ヘミングウェイの言葉
Posted at 05/07/24 PermaLink» Tweet
ヘミングウェイについて。うまく書けるかどうか分からないが、書いてみよう。
ヘミングウェイのライフスタイル、あるいはヘミングウェイの登場人物、登場する風景、まあつまりはヘミングウェイの「世界」を「かっこいい」もの、とする価値観はかなり広範に存在するように思う。私などでも、それはもちろん分からなくはない。また場合によってはちょっとそういう価値観を利用させてもらうこともある。応用の利く感覚なので、それなりに使いやすい。
たとえば、私が全巻持っている古谷三敏の『BAR レモン・ハート』などはまさにヘミングウェイの世界のかっこよさと現代日本の価値観をぶつけ合うところに面白さがある。1920年代から40年代にかけてくらいの、アメリカがアメリカらしかった時代の、しかしアメリカの保守的な禁酒法的なセンスや、家庭を最も重視した考えなどとはまた少しずれて、アメリカにいられずパリやキューバやスペインなどで過ごした世界を住処としたようなセンスが彼の世界の魅力だろう。そのあとのチャンドラーなどのハードボイルドの世界の基本を、彼が作ったといってよいのだろうと思う。
ヘミングウェイの次に「世界」を作ったのが、私はジェームズ・ディーンだと思う。ジェームズ・ディーンの「反抗」をひとつの価値とした生き方は、いまだに多くの人の人生観を規定しているように思う。特に日本人が見る文化としてのアメリカは、ヘミングウェイ的なものとジェームズ・ディーン的なものでほとんどが整理できるのではないかという気がする。その後の時代になると、文化というより社会の病理のような感じのほうが強く、それを真似したいという動機が弱くなるような気がする。もちろんそうは思わないという意見もあろうが、これは私がそう感じる、ということだと整理しておいてもいい。
私はどうもヘミングウェイというものが苦手で、きちんと読んだことはないのだが、言葉のセンス、選び方というものは凄いなとは思う。「キリマンジャロの雪」とか、何の変哲もない言葉がこれだけ光るというのは、卓抜した言語感覚というほかない。
今回『ヘミングウェイの言葉』という「名文句」集を読んでみて、このセンスにはやはり脱帽というか、羨望を感じることは否めない。この言葉がどの場面でどのように使われているのかを知るためだけにも、ヘミングウェイを読んでみたいという気持ちにはさせられる。「もし二人が愛し合っていれば、そこにはハッピーエンドなどはない」という『午後の死』の一言は、つい深い共感を覚えてしまう。人間の根本的な孤独というものを、彼はこういう一言にたくまずして表現しているように思う。
これは、この本を読む前に『戦艦大和ノ最期』を読んでいたせいもあるのかもしれないが、「死」というものをどう考えるか、というのは実は人によってずいぶん違うのではないかと思い始めていた。人は死すべきものであり、死ななかった人間はいない。そのことをどう考えるか。
よく作家の中には、人が死ぬということを考えて眠れなくなってしまった、という子供のころの体験を持っている人が多い。野田秀樹もそんなことを書いていた。私は子供のころ、厳格だった祖父が床の間を背にして座っていて、その首がころっと取れたりまた戻ったり、という夢を見たことがある。また同じ夢の中で、床の間の柱に人面疽のようなものが出来て、何か喋っていた。まだ2歳か3歳ころの夢で、何を喋っていたのかは分からないが、そういう死への恐れのような夢を何度か見たことは覚えている。
しかし私の場合、それが人の死を恐れるという方向にはなぜか行かなかった。ある日の夜、私の家に顔を出した若い女性が、その日の深夜に交通事故で亡くなったことがあり、次の日にそれを知らされて、ひどく不思議に思ったことがある。人の生命というのはある一瞬で終わってしまうということがとても不思議なことと感じられたのだが、それと同時にそういうものなんだなあという理解も出来てしまったようで、人は誰でも、いつか、ある一瞬に、突然「生きている」という状態でなくなってしまうものだと、なんだか納得してしまったのである。
もちろん正確に、私が死ぬのは怖くないと思っている、ということではない。人は死ぬものでそれは避けられないのだから仕方がない、というかその事実に抵抗しても仕方がないと思っているだけで、もしそれに抵抗感を感じ始めたらひどく怖くなるだろうということは容易に想像が付く。まあだからその事について感じないようにするというのはひとつの生きる知恵であって、なんか悟ったとかそういうことでは全然ない。
むしろ、私のからだはそういうことにはかなり敏感で、本能的に危険を避ける力がかなり発達しているような気がする。自分で意識して避けたわけではないのに結果的に危険を避けていたということは実に良くあるし、理屈ではないけどどうしてもいやだ、と感じたことはなるべく素直に避けるようにしている。どうせいずれは死ぬのだから、死ぬまでは生きていたい。生きる力を完全に使い切ったときに、ふっとこの世からいなくなればそれで十分だろう。まあなんていうか、いい死に方をしたいと言うことは心がけてはいる。いざというときにどうなるかはまだ全然自信はないが。
『戦艦大和ノ最期』というのは、死を恐れない人、良く死のうと考えた人の書いた作品で、そのことがとても大きな意味を持っていると思う。敗戦によって、日本人は「良く死ぬ」という目標を失った。そのことに思いつめていた若者が、アプレゲールといわれる無軌道に堕ちていったの非常によくわかる。しかし誰もがよく死ぬということを考えていたわけではないこともまたよくわかるし、死ぬことよりも生きて変えることを第一義に考えていた人もいれば、うまくやって軍の物資を横流しし、戦後の財を築く第一歩にした人たちもまた沢山いた。戦後日本という社会はそういう人たちがメインになって作った社会であって、「よく死ぬ」ことを考えた人々は少数派であったことは間違いない。
そういう意味で、この作品はかなり特殊な立場を戦後の文学の中で持っていたことは事実だと思う。この作品を発行しようとしたのは小林秀雄で、それがGHQに止められてそれでも何とか実現できないかと当時吉田茂の側近だった白洲次郎のところに話を持ち込んだのが、白洲夫妻と小林の付き合いの始まりだった、ということは良く知っているが、かなり不本意な形ながら、何とか占領下でこの本を実現できたということは大きな意味を持っていると思う。われわれが現在読んでいるのは、独立後に原著に近い形に復活して発行されたものである。
『ヘミングウェイの言葉』を読みながら思ったのは、これらの作品名は死を恐れない人のためのものではない、ということだ。生をいかに充実させるか、ということが問題になる人のためのものだ、といってもいい。そして、全ての文学というものは、死を恐れる人のためのもの、といってよいのではないか、とも思った。死を恐れない、ということは、つまりは宗教的に死生観が定まっている、ということであり、死を恐れる、とは宗教を信じない近代人のことだと言えるならば、近代文学とは、宗教を信じない近代人のための<宗教>だといってよいのかもしれない、と思ったのだ。
文学は決して、人を救うことはないだろう。しかし、人を死への思いから遠ざけることは出来る、のではないかと思う。多くの文学者にとって、死を恐れるということは作品を書くための重要な契機であったのではないかという気がする。
中世までの文学は宗教の死生観と一体であったからまた性格はこれとは違うが、近代文学は神を失って死の問題と直面せざるを得なくなってから生まれたものといってよいのではないかという気がする。
ちょっと雑な議論ではあるが、ヘミングウェイの言葉を読みながらそんなことを考えた。
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