、なるべくいい席でじっくり見たいものだと心中ひそかに思っているのだった。
しかし強行軍がたたって今日はずいぶん疲れていた。日記才人の更新報告もできなくて更新意欲がしぼんでいたが、夜になって何とか多少は復活。さて仕事もあるぞ、と。
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