『働きマン』/『戦艦大和ノ最期』

Posted at 05/07/24

一昨日帰京。一昨日から今朝にかけて3冊読了。吉田満『戦艦大和ノ最期』、安野モヨコ『働きマン』第2巻、今村楯夫『ヘミングウェイの言葉』。どれもそれぞれに重量感のある作品。

『働きマン』は出るのを待っていた作品で昨日買って昨日のうちに読了したが、第1巻はまだ類型的なものを感じたのだが、今回はかなり「入っている」、という感じ。いわゆる「きれいごとでは済まない部分」というのを真正面から取り上げている。どこかで立ち読みした安野のインタビューで、今やっている作品で一番大変なのは『働きマン』だ、と言っていたが、作者にとっても苦闘の跡がうかがえる。それこそ自分自身を削りながら書いている作者と主人公の編集者・松方弘子の熱さが重なってくる。スカッとしていない部分内に熱がこもり、その熱さを百パーセント味わえると言う感じで、この熱量不足の時代には希な作品だと思う。

『戦艦大和ノ最期』は、大和の乗員一人一人の描写も優れているが、巨艦大和が米軍飛行隊の度重なる波状攻撃によってついに致命傷を受け、沈没していくさまがさながら叙事詩のようで、荘厳なロマンのようなものさえ感じさせる。沈没していく船の中で人々のとった行動も印象的だし、早めに逃げ出した人たちより最後まで残って沈没の際は一度海の下に沈み、しばらくたって浮上した人々のほうが助かったと言う描写も考えさせられた。沈没の際に何度も爆発を起こした大和はさまざまな巨大な残骸を海に降らせ、そのとき海上にあった人々はその直撃を受けて助からなかったと言うわけである。作者らは一度海に沈んでいるその間にそれを避け得、九死に一生を得ることができたと言う。

日本と言う国家さながらに沈没していった大和の姿に何を見るかによって、その人の戦後もまた違ったものになったのだろう。吉田満はのち日本銀行に入り、監事まで務めた。大和の乗員について書いた作品も何本かあるようだ。彼らは自ら進んでとは言わないまでも、国家の危急のときに国家のために戦うことを義務と感じ、海軍に志願して大和の海上特攻に参加し、そして帰還後も再度特攻参加を志願したが、その前に終戦となった。そうした人間も数多くいたはずだが、戦後の一変した空気の中で、そういうことを語るのは半ばタブーになっていた。21世紀になって、そのようなことをようやく冷静に語ることが出来る時代が来たように思うし、それは良いことだと思う。しかしそれよりもずっと早く、吉田は定年前になくなった。2005年現在生きていても、まだ82歳である。

『ヘミングウェイの言葉』は軽い気持ちで読み始めたが、いろいろな問題を突きつけられた。それはまた改めて書く。

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