松井400号/懸案処理/傷つき老いた巨獣としての朝日新聞

Posted at 05/09/08

松井が日米通算400号を達成。日本で332本、大リーグに行って三年目で68本というのは多いか少ないか微妙なところだが、少なくとも前人未到なのは間違いない。新しいことをやるのはなんでも大変であるけれども、こうした活躍も「金以外のためにがんばる卓越した日本人」がいるということを印象付けることになるだろう。現代では特に大衆に対するスポーツ選手のアピール度は他の何者よりも勝ることでもあるし、ぜひがんばってほしいと思う。

台風はどうやら過ぎたようで、信州の朝はもう秋の虫の声が聞こえる。家の前は例年になくコスモスが咲き乱れている。空も青い。

昨日帰郷。いろいろ食糧が残っていたのでタッパーにつめて弁当をこしらえる。丸ノ内の丸善で経済史の本などを探すが、なかなかこれと思うのがない。資本主義の歴史、という観点で探すとどうもマル経系の本になってしまうようだ。もうちょっと時間をかけて探してみようと思う。

電車の中で『脳を超えてハラで生きる』と『日本海軍 戦場の教訓』を読む。どちらもいろいろ考えながら読んでいたせいかなかなか進まない。途中から、この秋からの仕事の面倒な部分をどう処理するか、ということについて考えはじめる。いろいろ考えて頭が痛くなってきたが、どうやらCGIで処理すればなんとかなりそうだ、という結論に達する。実家に戻ってからいろいろウェブで実践例やフリーのスクリプトを探し、一応これならなんとなかるかも、というあたりまでは詰められた。しかしかなりの改造は必要だし、使い始めてからもきっと相当な試行錯誤が必要になるだろう。しかし、時間の節約と言う点ではまず間違いなく向上するので、なんとか間に合わせたいと思う。

こういうことももっと余裕のあるときに思いついてやればいいのだが、直前になって問題を真剣に検討しないと妙手も浮かばないのはどうにも仕方がない。人間の時間というのは必然的に濃密なときと希薄なときが生まれ、希薄なときはどうにもならないくらい希薄なのに、濃密になり始めると極端に濃くなってしまう。まあしかし、それが生きるということで、生命の普遍的な存在のありようだという気もする。そこまで話を広げることもないが。

夜の仕事中にそんな作業を暇を見てやっていたら人にものを聞かれて頓珍漢なことを答えてしまった。集中力が変なほうに上がっていると全体像が見えにくくなることはある。どうどう。

いずれにしろ懸案のことばかりを考えすぎていると本来の仕事の内容を深めることがおろそかになる。腰も痛いし、今日はあまり無理せずにじっくりと内容を深めるよう心がけようと思う。

朝日新聞前社長の新聞協会会長辞任など記録しておくべき事件はあるのだが、これに関してはまだ全体像もイメージも見えてこないのでちょっと書くのは止めておこう。しかしそれにしても、新聞にとっても一大イベントである総選挙の投票4日前にこうしたことになっているのは「日本を代表するクウォリティペーパー」としてはとんでもないことであろう。たたかれ続けの朝日新聞は老いた巨獣のようでもあるが、このまま倒れるのか、それともふんばるのか。

やはり主観を抜きに論じるのは難しいが、健全な批判がメディアから消滅するのは国家にとっても国民にとってもよくない。体質や姿勢に問題があるとは思うが、そこを徹底的に自己浄化した上で「健全な」批判メディアとして再生してもらいたいというのが偽らざるところではある。

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10時過ぎに書き上げて投稿しようとしたらgooブログが全然反応しない。スタッフのページを見ると、どうもメンテナンスのときに不備が起こったようだ。これだけのブロガーをかかえるとスタッフもご苦労なことだと思う。

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