駒大苫小牧

Posted at 05/08/25

教員の側が、いくら教師一年目の27歳の青年とはいえ、どんな生徒を相手にしてでも切れてしまったのはまずいということには反論しても仕方がない。世の中はそういう建前で動いているし、その建前はそう簡単にゆるがせにすべきものではない。

ただ、教員の経験者から言わせてもらえば、そして現役を辞めたものの立場から言わせてもらえば、常識的な対応では学校教育の現場に適応させるのが非常に困難な生徒がいることは事実である。そしてそれは生徒だけではなく、保護者の側も学校教育に適応させようと言う意識が欠落していることも多い。

今回の事件の実態がどういうことなのか、もちろんよくわからない。そして、恐らくは現在日本で最も建前を厳正に適用してきた高野連という組織が、この事態にどう対応するかはかなり難しい問題だと思う。

私もある程度はそうした状況に体を張って対応してきた(もちろんしきれたとは言えない)意識はあるが、そんなことに体を張ること自体が無意味なものに感じられてきたので結局現場を退かざるを得なかった。そんな辞め方だったせいか、終業式の朝に高熱を発し、生徒にさよならを言って数日後に入院、ということになってしまったが。

多くの学校教育の現場は、建前だけで運営していくのは、既に限界に達している。それでもなお建前のみを主張していく人権派弁護士や「弱者の味方」の政党などの圧力で、学校現場はさらに難しいものになっているという現実がある。教育の理念を守りつつ、常識では推測しえない実態をいかに掬い取り、改善していけばよいのか、もっと社会全体で議論していくべきことであるように思う。

おりしも総選挙の前哨戦である。この選挙でも、ぜひどうしたら学校がよくなるか、教育が向上していくか、そうした議論も戦わせてもらいたいと思う。

駒大苫小牧高校の事件について、入ってくるさまざまな情報に接しながら考えたことである。

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by Luke Peterson

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