固定観念/命を張る人と張らない人/『国家の罠』/全ての人が理解や同情を求めているわけではない
Posted at 05/07/18 PermaLink» Tweet
昨日。昼食後出かける。地元の文教堂で本を物色したあと、丸善丸の内本店へ。いろいろ見て回ったが、結局佐藤優『国家の罠』(新潮社)を買う。最初この本が出版されたときは鈴木宗男派の外交官の自己弁護に過ぎないのだろうと思い買う気は全くなかったが、SAPIOで連載されている非常に興味深い情報調査のコラムの作者が佐藤優だということを知ったとき、この本はきっと面白いに違いないと思った。まだ2章までしか読んでいないが、期待に違わずちょっと考えられないくらい面白い。
本を買ったり何をしたりしながら、いろいろなことを考える。その考えることがうまくことばになるようなことではない、少なくとも論理的に説明できるものでない部分が多いので、この日記にも何も書けないことが多い。大事なことは書きながら考えるタイプと歩きながら考えるタイプ、そのほかにもいろいろあるかもしれないが、私の場合は本当に大事なことは考えながらちょっとどこかの世界に行ってしまうような傾向があるような気がする。具体的に文字にあらわそうとすると考えそのものがどこかに雲隠れしてしまう。
興味のあることについて考える、という程度のことは歩きながら考えるのが一番アイディアが出てくる。書くということについては書きながらが一番考えられる。しかし自分にとって一番大事なこと-それは何だろう-は結局どこかの世界に飛んでしまうような気がする。
というのは、そういうときに考えているのはおよそ非現実的なことなのだ。今考えているのは、自分がたとえば22歳のときにこういうことを知っていたらこう行動していた、というような今考えてもどうにもならないようなことが多い。ただそれが後悔というよりは、現在状況が違う中でどのように行動するべきか、ということのヒントになるような気がするから考えているのである。自分が就職していたときに出世など全く眼中になかったが、むしろ組織の中で上昇して大きな決定権を持つことを目指していくという道もありえたなあ、とかまあそういうことである。しかし当時はそんなことはとてもダサいことのように思え、全然考えなかった。そういう自分の固定観念に縛られる部分がだいぶ人生を束縛している傾向は強いなと思う。ただ、私自身の持つ固定観念というものが世間的な固定観念といろいろなところでずれているのでそれが『固定観念』という感じがしないのである。誰を説得するよりも一番難しいのは自分自身を説得することだが、それがなぜ難しいかというと自分自身のことは自分が分かっているつもりでいて実はほとんど分かっていないからなのだと思う。
時間的に前後しまくりだが、日曜の朝6時から7時、MXテレビ(東京ローカル)で『談志・陳平の言いたい放題』という番組をやっている。これは立川談志と野末陳平はレギュラーのようで、そのほか毒蝮三太夫、吉村作治などが交代で出ているようだが、昨日の朝は西部邁だった。話している内容はあまりよく覚えていないが、談志と西部が命を張って何かをやるというのの代表のような人で、陳平が命なんか張りたくないという人の代表のような話しになっていたのが面白かった。で、こういう人同士の話というのは絡み合わないかというとそんなこともなく、価値観の相違というものが逆に面白く伝えられている感じがした。
命を張らない人というのは基本的に平和主義者で、穏便。金儲けに興味があり、いろいろな欲めいたことが好き。割合と和を重んじてみんなで楽しくやれればいいという感じの人。命を張る人というのは基本的に個人主義者で過激であるのだが、それはなぜかというと、いつもどういう場面で命を張るかということを考えているから。それが命を張るに値することだと思ったら俄然興味を持つが、どうでもいいと思うと関心を失う。気分屋の傾向が強い。だから原則主義的になるし、命を張るに足る理念とか存在とかにたいして敏感な感性を持っている。その結果、感激屋ということになるだろう。
で、おそらくは人間というものは大多数は前者であって、生活を楽しむことが好きなんだと思う。しかし後者に属する人間は生活というもの自体を楽しんでいても何か足りないという思いに駆られ、平地で乱を起こすようなことをしがちになる。
いずれ全ての人間は死ぬのだから、結局その死ということにどのように向かい合うかということで人間のタイプということが決まってくるのではないかという気がする。いつも死を見つめ、そこから発想しようとする人が後者、死のことなど考えても仕方ない、明日は明日の風が吹く、と思う人が前者、ということになるのかもしれない。
もちろん一人の人間の中に両者が同居しているということも珍しくない。まあそれがバランスの取れた人間というものだろうと思うが、どっちかに傾いているということが普通ではないかという気がする。自分はやっぱりかなり後者の側の人間なので、その辺世間というものとのずれが発生してしまうのだろうと思う。
世間というものは基本的には前者で、特に現代日本という社会は圧倒的に前者だと思う。戦時中の日本人のうち、多くは後者的な傾向があったと思うのだが、「もう死ななくて良い」ということになって以来、「死のことなど考えるのはばかばかしい」というメンタリティが一般化してしまったのだと思う。全ての人間がいずれ死ぬということを考えるとそれはちょっとどうかと思うのだが、集団的なメンタリティがそちらに暴走してしまったために、現代の日本人は死のことを考えるのが苦手になってしまったのだと思う。靖国神社の問題で世論も政府もダッチロールを起こしていることの根本的な原因も、結局はその辺りにあるのではないかという気がする。
世界においては、少なくともいわゆるエリートのクラスにおいては、国家のために死ななければならないときがある、というのはある種の常識というか心構えのひとつとして要求されることであるように思うが、日本のエリートがみっともない有様を示すことが多いのはそのあたりの心構えがかけているという面もあろう。ちょっとずれるが、倒産した会社の社長が「社員は悪くない」と社員のために泣き、その扱いの善処を求めるというのも日本的には美談だが、自分の部下の中隊の下士官兵まで常に気を配り、こまめに激励してかわいがっていたという「最高の」連隊長といわれた東條英機とあまり変わりがない。東條は連隊長としては最高だったが、総理大臣としては失格だった。なぜ多くの人があれだけ東條を非難するのか私にはよく理解できない。東條のメンタリティというのは基本的にはそれを非難する人々の多くとほとんど変わらないと私は思う。
そのせいか、日本の報道機関というのも国策のために日本が不利になるような無茶なスクープをやらないとか、外交関係が決定的に悪化するような虚報をあえて流すようなことはしないとかいったモラルにかけることが多いと思うし、「全ての男はみんな金と女が好き」という下司な前提でニュースの話を作ることが多いような気がする。ニュースに反映されているのは取材された側ではなく、取材した側の品位の悪さである、という場合が実に多い気がする。
『国家の罠』を読んでいて、私はこういう頭がよくて使命感を持った人間が好きだ、と思った。
アマゾンのレビューを読んでいると、結局そこに現れているのはレビュワーの品位や知性だと思う。
『国家の罠』の内容は非常に興味深いし、そこで描かれている人物も全部実名なので作者から見た評価も一目瞭然である。作者自身が当事者だからそこで描かれた人も悪く書かれていても名誉毀損などの裁判を起こすこともしにくいだろう。というか、悪く書かれていてもおそらくはほとんどが事実なので反論が難しいのではないかという気がする。この内容が事実かどうか判断しにくい、というのはメディアリテラシーの立場から言えば無難な判断だが、彼の現在のおかれた立場とこの本を書いている姿勢から考えて、嘘はほとんどなかろうと思う。いずれ時代が下れば明らかにされていくところは多いし、彼の姿勢から考えてそのときにいろいろな嘘がばれ、外交史料としても歴史史料としても無価値だと評価されることには耐えられないと思う。人は皆うそばかりつくわけではないし、自己顕示欲も嘘を書くことによって出なく事実を書くことによって満たされることもまたありえるのだという視点が必要だと思う。
レビューの中に、「彼に同情したいとは思わない」というコメントがあったが、彼の執筆動機が同情を買うことにはないということはほぼはっきりしているように思われる。彼は「同情」を求めているのではなく、外交官としての、情報関係者としての「評価」を求めているのであり、それは相当な部分まで達成されていると思う。まだ裁判は結審していないし彼が情報や外交の現場に戻るまでには相当な期間を必要とすると思うが、マスコミを通じての啓蒙などに当たることはできようし、そのあたりのところは非常に期待したいと思う。
全ての人間が「理解」や「同情」を求めていると思うのも、ひとつの思い込みだろう。ある種の職人は理解される必要も同情される必要も、時には評価される必要も認めない。ただ、そうしたことが自分がそのために賭けて来たこと、佐藤氏にとっては国益というもの、のために必要であり、またそのために自分が生き延びなければならないと判断した場合には、別なのだ、ということではないかと思ったのだった。
ちなみに、日記才人のメッセンジャーが調子が余りよくないようなので、メッセージはメール等で(Kous37@mail.goo.ne.jp)送っていただければと思います。
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