今年上半期に評判だった本/『韓国の「昭和」を歩く』
Posted at 05/08/19 PermaLink» Tweet
昨日は仕事が終わった後地元の友人と飲む。つい話しこんで3時になってしまった。今朝は午前中は使い物にならず。まあしかし、いろいろな話が出来てよかった。
ブックレビューbの2005年上半期本の評判ランキング115が発表された。これは雑誌や新聞の書評で取り上げられた回数を集計したランキングである。トップは「電車男」でダントツである。
私が読んだ本を拾ってみると、7位の『国家の罠』、9位の『失踪日記』、18位の『私の家は山の向こう』、20位の『希望格差社会』、62位の『坂の上の雲』(新作ではないが)、69位の『靖国問題』(唯一完全には読みきっていない)、71位の『オニババ化する女たち』、98位の『監督不行届』、114位の『坊ちゃん』(笑)である。こうしてみるといわゆる純粋の文学系はほとんど全く読んでいない。しかし、2005年という年がよく見えてくるようなラインナップではあるなと思った。
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テレビで80年代後半のジャパンバッシングについてやっていたのをちらっと見た。今思うと、あれはアメリカのナショナリズムというものだなと了解できるが、当時は日本製のラジカセを叩き壊しているアメリカ人たちというのは非常に奇異に映ったものだ。
今のアメリカではあのようなヒステリックなナショナリズムは下火になってはいるが、10年ほど前にアメリカでテキサスの『アラモ砦』に行ったときの事を思い出した。「リメンバー・ジ・アラモ」はもちろん『リメンバー・パールハーバー』の原型である。プロレスラーみたいな巨体を揺らした多くのアメリカ人が展示に見入ったり星条旗をあしらったグッズが所狭しと並んでいる様とか、ここにはアメリカのナショナリズムというものの原型が詰まっているなと感じたものだ。
私がアメリカに行ったのは、確か1997年が最後なので、9.11以降のアメリカは見ていないが、どんな風になっているのだろうか。
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鄭銀淑『韓国の「昭和」を歩く』(祥伝社新書)読了。韓国に今も残っている日本時代の建築を訪ね歩くという企画である。ルネサンス様式の巨大な建築から、日本人の富豪の住んでいた屋敷跡、あるいは長屋や売春宿のあとまで、さまざまな建築を訪ね歩いている。『週刊朝日』で呉智英が批評しているのを読んで読む気になったのだが、確かに対日感情の悪い韓国で日本時代の建築を訪ね歩くというのはかなり思いきった面のある企画であることは間違いないだろう。そのことを考えれば、さまざまに感じたいろいろな瑕疵よりもこの本が出たということ自体を積極的に評価すべきであることは確かだろう。
ただ、しかしどうしてもさまざまな不満が残ってしまったことは否めない。最大の不満は、写真が小さく、少ないことである。こういう企画であるから出来うれば写真集のほうがよかった。よく満州国時代のあとを尋ねて大連や新京、奉天などの建築物をめぐる、というような写真集はあるが、朝鮮半島のものは今まで見たことがない。一つには対日感情のこと、また半分が北朝鮮というきわめて閉鎖的な国家であることもあろうが、もう一つは在住した日本人が満州の方が多いということなのではないかと思うのだが、そのあたりはきちんと統計にあたっていないのではっきりは言えない。まあこの面はこれを第一歩にしてそうした写真集が出るといいなと思うのだが、現在日本家屋は「日本帝国主義の残滓」として取り壊しを求めるという方向が強まっているらしく、写真集が出たためにそれがより強く進められるというようなことになっても困るし、難しいところだなと思う。
もう一つは、やはりライター自身の書きぶりで、対日偏見や疑問を感じる歴史知識に基づいて日本を糾弾している部分が相当なスペースを占めているという点で、このあたりは読むのにものすごく根性を必要とした。しかし我慢しながら読んでいると、このあたりが韓国人の平均的な認識なんだろうなとか、こういう教育を受けて育ってきているのだなということがだんだん見えてきて、ある意味興味を覚えてきた。そして読んでいるうちに、日本人ならばこういう書き方をしない、とか、こういう感じ方をしない、ということから日本人と韓国人の感性の違いの問題についていろいろ考え出した。
もともと武士の国であったはずの日本だが、少なくとも現在は国際問題などに対して、冷静に、穏やかに、クールに対処するのが『よい』行き方だと考えられている、と思う。しかし、文の国、儒教の国であったはずの韓国は、どんな些細な問題をめぐっても熱く、感情的に、ストレートに、激しく反応することが『よい』行き方だとされているのではないかと思った。
で、「感情」についての評価も、「感情的」というのは日本ではマイナスの評価だけれども、韓国ではそうではないのではないかな、と言う感じがした。特に驚いたのは「恨があるからこそ強く生きられるのだ」という表現で、ちょっとたまげてどう考えていいのかわからなくなってしまった。
韓国文化を考える際によく出てくる「恨」であるけれども、どうもその意味するところが今まであまりよくわからなかった。「恨み」といえば、日本で言えばどうも中島みゆき的な世界で、ちょっと怖いというかものすごく後ろ向きの嫌な感情で、「誰かに恨みを持つ」などと口にする人間はちょっと近づきたくない感じがする。しかしそれを、「恨があればこそ強く生きられる」などというとものの考え方の180度のコペルニクス的転回が必要になってくる。いろいろ考えてみたのだが、「恨」というのはどうももっと熱く肯定的に捕らえられているなあと感じる。だから、感情のもともとの湧きあがったときの性質は「恨」と同じなのだが、それが肯定的にとらえられているので押さえつけられている感じがせず、ある意味後腐れのない感情として大手を振って歩いているのではないかというように感じた。
このように考えてみると、日本人と韓国人は隣の国に住んでいるが、ものの感受性や感情や感受性そのものに対する評価の仕方というのが恐ろしくかけ離れた民族性を持っているのではないかと思う。そう考えてみると、日本人と韓国人がお互いに理解し合うということは、ものすごく困難なことだなと思う。ただ日本人でも左翼勢力の人は、そうした恨みというか階級的な憤りというかまあそんなものを評価するという点で韓国人と共通したものを強く持っているので、なんだか共鳴してしまう点が多いのかなとも考えてみた。まあまだ不十分な考察だが、日韓関係が近くて遠いものであることは、そう簡単にはなくならないなというふうには思ったし、まあしかしそういう認識を踏まえた上でより「まし」な関係を作っていくための付き合い方を考えていった方がいいなと思ったのだった。
しかし、その感情が強いという民族性が、論理の部分を強力にサポートすると原理主義的になってしまうことが頭が痛い感じがする。日本家屋に対する反応も、日本の敗戦後ほとんど一夜にして韓国中の神社が破壊されたというような書き振りを見ると、明らかにその破壊衝動の強さを肯定的に評価している感じがやはり日本人にとっては違和感が強い。「日帝の残滓」をすべて破壊しようという執念も、中央アジアの仏教遺跡を徹底的に破壊したイスラム教徒の原理主義性と似た寄ったものを感じるし、そうした部分に対する感じ方の相違が、新たな摩擦を生んでいくことは避けられないのかなと思われてくる。
日本人の男性の助手との会話で、「(李舜臣)将軍が見ているのは日本の方角ですね」という彼に対し、「日本に睨みをきかせてるんですよ。こわいでしょ?」と答え、助手が「いやいや、韓国にあちらこちらにいる将軍様のおかげで、いつも自分の故郷の方角がわかるからありがたいですよ」というものがあった。冗談めかしているとはいえ日本を睨んでいるんだぞ、と得意げに、気負いこんで、そのことを肯定的に発言している著者に対し、助手がスルーしている感じが現代の日韓関係を象徴的にあらわしているような気がした。
まあ以上のように、いろいろ読みづらかったとはいえとても勉強になったし考えさせてくれた本ではあったが、最後にひとつだけ強い違和感を感じたことを書いておきたいが、それは今の会話にも出てきた助手と韓国九都市の旅をしているのだが、全く一度のこの助手の名前が出て来ず、完全に助手が、助手がで通していることである。何かの意図やギャグでなければ、日本人のそうした旅の記録では同行者の名前を出して(たとえイニシャルとかにしても)その人間的な関係を描写する個所が一つは出て来たり、あるいは後書きなどで謝辞の中に名を出すとかするのが、私の感じから言えば「人として当然」という感じがする。最後まで「助手が」で通したことが、私にとってのこの本の読了感を著しく後味の悪いものにしているのである。
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